7「ハンガーラック」:第1章

 パープルピンクの車は、街が朱く染まっていく時間になっても、未だその速度を落とさずにいた。


 宇佐美は興奮状態が収まらないまま、東地区をそのまままっすぐ北上している。

 彼の運転技術にはもうある程度の信頼を置いたのか、もうニノマエは文句を言うこともない。

 

「あ、アレ?

 あばばばばばまっずいまずーい!!!!」


 東地区の中でもセントラルに近い3、4番地あたり。

 もうじき依頼された目的地に近付いてきたというところで、宇佐美は車の違和感に気が付いて騒ぎ出す。


「ぶぶぶブレーキが馬鹿になってる!!!

 もおおおお!!

 いつもと違うところに整備頼んでみたらこれだよおおお!!!」


「宇佐美!!?

 宇佐美!!!

 なんとかしてくれ!!!」


 嘆く宇佐美に喚くニノマエ。

 ぱかぱかと、明らかに踏んだ時の引っ掛かりが少ないブレーキペダルは、熱狂に酔って麻痺していた二人の頭に冷や水を浴びせた。


「なんとかなんとかなんとかなってええええええ!!!!」


 宇佐美は情けない叫び声をあげ、わずかにかかるブレーキペダルを踏み、シフトレバーを操作してエンジンブレーキをかけ、レバー式のサイドブレーキを思い切り引き上げて、残った右手で必死にハンドルを回して、とにかく思い思いの『頑張ったら止まってくれそうな操作』を必死に探し出す。


 その結果車はくるくると横滑りする。

 完全には速度を殺しきることはできなかった。

 しかし車体右側から壁に押し付けるようにぶつかって、衝撃を少しは軽減する事に成功し、なんとか車は止まり切る。



『こちら、サポートセンターです。

 大きな衝撃を感知しました。

 お客様、何かトラブルがありましたか?

 1分以内に何らかの操作が行われない場合、即座に直通信を繋げ、信号のある地点へ救急部隊を派遣いたします』


 ピー。


 車内のスピーカーから自動音声の機械的な声が聞こえてくる。

 宇佐美は事故の衝撃で軽く意識を飛ばしていたが、その音に気が付くと手をバタつかせる。


 目の前が何も見えない。少し息も苦しい。


 焦った宇佐美は更に手をバタバタと動かすと、自分の目の前に白い何かが覆いかぶさっていることがわかる。


 宇佐美は顔にかかったエアバッグをなんとか押しのけて、スピーカーの操作盤へ手を伸ばす。


「事故です。

 エアバッグが作動したので無事です」


 本当に無事なのかもよくわからないまま、自分で契約していたはずの保険会社が助けに来ることを何故か恐れて、宇佐美は咄嗟に返事を返す。

 別に客である自分が怒られるようなこともないのだが、警察とカーチェイスを楽しんだ手前、後ろめたさで混乱していたのもある。


「みんな……無事かい……?」


 宇佐美は少し痛む腕関節辺りをさすりながら、律儀にも“ヒッチハイカー”達に安否確認を行う。


「エアバッグって優秀だね……。

 多分怪我もしてないよ……!」


「今後もシートベルトは面倒くさがらず付けることにしよう……!

 シーカも怪我はなさそうだ……!」


 衝撃に揺らされた体は、痛むと言うより疲れ果てていた。

 念のため目視でも怪我の確認をする。

 シーカの様子を含め、シートベルトの締め付けで痣になっているかもしれないが、恐らく酷い怪我はしていないだろう。

 そもそも多少の怪我くらいなら、時間がたてば痕も残らず完治する。


「ごめんね……!サポセン契約してるから、多分どちらにせよ保険会社に対応しなくちゃいけないや……!

 みんなはここから車を降りて、僕だけ残して目的地へ向かうといいよ……!」


「宇佐美……!ありがとな……!!!

 お前、本当にカッコいいよ!!」


「へへへ……。よせやい……!」


 照れ臭そうに人差し指で鼻を擦る宇佐美。


 銃を見せびらかして車に乗り込んだ加害者と、その被害者の会話である。


 ニノマエと宇佐美は、何故か心で通じ合ったような、いつの間にか仲間になったような、そんな一体感を覚えていた。


「よし。じゃあ、時間まであと2時間半だし、とっとと向かうよ!

 ここからなら歩いても目的地に一時間ちょっとで着くけど、何があるかわからないからね!」


「エイジ……お前はもうちょっとこう、エモい雰囲気というか、感傷に浸ってみるとか、そういう感覚はないのか……!?」


「おねーさん……。

 今日初めて会った上に銃突きつけてここまで運転させた相手に、よくそこまで感傷的になれるね……。

 ってかウサギさんが一番おかしいよ……。

 えっ……!?なんかもう泣きそうじゃん!?

 どういう情緒してたら僕らにそんな感情移入できるのさ……!?」


「おまえら……!がんばれよ……!!

 僕はここまでだけど、お前たちならきっとうまくいくって、信じてるから……!

 えー……お前らが何をしてるのかとか全然しらねえや!!!

 えー……っと……がんばれよ!!!!!」


「勢いで誤魔化したけど本当にそんな『気持ちよく送り出す感じ』で良いの?

 あってる?その精神状態。

 一回冷静になって文句の一つでも言ったっていいんだよ?」


 宇佐美もニノマエも、黙ってエイジをじっと見る。

 その表情は無であった。

 頭の中でぐるぐると色々考えているのか、それとも思考が止まってしまっているのか。

 兎にも角にもなにもかも『抜け落ちた』といった顔をしていた。


 そのうち二人は何も言わぬまま、お互いに顔を見合わせる。

 気持ちの良い笑顔と共に、力強く握手を交わす。


「じゃあな!宇佐美!また会おう!」


「うん!ニノマエさん!

 一緒にここまで来れて、僕も楽しかったよ!」


「そうだね……。

 もうここまで来たら、その感じで行こうか……!

 僕の方が締めて折れようかな……!

 ありがとね!ウサギさん!

 また乗せてね!」


「いやドンパチするのはもう勘弁願います」


「あ、そこはちゃんと主張するんだ……」


 三人は宇佐美と別れ、沈みかけの朱い陽の光を背に目的地へ向かう。

 その背にゆっくりと近づく黒いバン。

 エイジは段々と足を速め、ニノマエはシーカを米俵のように担ぐ。


「おねーさん多分今度はマフィアかも!!!」


「そんな感じするよなんかあの車『攫ってやる』オーラ凄くてめっちゃ怖いもん!!!!」


「そういう第六感はとりあえず信じてみる方針で!!!!」


 二人と米俵はすぐに全速力に切り替えて走る。

 目指すは大きな車が入りづらい、どこでも良いから細い裏通り。


 後ろを振り返らず急いで道を曲がる。

 ちらりと見えたバンは、後部座席の窓を開け、中から拳銃を持ったガラの悪い男が顔を出していた。


「待てやガキゴラァ!!!

 見つけたぞオオ!!!」


「東地区三番地手前だ!!!

 ガキの新顔三人組!!

 空いてる奴寄越してくれ!!」


「にげらんないよお~!

 こっちは車だよお~!」


 今度のマフィアはかなりガラが悪い。

 半グレから上がりたてのような『躾の無さ』を感じる。


「なんか今度の奴らは頭が悪そうだな!!!」


「頭は悪くても飛んでくる銃弾は同じだからね!!!

 とにかく一旦逃げるよおねーさん!!!」


 「それもそうだな!!!!」


 目的地まではあと少し。

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