6-2:第1章

「速い速い速い宇佐美ッ!!!

 オマエこんなスピード出して本当に大丈夫なのかあああああ!!!???」


「だってしょうがないよねえ!!!

 追ってくるし撃ってくるんだもん!!!

 逃げるためだから仕方がないよねえええええ!!!!!!!!」


 車がぐんぐんとスピードを上げるのを見て、急いでシートベルトを装着し、天井の手摺りにしがみついたニノマエの悲鳴。

 その声に返事は返しているものの、どこかトリップしたかのような宇佐美の顔と声色は、ニノマエの恐怖心を殊更に煽っていく。


「仕方がないんだ……!

 今まで街レース以外では法定速度をギリギリで守ってきたけど、そんなこと言っている場合じゃあないんだ……!

 逃げなきゃ……!

 逃げて僕は絶対生き延びてやるぞ……!!

 絶対だあああああ!!!!!」


 宇佐美は恐怖でおかしくなった様にしか見えない叫び声をあげながら、それでもハンドリングは冷静そのものだった。


 今日の高速道路は車が少ない。

 それでもまばらに見かける、決して無視はできない量の車を、余裕をもって回避しながら、スピードを更に上げる。


 追跡してくる車はその性能を遺憾なく発揮しているようだったが、それでも超高速で滑らかに車線変更を繰り返すパープルピンク程の運転技術は見られない。


「いい車使ってるねえ。エンジンも載せ替えてるみたいだし。

 全く、本当に、羨ましいよねえええええ!!!!!!!!」


「宇佐美ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!

 一回落ち着いてみないかああああああ!!!!?」


 後部座席からでも、前の景色は一瞬で迫っては流れていくように見えている。

 前の席から見たら、対向車と錯覚するようなスピードで迫ってくるように見えているのではないか。


 ニノマエは叫んでいる最中でも、いや、混乱のあまりというべきか。

 こんな高速運転をしている運転手が抱えるであろうストレスは、それは凄まじいものに違いないという心配が襲ってくる。


 それは『もし事故になって自分が痛い目を見るのが嫌』という類の心配なのか。

 それとも単純に、『気弱そうな運転手が、無理をし過ぎて色々と壊れてしまったりしないか』という心配か。

 それはニノマエ自身にも良くわからない感覚だったし、運転手はある意味既に壊れかけていた。


 次々と抜き去る前方車。

 じわじわと離されている追跡車。


 宇佐美が高速を降りる頃には、とっくに追跡していた車は見えなくなっていた。


「宇佐美ッ!よくやった!!

 アイツらへっぴり腰過ぎて全然お前の運転についてこれてなかったぞ!!

 凄いよお前は!

 カッコいいって!!!」


「え~へえへへ。そうかなあ?

 まあ、レースの常連ではあるし?

 結構運転には自信があるからね」


 昂ったテンションのままに運転席を後ろからバシバシと叩くニノマエ。

 修羅場を共に潜った後だからか、宇佐美もどこかリラックスした様子で照れている。



 ────ひとつ。

 普通自動車免許の教習所で、高速教習を受ける際、注意されるポイントがある。

 『高速を抜けた直後は、速度の体感が狂いやすいので、速度計を見るなどをして、速度の出し過ぎには注意しましょう』


 昂ったまま後続を振り切った宇佐美。

 それはある意味で自然な流れではあったが、現在一般道の法定速度を優に超えた速度が出ている。

 もしかしたら、あと百メートルほど走れば、宇佐美も気が付いて速度を緩めたかもしれない。

 しかし無慈悲にも後方からサイレンの音が鳴り響く。


「まっずい!!!!ネズミ捕りだ!!!」


 追手を振り切って安心したからか速度を緩めていた。

 とはいえ、未だ時速百キロ前後は優に出ている。


 速度超過を確認してから追ってきた警察車両は、まだパープルピンクとは離れている。


 宇佐美は舌打ちしながら“宿敵”をバックミラー越しに睨みつけた。


「あの野郎……!

 いっつもいっつもくだらない“小遣い稼ぎ”ばっかりしやがって……!

 警察はもっと他にやることがあるだろうよ……!

 こんなカヨワイ一般市民捕まえて、いじめてんじゃねええー!!!」


「おお~!ウサギさん、いいね!

 気合が入ってるね!

 かあっこいい!」


 宇佐美は興奮状態冷めやらぬまま、何か過去の鬱憤でも振り払うかのように再度車の速度を上げる。

 エイジは隣でそれを煽る。

 後部座席で不安そうに、前の席と後ろのパトカーを交互に覗き見るニノマエとは対照的である。


 この街の大体の大通りでは、法定速度が八十キロに設定されている。

 即ち、速度計が九十キロを指し示すまでは、法定速度内であると言える。

 宇佐美の車が百キロ近くで走行していたとはいえ、誤差の範囲として見逃されることの方が多い速度だった。



 因みに、これはあくまで最高法定速度なだけで、六十キロ前後で走る車も多い。

 灰色や、灰色もよく利用する自動運転車は、基本的にあまりスピードを出さない。


 他の街では専用道路でしか見かけない速度で走ったとしても問題が起こりづらいのは、道幅が広くて追い抜きが容易であるからだ。


 今の時代『死亡事故』は発生しない。

 走り屋気質が多いこの街では、一般市民ですら『運転のストレス軽減』を謳い、州政府に規制緩和を訴える。

 その結果の一つが、他の街と比較して圧倒的に緩い法定速度だった。


 『死』という『最悪の結果』が無いこの世の“常識”。

 それは、少しも法を逸脱する気がない『善良な一般市民』に対してですら、多くの影響を与えていた。



「お、おい。

 今度の追手は警察だぞ?

 無茶をしなけりゃ撃ってきたりしないぞ?」


「僕、悪いことには全然興味がないんだけど……!

 一度警察車両とチェイスしてみたかったんだよねえ……!!!」


 ニノマエの心配する声に対する答えのように、宇佐美は十字路を美しい『アウト・イン・アウト』で左に曲がる。


 始めに、大きく道路の右側へ車の位置を取る。

 そこから左折時、コーナーギリギリのルートを走り、曲がる動作を最小限に曲がる。

 最後は曲がった先の道路、その右端に沿うように車体を安定させてライン取りを決める。


「全ての基本は『アウト・イン・アウト』!

 ライン取りで始まり!ライン取りで終わるってね!!!

 一流の走り屋はコーナリングで差をつけるッ!!!

 無闇矢鱈とドリフトなんてッッッ!

 素人のやることなんだよねえェ!!!!」


 レースサーキットでは基本的なテクニックだと言うが、反対車線を思い切り突っ切っているので当然、街中では危険運転、法律違反である。


「宇佐美お前マジで一旦落ち着かないかああああああ!!!?」


 不敵に笑う宇佐美。

 叫ぶニノマエ。

 大笑いしているエイジ。

 ウサギのぬいぐるみを抱いているシーカ。


 暴走車両は再度スピードをあげる。

 未だその走りを止める目途は立たない。

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