5-3:第1章

 ニュータウン東地区。

 この地区はマフィア、カモッラ、中華ギャング『トライアド』、北国出身の『ヴァンダ』、南方発祥の『エメ』といった多数の組織が勢力圏を持っている。


 この街でも過激派や武闘派の犯罪組織が集まった地区。

 それでも一応の均衡と秩序が保たれている。

 それは単純な話、下手にどこかに喧嘩を仕掛ければ、第三、第四の組織に漁夫の利を取られてしまうからという理由でしかない。


 東地区五大組織などと呼ばれることも多いが、ここに根を張っているのは決して五つの組織では収まらない。

 麻薬カルテルの『窓口』、ブラックマーケットの『元締め』、地下銀行の『本店』等、独自の“シマ”や“縄張り”を持たないが、東地区を本拠地としている大型犯罪組織は多い。


 そしてそのどれもが油断ならない“力”を持っていた。



 東地区がいかに犯罪組織と根深い関係にあったとしても、その分治安が悪い地区ということでは決してない。

 寧ろ『暗黙の了解』さえ守っていれば、一般市民にとっては他の地区よりも安全かもしれない。


 しかし降りかかるかもしれない『危険』を恐れるべきは、決して一般市民ばかりではない。


 犯罪組織に属している悪人達の方が、よっぽど危険と隣り合わせの日常を送っているのだから――――――



***



 東地区の1番地。東とは言っても、ニュータウンのほぼ中心辺りだ。

 そこにニュータウンで一番高く聳え立つ、超高層ビルがある。

 それがインペリアルレジデンス・ビル。

 総階数は丁度100階。


 ここはそのエントランスホール。


 ここら一帯を勢力圏に収めているのは、『カモッラ』と呼ばれる組織だ。

 そしてそのカモッラの構成員である男が一人、右往左往とエントランスホールの入り口近くを歩き回っている。


 少し色の入った丸眼鏡。

 小豆色にストライプのスーツをジャストサイズで着こなす。

 177センチの身長に、真っ白に脱色した髪をキッチリとしたオールバックにしている。

 見た目の年齢は30半ば程。

 普段ならば不敵に笑みを浮かべるような姿が似合うだろうに、現在彼の口元は引き攣るばかりだ。



 男の名前は『田島』あるいは『田代』『田野中』『田淵』『田辺』『田原』『田崎』『田沼』『田垣』……。

 とにかくそんな名前を使っていた。

 彼に本名はない。

 本人も自分のアイデンティティにさほど拘りのあるタチではなく、名前なんて自分かどうかがわかればいい。その程度に考えていた。

 仲間内で偽名ばかりしかないと困ると言われ、近しい人間には『デン』と呼ばせている。


 彼はカモッラの幹部候補生だ。

 厳密には幹部と名乗っていい立場にはあるのだが、彼の矜持がそれを許さなかった。


 このビル全体が、ボスをオーナーとして収入シノギを得ている、カモッラの『フロント企業表向きの職業』の一つだ。


 一応ホテル業がメインではあるが、旅行者などほとんど来ない街の性質上、高所得者向けの様々なサービスを行っている。

 このサービスの内、人気が最も高いものが『VIPサービス』である。

 このビル内に多種類ある『VIPルーム』と分類される部屋の『秘匿性』は、ニュータウン全体を見てもトップクラスだと言われている。


 カモッラ自身も幹部を集めた会合をこのビルで行っているほど。

 その『秘匿性』は、探られたくない腹を持つ人間からすれば得難い特性だった。



 このビルにはハイテクが多く使われている。

 歩く度に沈み込む絨毯。

 煌びやかなのに、目を疲れさせないインテリア。

 一見それらは全てアンティークを思わせるデザインではあったが、その一つ一つにAI制御された何らかのシステムが使用されている。


 例えば絨毯はホテル全体のセントラル空調と同期しており、春夏秋冬問わず一定の快適な温度になるように室温を調節している。

 寒ければ床暖房機能が働くのは勿論のこと。

 夏になれば材質が変わるレベルで絨毯の沈み込みが減る。

 外気の暑さに嫌気が差している所に『ふかふかの絨毯』など鬱陶しいことこの上ない、ということらしい。


 そのほかも高級感ある雰囲気を阻害しないように、けれどあくまでユーザーの利便性と快適さを第一にと考えられたハイテクが詰まっていた。

 このような『雰囲気のある』エントランスホールで、ここまでタッチパネルや立体映像式操作盤が多く見えるホテルは他にはないだろう。



 エントランスホール内の柱を囲むように投影された大ヴィジョン。

 直投影式の立体映像モニターは、厳かなホテルには無粋に思われる風潮があった。

 しかし先述の通り、決してホテルの雰囲気を損ねない微妙なバランスで配置されていた。


 その画面は入り口付近からでも無理なく見える。

 しかしそれは画面が非常に大きいわけではなく、配置や角度で、画面の大きさを補ってある形だ。

 

 音声は下品に感じない程度には絞られているが、入り口近くまで不足なく音が届いている。

 ビル内の厳かな雰囲気にあてられたか、そもそも色々な意味で“弁えた”お客様しかいないのか、ホール内はとても静かだ。

 聞かせるつもりがないのかと言いたい程に小さな音量で鳴るクラシック音楽以外に、靴音すら響かない。


 とにかく邪魔するものがないから、TVの音がよく通る。

 ヴィジョンに映し出されるTV番組は、手持無沙汰だったデンの意識に自然に入り込んでいた。


『今週の“ザ・ギャング”!

 毎週、ここニュータウンで活躍している有名ギャングをご紹介するこのコーナー!


 今週は“カモッラ”!


 ───クールな空色の瞳、色付き眼鏡にスーツ姿がトレードマーク!

 ───“ロマンスグレー”と形容すべき、銀に近い青の髪に、その紳士的な姿は、この街きっての“武闘派”ギャングのボスとは、良い意味で思えない!


 本日はそんな“ビアンキ・デ・ルカ”さんにお越しいただき、なななんと直接インタビュー、アンド大特集をしていきたいと思います!』


 民放だが契約しなくても視聴できるテレビ局の番組。

 そこにはデンのボスであるミスタビアンキが映っていた。


 この街では映画俳優やミュージシャンと同じくらい、ギャングは市民に人気が高い。


 勿論ただの無法者ならば、一般市民からの評価はそれ相応にしかならないだろう。

 『悪いだけではない』『クールな振舞いに大きな影響力』『敬意を持つべき偉大な人物』そんな“雰囲気”さえ感じれば、一般市民は勝手に理想像を当てはめて尊敬してくれる。

 きっと戦乱の世を生きた武将や戦士たちのように感じているのだろう。


 電子ニュースの向こうの世界。画面の中のフィクション。その程度にしか感じていない。

 “暴力”が直接力ない市民へと向けられることなど、滅多に起こることはないのだから。


 デンはミスタビアンキのインタビューをしばらく、睨みつけるように集中して視聴していた。

 彼のボスの声は低く、落ち着いていて、眠気を誘うほど耳障りが良い。

 歩んできた経験からなる“圧力”のようなものを感じさせ、その声は気が付けばいつもデンの頭へと勝手に浸透していく。


 そうして十五分ほどの試聴中、仮初の冷静さを取り戻していたところで、表に待ち人が現れた気配を感じた。


 黒い高級車。人に運転させる時には、いつもこの光沢が強い方の車を使う。

 自分で運転するならスポーツタイプの赤か、走行音の少ないマッドブラックのハイブリット車。


 逃避のようにそんなデータを頭に浮かべていると、呆けている場合ではないと空想を振り払いながら小走りで外へ出る。


 デンが車の傍まで寄ると、運転席から優男風の長髪を一部後ろにまとめた男が出てくるところだった。

 彼はカモッラのアンダーボス“花尾マルツェラ”。

 二人いる組織のナンバー2の内、その一人だ。


 そんな大幹部を使用人のように使い、後部座席のドアを開けさせたのは当然彼らのボス。

 先程TVに映っていた、“ビアンキ・デ・ルカ”その人であった。


「ようこそおいでくださいました!ミスタビアンキ!」


 必要以上に声を張り上げて挨拶を行うデン。

 ミスタビアンキは気に入った側近以外に名前で呼ばれるのは勿論、『ボス』と呼ばれることさえ嫌っていた。

 この街でそれを知らない人間はいない。

 ここ東地区で過ごしている人間なら特にだ。


 最大限を越えて気を配ろうと、デンの思考は目まぐるしく回っている。

 それがから回ってはマヌケなほど大きな声になって、両手を揉み合わせながらミスタビアンキに話しかける。


 揉み手は完全に無意識だった。

 なにか自分のキャラ作りを意識しているわけでもない。相手に与えたい印象を演出しているわけでもない。

 ただずっと手汗のような粘り気が、関節の溝や手指の側面にまとわりついているような錯覚に囚われ、なんとかそれを拭おうと手が動いてしまっていただけだった。


「ミスタビアンキ!先程あなたのインタビュー特集がTV番組で放送されていました!

 いや!いつものことながら、その言葉の重厚感には惹きつけられました!

 その内容もとても興味深く……。

 感銘を受け、もう思わず聞き入ってしまって!」


 口は勝手に動いている。果たして自分の放っている言語は、ちゃんと意味の成立する文章として出力されたのだろうか?

 デンはそんなくだらない、けれどなによりも重要な危惧を、結局確かめる術も思い浮かばないまま、口は動き続ける。


 彼のボスは何も返さない。

 デンに視線すら送らずに、後部座席から降りるとそのままホテルへと向かい歩き出してしまう。


「……っ!」


 その様子に『見捨てられた!』といった感覚に支配され、デンの表情筋は一つ残らず固まってしまった。


「なにも聞かずに、そのままボスに付いて行くといいよ」


 アンダーボスが掛けた言葉によって、ようやく時間が止まる魔法が解けた。

 

 デンはようやく自分が揉み手をしていたことに気が付き、自分が行うべき振舞いを思い出す。

 余計なことは言わず、背筋を伸ばし、顎を引く。


 自信など必要はない。

 必要なのは自信を感じさせる振舞いだ。


 そしてただ目の前の男の背中を追いかけて歩けばいい。


 歩みも視線も思考さえも、右に左にと忙しなく動き回っていた男は、もう間違えてはいけないのだと前を向きなおした。

 

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