5-4:第1章

 3人掛けの大きなソファに腰掛けるミスタビアンキ。 

 その左隣で、アンダーボス“花尾マルツェラ”も、後ろに手を組んで直立していた。


 現在この広い部屋には、壁際に置かれたこのソファ以外に家具はない。

 普段なら部屋を会議室らしくしていた長机も椅子も、今は床収納フロアストレージの中だ。


 当然、デンはソファに向かい合わせで、綺麗に腕を体の横にまっすぐ固定して立っている。


 二人と向かい合わせで立っていると、何かの面接を受けているようなビジュアルだった。



 インペリアルレジデンス・ビルの32階。

 数あるVIPルームの内、この部屋をカモッラがよく利用する理由は、特にないらしい。


 窓のない部屋。

 正しくは、窓を見つけるのが困難な部屋。

 窓の手前側からカーテンのようなシャッターが締め切られているため、広い部屋にも拘らず、酷く圧迫感を覚える。


 当然、シャッターを開く機能は備わっている筈だが、デンもこの部屋が開けている姿を見たことが無い。

 内装が隠れているわけでもないのに、構造がぼやけて見えずらいような、そんなどこか不明瞭な印象を覚える部屋だった。


 ワインレッドを基調とした内装は、今のデンの心境には少し目に悪い。

 『赤黒い』と言った方がイメージに合うだろうか。

 室内灯は十分に明るさを保っている筈だが、どこか薄暗く感じてしまう。


 数十名は軽く収容できる広さの室内に、上司二人と自分だけ。

 この部屋の全ての要素が、デンを息苦しくさせ、なんだか体調も悪くなってきたような気がしてくる。


「このホテル。無駄が多いとは思わんか?」


 この部屋で彼がソファに座ってから、体感で既に数分は経っていたように思う。


 本来ならば“返答は即座に”が基本である。

 だがようやく口を開いたミスタビアンキの言葉に、一体なんの意図があるのかとデンは必死に探し回ってしまう。


「無駄……ですか?」


 結局絞り出したのは当たり障りのないオウム返し。

 ならば初めから余計な思考時間を挟むべきではなかったと、激しい後悔がデンに襲い掛かる。


「ああ。無駄だよ。

 このホテルのエントランスホールに敷いてある絨毯。

 あれには季節や気温によって材質を自動で変える機能が備わっている」


「ええ……実に贅沢で機能性に富んだものかと存じます」


「そう……!贅沢なんだ……!

 あんな機能、本来無駄でしかないとは思わないかね?

 何故ならば、絨毯なんて季節ごとに変えればいいだけなのだから。

 どうせそのうち洗濯もしたくなるだろうしねえ?」


 重厚な声質で冗談っぽく語り掛けられると、反応に困ってしまう。

 デンにはまだ、これがただの世間話なのか、本題の前に置いたインターバルなのか判断が付かない。


 どちらにしても、『ただの世間話でおしまい』なんて、そんな雰囲気ではない。


「別に無駄が悪いって話じゃあないんだ。

 実のところ、私はあの無駄に高機能な絨毯を気に入っていてね。

 先程は『洗濯』なんて冗談めかして言ってはみたものの、ある程度の抗菌、自動洗浄機能は備わっているんだ。

 つまりは『交換の手間を出来る限り省いた絨毯』というわけだね。

 まあ、ウチのホテルではそれでもローテーションで定期的に洗浄を行ってるのだけどね?」


 足を組んで背筋を伸ばした、美しい姿勢で座っていたミスタビアンキは、少し前かがみになって上目遣い気味にデンを覗き込む。


「では、『無駄』と『贅沢』の違いはなんなのか?

 私はこれを、“大した違いなど、無いものなのではないか”……と思うわけだ。


 だってそうだろう?

 結局定期的に交換するのなら、別に高い金を払って高機能な絨毯を買わなくたっていい。

 季節ごとに気分を変えたりして、より高品質な物を買ってきた方が賢い選択だと思うんだよ。


 だがそうしないのはシンプルな理由だ。

 『私がそれを気に入っているかどうか』。


 ────たったそれだけの理由で、ウチのホテルではあの絨毯を採用している。


 つまり『贅沢品』というのは、素晴らしく非論理的な『エゴイズム』によって、その価値を担保されているのだと、私は考えているんだ」


 気が付けばデンは彼の話に集中していた。

 今までも真面目に聞いていたのは確かだ。

 話を真面目にとしていた。


 しかし今のデンが感じているのは本を数ページ読み続けた時の、次の文字を流れるように追っていく感覚。

 そんな自然な集中を産み出したのは、間違いなくミスタビアンキの話術によるものだろう。


「さて、私は私の『組織』や『部下』なんかも、これに当てはまることが多くあると思っている。

 私の場合、『自分では出来ないから人に任せる』、その為に部下を雇う……なんて、そんなケースが殆どないのだ。

 自慢のようになってしまうがね。


 自分一人だと手が足りない。

 これは大いにあることだ。

 私の両の手が届く範囲は、残念ながら限られている。


 なら『言われたことを正しく行えれば、人手など誰だって構わない』のか。

 ────これには頑として違うと言いたい」


 一枚一枚、ページを捲るような演説。

 低く渋く重たい声。

 その耳障りの良い音色で紡がれる、明確な『自分』を持った言葉。


 『カモッラのボスは話が長い』と揶揄する他所の人間もいるが、デンはこの重たい語り口を好ましく感じていた。


「私にとって、部下とは『贅沢品』なのだよ。


 つまらない拘りはほどほどにして、有能さと勤勉さと従順さ、これらを基準に、優れたものだけを部下にしていけば、それはそれは素晴らしい組織となるだろう。


 だが私はそれでは満足できないんだ。


 有能なだけでは、従順なだけでは、私にはただの『無駄』なものなんだ。


 金を稼げばそりゃ偉い。

 敵を減らせばそりゃ嬉しい。

 でも違うんだ。


 私は私自身のどうしようもないエゴイズムで、それだけで人を見て、判断し、選ぶ。

 特に、私の傍に置く幹部達くらいは『贅沢品』だけに固めようと決めている。


 ……なあ……デンよ……そう言えば……

 

 貴様……今少し、『無駄』なことをしていないか?」


 デンの額から汗が噴き出る。

 前で組んでいたはずの手の震えが止まらなくなる。

 震えるあまり、自分は今ちゃんとした姿勢で立って、ちゃんと手を組めているのかもわからない。


 心当たりはある。

 まさに今日“日雇い”共を雇って運ばせているブツ。

 あれの中身も知らず、私は金払いの良さだけで安請け合いした。


 ああ。だからアンダーボスが二人して様子を見に来ていたのだ。

 面倒見の良い二人のことだから、大して重くとらえてはいなかった。

 けれどアレは報告のための監視。


 ────花尾マルツェラは無言のまま、黒い手袋を両手にはめている。


 ああ、そうか。私はミスをしたのだ。

 功を焦って、彼を失望させる『無駄』を産み出したのだ。

 ミスタビアンキが直々に、『苦言』を呈しに来るほどの――――――


「デン。私は悲しいよ。デン。

 私はお前のことを気に入っていたんだ。

 だから――――とても、かなしいよ」



***




 ヘイウッド&ハイランド“スクエア”駐車場。

 パンクな見た目の少女は、ようやく探し求めていた人物を見つけた。


「りぃだぁ……りぃだぁ……!!!」


 なんどもなんども揺さぶっているが、その肉塊からはなんの反応も帰ってこない。


「りぃだぁ……なんでこんなことになっちゃったの……?

 すごく……すごい……痛そうだよ……」


 元々赤かったパーカーは、滲み出てくるどす黒い赤色で斑点を付けていた。


「いま……すぐに、お医者さんに連れて行ってあげるからね……!」


 少女は肉塊をきゅっと抱きしめると、そのままお姫様抱っこの要領で持ち上げる。


「ぜったい……ぜったいに……ゆるさない!!!

 マフィアは……!みなごろし……!!!」


 周りで倒れているスーツ姿の男たちを踏み越えて、少女は理不尽な怒りに燃えていた。

 その感情は、エゴイズム以外のなにものでもなかった。

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