第16話 騎士の進言


 霧生きりうが国王陛下と偽って彩弓あみと密会した翌日。


 霧生は妹がいる病院に向かいながら、複雑な気持ちでため息を落とす。


 霧生に国王陛下のふりをして彩弓を落とすよう指示したのはルアだが——実際は、霧生自身が彩弓にのめり込んでしまいそうだった。


 本当は怖くて震えているクセに強がって逃げない彩弓を愛おしく感じてしまったのだ。


 甘い罠にかかったのは彩弓ではなく、霧生自身だった。

 

「あの目は反則だろ」

 

 無垢で好戦的な瞳は、無自覚にも霧生を誘っているように思えた。

 

 彩弓が国王陛下に心酔していることは周知の事実なため、敬愛を恋愛にすり替えるのは簡単だと思っていた。

 

 だが彩弓は霧生のキスに酔いしれることはなく、恐怖を感じているようだった。


「俺が偽物だからか? 本物の陛下だったら、受け入れたのか?」


 霧生は今日何度目になるかわからないため息を吐く。


 おそらく彩弓は再び霧生の元にやってくるだろう。


 どんなに恐ろしい状況でも逃げない、それが団長なのだから。


 向こう見ずな姿勢は、前世では良いことだったが、今の彩弓には良くない傾向だと霧生は思う。

 

「陛下のためならなんだってできるんだろうな」


 ただそれはあくまで相手が陛下ならば、だが。


 もしすべてが嘘だと知った時、彩弓はどれほど屈辱に思うだろう。


 一生消えない傷を抱えることになるかと思うと、霧生は頭が痛くなった。


「あの女を殺してやりたい」

 

 ふと、不穏な言葉が口をついて出る。


 前世でも霧生は王族のために働いていた。


 暗殺から国王の影武者まで、あらゆる仕事を担っていたが、絶望の淵から救ってくれたのは団長だった。


 団長はウンギリーの経歴を知った上で騎士にスカウトしてきたのだ。


 平民の、それも貧しい家に生まれたウンギリーにとって、団長は太陽のような人だった。


「その恩を仇で返すことになるとはな」


 霧生は悔しさを噛み締めながら、妹が待つ病院の入り口をくぐった。






 ***






「ねぇねぇ、きいた?」

「なんの話?」

彩弓あみさんの本命って、実は大学生らしいよ」

「そうなの? じゃあ、伊利亜いりあくんや尚人なおとくんは?」

「その二人とは遊びなんだって」

「そうなの? 彩弓さんってそんな人だったんだ……ショックかも」


 彩弓あみのことで霧生が悩んでいた頃、学校ではとある噂が広がっていた。


「噂がどんどんおかしな方向になってるね」


 女子たちの内緒話に耳を傾けながら、たけるは難しい顔をする。


「彩弓の本命はオレなのに、みんな誤解してるよ」


 尚人の言葉に、伊利亜は呆れた顔をしていた。


「尚人先輩の頭はどうなってるんだ」

「本当だよ。彩弓の本命は僕なのに」

 

 指摘する健だったが、伊利亜は遠い目で健を見る。


「……」

「ちょっと伊利亜、変な顔しないでよ。冗談なんだから」

「でも大学生っていうのが気になるね。昨日は確かに霧生先輩のところで彩弓を見たけど」


 尚人が考えるそぶりを見せると、健は推測する。


「霧生先輩とは、たまに体育館倉庫で会ってるみたいだから、それを見た人がいるんじゃない? それにしても悪意のこもった噂だよね」

「でも霧生先輩の昨日の発言も気になるよね。彩弓を守ってくれだなんて、先輩らしくもない」

 

 尚人が首を傾げる中、健も唸りながら考える。


「そうだね。なんだか追い詰められてるような顔をしてたけど、彩弓は一体先輩に何を言ったんだろう」

「おい、噂をすれば」


 伊利亜が声をかけると、健と尚人は廊下の先に現れた人物に視線をやる。


 彩弓は健たちの元にやってくると、清々しい顔で訊ねた。


「よう、お前たち。ちゃんと勉強してるか?」

「ああ、彩弓。テスト前だから勉強くらいしてるよ」


 健が答えると、彩弓はぎょっとした顔をする。


「え……皆勉強してるのか?」

「声をかけた本人がしてないのかよ」


 伊利亜が呆れた声を放つと、彩弓は指を合わせながら口を尖らせる。


「……勉強は前世の頃から苦手だったんだ」

「そうだね。彩弓ってわりと脳筋だから」


 尚人の指摘を、彩弓は否定しなかった。


「それはそうと……伊利亜に用があるんだが」

「なんだ?」

「二人きりで話したいことがあるんだ」


 彩弓が真面目な顔で告げると、健が大袈裟に驚いてみせる。


「ええ!? まさか彩弓が伊利亜に告白!?」

「私が何を告白するんだ」


 きょとんと目を瞬かせる彩弓に、健はうかがうように訊ねる。


「愛の告白?」

「そんなことではない。真面目な話だ」


 腕を組んで堂々と告げる彩弓に、尚人が食い下がる。


「じゃあ、二人きりで何を話すのさ」

「まあまあ、どうせ頭突きの練習に付き合ってくれとか、そういう話だと思うから、嫉妬するのはやめよう」


 健がフォローするもの、尚人は納得できない様子だった。


「頭突きの練習なら、俺が付き合うよ」

「尚人、それ本気で言ってる?」


 呆れた声で言う健に、尚人は少し考えてかぶりを振る。


「いや、やっぱりやめとく」

「とにかく、伊利亜との用事が終わったら、あとでまた音楽室においでよ」


 健が音楽室に誘うと、彩弓は素直に頷いた。






 ***






「それで、用っていうのはなんだ?」


 伊利亜を階段の踊り場に呼び出した私——彩弓は、ドキドキしながら伊利亜と対峙していた。


 これからお願いすることを思うと、なぜか緊張して声が強張った。


「こ、これはお前にしか頼めないことだ」

「なんだ?」


 首を傾げる伊利亜に、私は何度もシミュレーションしながら唸る。


「だが、やっぱり……うーん」


 私のお願いを伊利亜が承知してくれるとは思えず、なかなか切り出せなかった。


 その間にも伊利亜は苛立った様子を見せる。


 気の短い伊利亜だからな、業を煮やすのは致し方ない。


 ここは早く言ってしまいたいところだが……なかなか口が開かなかった。


「なんだよ、はやく言えよ」

「お、お前に頼みごとがあるんだ」

「それはさっき聞いた」

「頼みごとって言うのはな……」

「ああ」

「接吻の練習に付き合ってほしいんだ」

「ああそうか……って、はあ!?」

「お前なら、一度したことがあるから、大丈夫かと思ったんだが」

「ちょっと待て、その考えに到るまでの話を聞かせろ。お前のことだから、つまらんことを考えてるんだろ?」

「いや、つまらんことなどではない。これは最重要事項の国家機密だから、誰にも言うなよ」

「言うわけないだろ。こんなこと……国家機密ってなんだよ」

「私はどうやら、接吻に対して恐怖心があるようなんだ。だからそれを克服する手伝いをしてくれないか?」

「それ本気で言ってるのか?」


 怒りを滲ませた声に、私は少しだけビクリとする。


 伊利亜が本気で怒っているのがわかった。


「あ……ああ」


 接吻の練習がしたいというのは本気だったが、伊利亜に強く問われて、なんだか気まずい気持ちになった。


 陛下にこれ以上失態を見せたくなくて、伊利亜に頼んだわけだが、情けないと思われたのかもしれない。


「い、嫌だったらいい……他のやつに——」

「他のやつに言うのはやめろ」

「え?」

「健先輩たちが聞いたら卒倒するぞ」

「なぜだ?」

「本当にお前は!」


 伊利亜は怒りをあらわにして、私に詰め寄った。


「いいか、前世がオヤジだからって、同じような感覚で物事を考えるな。お前が自分を粗末に扱えば、悲しむ連中がいるんだ」

「自分を粗末になんて……」

「だったら、さっき言ったことは取り消せ」

「だがこの恐怖心を、どうしても克服しないといけないんだ」

「何に対する恐怖心だ? ——いや、誰に対する恐怖心だ? 俺以外の誰かにキスされたんだな?」

「……そ、それは」

「霧生先輩か?」

「いや、違う」

「じゃあ、誰なんだよ」

「お前の言いたいことはわかった。だからこれ以上は勘弁してくれ。私も自分のことでいっぱいいっぱいなんだ」

「霧生先輩が言っていた意味がわかった気がする」

「何のことだ?」

「お前は今のままじゃだめだ」

「接吻ごときで怖気付く情けない私を、見損なったか?」

「ああ。お前も、俺も、お前に恐怖を与えた奴も、だ。俺も簡単にキスなんてするんじゃなかった。接吻ごときなんて言うな」

「伊利亜……」

「いいか、男は魔物とでも思っておけ。前世のお前のように純粋な人間はそうそういないんだ」

「魔物……」

「もし仮にお前の姉が好きでもない魔物にキスを迫られたらどう思うんだ?」

「そ、それは…全力で阻止する」

「そういうことだ」

「そう……か……だが、私は」


 陛下が「自分の気持ちを考えろ」と言った意味がようやくわかった気がした。


 自分の気持ちはまだわからないが、きっと自分を大事にしろという意味に違いない。


 だが、前世で陛下に迷惑ばかりかけたことを考えると、やはり陛下を受け入れたいと思った。


「わかったなら、泣くな。あとで俺があいつらに怒られる」


 気づくと私の目からポロポロと涙がこぼれ落ちていた。


 前世と違い、涙腺の弱い体になってしまったようだ。


 無理やり止めようとすると、余計に涙が止まらなかった。


「すまない。今日は格好悪いところばかり見せてしまった」

「本当に……お前には呆れた」

「だが、伊利亜がいて良かった」

「……そう言うことを言うから、勘違いするやつも出てくるんだ」


 伊利亜は困った顔をしながらも、少しだけ嬉しそうな声をしていた。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る