第17話 足掻く
霧生が国王と偽って彩弓と会った五日後——木曜日の夜。
いつものように妹の病院に向かうため自宅マンションを出た
「霧生先輩、ちょっと顔貸してくれませんか」
現れたのは、ウエーブがかった髪をした
「グクリア?」
「今は伊利亜です」
「何の用だ」
「言わなくてもわかりますよね?」
「……」
「少なくともあんたが関わっていると俺は思ってる」
「……なんの話だ? じゃあ、俺は急ぐから——」
霧生は無視して通り過ぎようとするが、伊利亜はそうはさせず。頑として前を退かなかった。
「とぼけるなよ。団長に何を吹き込んだんだ? もしくは、何かしただろ? 団長をあんな風にしておいて、逃げるのか?」
「俺は知らない。何もしていない」
「あくまで言わないつもりか」
「お前が何に対して怒っているのかはわからないが、八つ当たりにもほどがあるな」
「……見損なった」
「初めから俺は期待されるような人間でもないが、知らないものは知らない」
「これでも俺はあんたのことをずっと、尊敬していたんだ」
「はは、あのグクリアが尊敬という言葉を知ってるとはな」
「茶化すなよ」
「悪いが俺はお前の相手をしている暇はないんだ」
「団長にキスして後悔してるクセに」
「なにを言ってるんだ」
「したんだろ? 団長に」
「してない」
「あいつが怯えて泣いていたんだ」
「怯えて……?」
「そうだ。それでも強がってはいたが」
「そこまで……嫌だったのか」
「やっぱりあんたか」
「……かまをかけたのか?」
口を滑って出た言葉を引っ込めることができず、霧生は顔色を変える。
「ああ。だが泣いていたのは本当だ。あいつをあんな風にして……あんたが相手じゃなかったら殺してたぞ」
「すべてが丸く収まるなら、それもアリだな」
「あんた……それ、本気で言ってるのか?」
伊利亜は拳を握るもの、大きく息を吐いて気持ちを鎮めた。
そして霧生を睨みつける。
「いいか? あんたがどういう目的で団長に手を出したかは知らないが、あいつはあいつなりにあんたと向き合おうと必死なんだ。だから、あんたもあいつと向き合ってやってくれ」
「ふっ……グクリアとは思えない言葉だな」
「逃げるなよ」
「俺は逃げてなんかいない」
「逃げてないなら、どうしてこそこそ手を出したりするんだよ。堂々としてろよ」
「お前にはわからないだろうな……なんでも持ってるお前らには」
「なんだよ、今度は他人と比較して悲劇ぶるのかよ」
「幸せなことだな」
「あんたは幸せになる努力をしたのか?」
「それはどん底を知らない人間の言葉だな」
「俺は確かにあんたのことをなんでも知ってるわけじゃない。……だが過去のあんたは確かに強かった。だから団長もあんたを騎士に欲しがったんだろ」
「強ければ良かったあの時代とは違うんだよ」
「何が違うっていうんだ。俺はどんな状況でもギラギラして足掻いて這い上がるあんたを尊敬していたんだよ」
「……俺はお前が思うほど綺麗な人間じゃないんだよ」
「そんなこと、知ってる」
「話はそれだけか?」
「……」
「言いたいこと言って、それで満足か?」
「……ああ。よくわかったよ。あんたがもうウンギリーじゃないことを」
***
休日の朝に霧生先輩の弟と再び会う約束をした私——
……よし、どうやら尾けられてはいないようだ。
誰にも見つかることなく霧生先輩の部屋まで来た私は、緊張する体を落ち着かせてインターホンを押す。
すると、やはり霧生先輩によく似た顔が、私を出迎えてくれた。
「……陛下」
「ああ、よく来たな団長」
霧生兄弟の部屋は相変わらず何もなかったが——チェストの上に伏せてある写真立てが気になった。
私がなんとなく写真立てを持ち上げようとすると、先に陛下の手が伸びて、写真立てを持っていかれてしまった。
陛下にも色々あるのだろう。私としたことが、余計なことをしようとしてしまった。
だが陛下はそんな私を咎めることはなかった。
私は覚悟を決めて、陛下と向き合って告げる。
「あの……この間はろくに挨拶もせずに帰ったりして……すみません」
「いや、余も急ぎすぎたのだ。それで……そなたの気持ちは決まったのか?」
気持ち——と、言われて私は息をのむ。
陛下への気持ちは最初から変わらない。
だからこそ——。
「……はい。私は陛下にどこまでもお供いたします」
「そうか」
霧生弟は再び私に顔を近づけてくる。
さすがに何度も経験して、彼が何をしようとしているのかはすぐにわかった。
——が、しかし。
「陛下、失礼します」
——ドカッ!
霧生弟の顔が間近まで近づいたところで、私は勢いよく頭突きしたのだった。
「あんたは——じゃなくて、そなたはなんということを!」
頭突きをまともに食らった霧生弟は、動揺した様子だったが——私は至って冷静に告げる。
「陛下のためであれば、どんな汚い仕事でもこなす自信はありました。しかし、今は時代も違いますし、私が軽率に動けば悲しむ連中がいるのです。こういうことは、やはり好き合う者同士がやるべきことだと、私は悟ったのです」
「そなたは……余にすべてを捧げてはくれないのか?」
「陛下は以前おっしゃいました。私が心から敬愛する相手を見てみたいと。陛下はとても慎重で優しい御方でした。決して他人の気持ちを試すような方ではなかった。だがあなたは——違う」
「違う……何が違うというのだ?」
「確かに、物腰から仕草まで完璧なまでに陛下だった。だがあなたは、陛下の本質をわかっていない」
「どういう意味だ?」
「私は陛下に会えた嬉しさが先走って、何も見えていなかったんだ。だからあなたが陛下じゃないことにも気づかなかった」
「余が国王ではないと申すか?」
「本当に、声の調子までよく似ている。だが、考えてみれば、あいつならそんな風に陛下のふりをすることも簡単だってことを思い出した」
静かな部屋で、固唾をのむ音が響いた。
相手の緊張感がこちらにまで伝わってくる。もう、迷いはしなかった。
「なあ、ウンギリー。お前はどうして陛下のふりなんかしているんだ?」
「……団長」
「何か事情があるんだろう? 争いを嫌い、昼寝ばかりするようなやつが、こんなことをするなんて……どう考えてもおかしいだろ」
「……いつから」
「ん?」
「団長はいつから気づいていたんだ?」
「気づいたのは、つい先ほどのことだ」
そうだ。陛下はこんな人を試すようなことはしない人なのだ。王妃を大切に扱っていた姿を見ていたはずなのに、どうして今まで気づかなかったのだろう。
おそらく自分が女だという意識がなかったせいだ。
考えてみれば、陛下はとても奥手だったのだ。
それを知っているのは私だけなのだが……。
私が一人納得していると、霧生先輩は唇を噛み締めたあと、苦々しく告げる。
「あんたは……どうしてこうも予定を狂わせてくれるんだ。ここで落ちてくれれば、手荒な真似をせずに済んだのに」
「陛下のふりをしたのは、私を喜ばせるため……ではなさそうだな」
「本当に、どこまでお人よしなんだ」
霧生先輩は、
「あんたを落とすことができないなら、死んでもらうしかない」
「その短剣は……あの不審者が持っていた物じゃないか? まさか霧生先輩が……?」
「……」
無言の肯定。
だが霧生先輩の手は、震えていた。
「そういえばウンギリーは変装が得意だったな。あの大男を、誰もウンギリーだとは思うまい」
「団長は……俺が怖くないのか?」
「そうだな。私に接吻を迫ってきたお前のほうがよほど怖かったぞ。あの時は本気の目をしていたが……今のお前に殺気なんてひとつもないからなぁ。虫も殺せないんじゃないか?」
私がからかってやると、霧生先輩はため息をついて、短剣を持つ手をおろした。
「あんたにキスなんてするんじゃなかったな。こんな気持ちで、殺せるわけがない」
「違うな。お前はもともと殺すつもりなんてなかったんだ。殺さない理由を探していただけなんじゃないのか?」
「この間は、雨に濡れた子猫のように震えていたくせに、すっかり元の団長に戻りやがって」
「お前はこのままでいいのか?」
「いいわけがない。このまま何もしないなら……いっそ俺が死んで保険金でも——」
途中まで言って、霧生先輩は固まった。
「どうした?」
「いや、そうか……そうだった」
霧生先輩は何かを納得したように、同じ言葉を繰り返した。
その目はギラギラと光を放って、窓の外に向いていた。
「団長、悪い。俺にはやることがあるから、あんたを殺すのはやめとく」
「そうか。それは良いことだ」
私が目を丸くしていると、ふいに霧生先輩に抱きしめられる。
「俺はもう一度這い上がってくるから……その時は、今度こそあんたのそばにいさせてくれ」
「——わかった。お前が足掻いて這い上がるのを待っているからな」
理由は聞かなかったが、それでも霧生先輩が何かに巻き込まれているというのなら、手を貸すだけが団長の仕事ではない。時には温かく見守る姿勢も必要なのだ。
そんな風に私が気持ちを固めていると、霧生先輩は背中を見せてひらひらと手を振りながら玄関に向かう。
「じゃあな、団長。他のやつらのことも俺がなんとかするから、安心して帰ってくれ」
「わかった」
私は霧生先輩が何かを覚悟する姿を見届けたあと、マンションをあとにした。
***
霧生先輩との密会も終わり、清々しい気持ちでマンションを出た私だが——エントランスを出たところで、私は近くの軒下に向かって声をかける。
「お前、いつからそこに?」
「……その顔、霧生先輩の件は落ち着いたのか?」
クールな伊利亜は相変わらずそっけない態度をしていたが、その言葉には心配が滲んでいた。
「お前、知ってたのか?」
「いや、何があったかは知らないが、まあ団長ならなんとかするだろうと思った。それに霧生先輩もな」
「お前は本当にいいやつだな」
「気持ち悪いことを言うなよ」
「あと、不審者はもう出ないと思うから、送り迎えはいらないぞ」
「はあ? どういうことだよ」
私が告げると、伊利亜は怪訝な顔で私を睨みつけたのだった。
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