第15話 誘惑


 休日の正午。


 霧生きりう先輩の紹介で、国王陛下と会う約束をした私——彩弓あみは、制服で自宅リビングをうろうろしていた。


 国王陛下と会えると思うと、嬉しい反面、落ち着かなかった。


 そんな挙動不審な私を見て、姉さんが困惑気味に口を開く。


「彩弓ちゃん、その格好で出かけるの?」

「なんだかんだ、制服が一番落ち着くんだ。じゃあ姉さん、行ってくる」

「ちょっと待ちなさい、せめて私服で——」


 姉の言葉が終わる前に、私は家を出た。姉の着せ替え人形をしていたら、いつまでたっても外には出られないので、逃げるしかなかった。


「ああ、国王陛下かぁ……ドキドキするなぁ」


 それから私は、胸を躍らせながらマンションを飛び出すと、閑静な住宅街を抜け、道路橋を駆け抜ける。道路橋から見えた川は、なんだかいつもより輝いて見えた。

 

 そして寂れた街に差し掛かると、周囲の建物を確認する。


 この辺りに霧生先輩のマンションがあると聞いていたが——それよりも気になることが一つ。


 私が霧生先輩のマンションを探す間、何か視線のようなものを感じていた。


 ……が、今日は特別な用事があるので、気にしないことにした。


 これでも団長だ。たける尚人なおと伊利亜いりあの尾行に気づかないわけがない。


 あいつらが何を考えているのかは知らないが、少し心配性だからな……もしかしたら、休日でも大男たちが現れることを心配しているのかもしれない。


 なら、気の済むまで尾行させてやろうじゃないか。

 

「おお、あのマンションか」


 私は健たちの尾行をそのままにして、古いマンションに入った。


 そして三階まで階段を一気に駆け上った私は、一番端っこのドアについているインターホンを押すが——。


「入れ」


 出迎えたのは、霧生先輩そっくりの若者だった。双子というだけあって、メガネと赤い髪以外は霧生先輩そのもので——ただ、纏う空気は別だった。


「よく来たな、団長」

「あなたが……国王陛下、なのですか?」

「……ああ」

「霧生先輩の双子の弟というだけあって、よく似ている」


 私が素直な感想を述べると、陛下は軽く目を泳がせた。


「こうやってまためぐり合えるなんて夢のようです、陛下」 


 私は嬉しさのあまり、陛下の胸に抱きついていた。


 途端、陛下は一瞬ぎょっとしたもの、おそるおそる抱き返した。


 我に返った私は、慌てて霧生先輩の弟から離れる。


「ああ、申し訳ない。嬉しさが爆発して不躾なことを」

「いや、違うんだ。まだ少し、混乱しているのでな」


 霧生先輩の弟はメガネの中心を押し上げて苦笑する。

 

 その雰囲気が陛下によく似ていた。


「ずっとお会いしたかった……ですが、陛下は会いたくなかったのではありませんか? 私のような罪人に」

「いや、違う。余はあの時、そなたを助けることができず……ずっと悔やんでおったのだ」

「悔やむなどとんでもない。陛下は私に甘すぎます」

「団長の未来を奪ったのは余だ。恨まれることはあっても、会いたいなどと思われることはないと思っていた」

「私は死んでも陛下の騎士です。せっかくこうやってめぐり会えたのですから、今度こそあなたをお守りいたします」

「死してもなお騎士をとるのか。だが今の世で何を守るというのか」


 霧生先輩の弟は微笑みながら、私の顔にそっと触れた。


「このようなか弱いなりをして、何が守るだ。そなたはもはや守られる存在ではないか」

「陛下、それは性差別です。今の私にだって、陛下をお守りすることはできます」

「それは本当か?」

「もちろんです」


 霧生先輩の弟はふっと笑みをこぼすと、私にそっと口づけた。


 不意打ちに反応することさえできなかった私は、ただ呆然と陛下の唇を受けとめていた。


「だめだな、これは」


 ふともらした陛下の呟きは、どこか切羽つまったものだった。


 そのうち霧生先輩の弟は、ゆっくりと私から離れていった。


 ——と思えば、再び口づけられる。


 深くなる口づけに、思わずあとずさるが、逃げるに逃げられず、私はただじっとしていた。


「……誘惑するんじゃなくて、されてどうするんだ。俺は」

「陛下?」

「いや……」

「お、終わりですか、陛下。私はしょぼい団長などではありませんから、接吻などではひるみません」


 言いながら、震えが止まらなかった。


 陛下相手に怖いと思ったのはこれが初めてだった。


「今のそなたが危険だということはよくわかった」

「陛下?」


 陛下は悔しそうな顔をして、私の手を握りしめた。その陛下の辛そうな顔を見ていると、私まで胸が痛んだ。


「陛下、どこか痛いですか? お辛いのでしたら言ってください」

「いや……そなたには関係のないことだ」

「え?」

「悪かったな、妙なことをして」


 さきほどまで辛そうな顔をしていた陛下が、何事もなかったように冷たい顔をする。


「そなたは余を守ると言ったが……そのように震えた手で何を守ると言うのだ?」


 何もかも見透かすような目で見られて、私は焦りを覚える。

 

 伊利亜の時はこんな風にはならなかったのに……陛下のことがどうしてこんなに恐ろしく感じるのだろう。


 懸命に自分をなだめても、震えはいっこうに止まらなかった。


「もうよい、今日は帰ったほうがいい」

「へ、陛下……私は大丈夫です」

「何が大丈夫だ。そなたは一度、自分の気持ちと向き合ったほうがいい」

「自分の気持ち……?」

「そなたが本当に余を心から必要とするなら、また来ればいい。だが生半可な気持ちで近づけば、お互いに傷つくだけだ」


 陛下は言って、困った顔で優しく笑った。


「陛下はやはり、お優しい御方だ」


 ようやく震えが止まった私は、あらためて陛下の優しさに感動していた。


 おそらく先ほどの口づけも、私を試したに違いない。


 未熟な私はただ震えることしかできなかったが、私の覚悟がどれほどのものかを見たかったのだろう。さすが陛下である。


 私が一人で納得していると、陛下は微妙な顔をしていた。


「わかりました陛下。次に会う時までに覚悟をすればいいんですね。陛下を守れる人間になれるよう、何があっても動じない強い人間になってまいります!」

「は?」

「では、今日のところはこれで失礼します」


 私はそう言って、陛下の元をあとにした。




「あ、彩弓が出てきた!」


 私がマンションを出ると、建物の影に身を潜めていた健が頭をのぞかせた。


 相変わらず、詰めの甘いやつらだ。今度改めて尾行というものを教えてやらんといけないな。


「彩弓、なんか異様に楽しそうじゃない?」


 尚人がこちらを見て、何か言っていた。


「顔は真っ赤だがな」

「まさか、誰かとマンションでデートしてたのかな?」


 伊利亜の言葉に、尚人が何かブツブツと言っていたが——。


「よう、お前たち! こんなところで会うとは奇遇だな」


 とうとう耐えきれなくなった私は、気づくと皆の前に飛び出していた。


「いつの間に」


 私が満面の笑みを向けると、伊利亜は驚いた顔をする。


 だが健は何か怪しいものでも見るような顔をして言った。


「なんだか楽しそうだね、彩弓」

「ああ。……ちょっとな」


 陛下が住んでいるとは言うわけにもいかないので、私が言葉を濁すと三人にじっとりと睨まれた。


「誰と会ってたの、彩弓?」


 尚人は直球で聞いてくるが、それよりも私はさきほどの陛下のことを思うと堪らなくなって——。


「お前たち、ちょっと頭を貸してくれないか?」

「え? ちょ、ちょっと彩弓!?」


 そう言ってあとずさる健を含め、三人に頭突きして気合いを入れなおした私は、清々しい気持ちでその場を立ち去ったのだった。






 ***






「なんなんだあいつは……」


 彩弓がいなくなったマンションの前で、倒れていた伊利亜がゆっくりと上半身を起こす。


 続いて尚人も重たそうに身を起こした。


「うーん。なんだか釈然としないなぁ」

「だよね……いてて」


 健も同意する中、ふいに伊利亜が早口で告げる。


「おい、隠れろ」

「どうしたのさ、伊利亜」


 健が目を瞬かせる中、尚人はマンションから出てきた人物を見て瞠目する。


「え? 霧生先輩?」


 霧生の登場に、三人が怪訝な顔をする中——その視線に気づいた霧生が、健たちに近づく。


「ここって霧生先輩のマンションなの?」


 尚人が声をかけると、霧生は肯定する。


「そうだ」

「もしかして、今まで彩弓が一緒にいたのって……」


 健は推測するが、霧生は無言で顔を伏せた。


 そんな霧生を見て、伊利亜も口を開く。


「あいつは楽しそうだったが、あんたはそうでもなさそうだ」

「先輩だけ彩弓と二人で密会なんてズルい」


 尚人が口を膨らませていると、そのうち霧生は静かに告げる。


「お前たち」

「なんだよ」


 伊利亜が睨むように見返すと、霧生はまるで後悔するような表情をして言った。


「頼む、団長のことを守ってやってくれ」

「言われなくても、僕たちが彩弓を守るよ」


 健は断言するが、霧生はかぶりを振る。


「このままじゃダメだ」

「先輩?」


 尚人が首を傾げる中——霧生は「頼む」とだけ告げて去っていった。


 そのあまりにも悲し気な背中に、誰も声をかけることはできなかった。





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