第27話 友梨香
土曜日の午後。
不登校ながらも
「うーむ……数学がさっぱりわからん。数学以外もまったくわからないが……とりあえず答えを全部x≧aにしておけば、一つくらいは当たるだろう」
なんて、ズルを考えていたら、リビングのほうから騒がしい声が聞こえた。
「誰か来たのか?」
客でも来たのだろうか。
家にあまり人を呼ばない姉の客というのが気になった私は、ドアの隙間からこっそりリビングを覗いてみる。
すると、意外なメンバーがコの字ソファを占領していた。
姉を囲むようにして座っていたのは、
「お姉さんはなんのお仕事をしているんですか?」
そう訊ねたのは、
「S会社の総務だけど、秘書みたいなこともしているわ」
姉が嬉しそうに答えると、健は大袈裟に驚いてみせる。
「S会社って、大企業の? 忙しそうですね」
「そうでもないわよ。定時に帰ることだけを考えて仕事してるの」
「定時で帰れるものなんですか?」
「色んな人の弱みを握っているから、気持ちよく定時に帰っているわ」
「さすがお姉さんですね」
尊敬のまなざしを向ける健を見て、私はたまらずリビングのドアを開く。
「なんだこれは!? どういう状況なんだ? 姉さん! これはいったい——」
騎士団を脱退した以上、騎士たちには声をかけづらいので、とりあえず姉に声をかけてみた。
すると、姉だけでなく、騎士たちが私を凝視する。
「あら、彩弓ちゃん。今日は出かけないの?」
「……ああ、課題をしているから」
「答えを全部x≧aにするのはやめなさいよ」
「どうして知っているんだ!?」
「リビングのゴミ箱からテストの答案が出てきたわよ」
「姉さん、ゴミを漁ったのか!?」
「ゴミ箱をひっくり返しちゃったのよ」
「ううう……父さんや母さんには言わないでくれ」
「だったらちゃんと頭を使いなさい」
騎士たちの前で、なんて話をするんだろう。これでは赤っ恥ではないか。
恥ずかしさのあまり私がゆでだこになっていると、健がクスクスと笑いながら声をかけてくる。
「良かったら、僕が勉強を教えましょうか? 妹さん」
「い、妹さんとはなんだ」
「だってキミ、
「私は騎士団を抜けたんだ、お前たちに教えてもらうわけにはいかない」
私は恥ずかしさを振り切って自室に戻る。
私がいなくなった直後、リビングからドッと笑い声が響いた。
「なんなんだ……あいつら」
騎士たちに声をかけることができない私は、仕方なく机に向かって教科書を開くが——。
「あ……ダメだ、眠くなってきた」
「お前……教科書を開いて三秒で寝るのか」
気づくと伊利亜が後ろから覗き込んでいた。
私は慌ててよだれを拭う。
「なっ、なんで伊利亜がここに!?」
「お前の姉に頼まれて見に来ただけだ」
「勝手に人の部屋に入ってくるな」
「
「ちょっと、見るな!」
ベッドに散らばった伊利亜ジュニアの服を見て、伊利亜は不思議そうな顔をする。
「このぬいぐるみの服は、お前が作ったのか?」
「ああ、そうだ。おい、勝手に触るな!」
「意外だな、お前がこんなものを作るなんて」
「私の唯一の趣味だ。放っておけ」
「お前の趣味なら他にもあるだろ」
「なんのことだ?」
突然、伊利亜が顔を近づけてくるのに対して、私はぎゅっと目を瞑る。
その直後、伊利亜にデコピンされた。
「頭突きしないんだな」
「な、なんのことだ」
「お前の趣味だろ?」
「頭突きは趣味じゃない!」
「というか、お前は本当に懲りないやつだな」
ため息をつく伊利亜に、私は口を膨らませる。
「そんなことより、私に近づくな! 私はもう騎士団を辞めたんだ」
「騎士団を辞めたからなんだ? 俺はお前の姉に用があるだけで、お前に会いに来たわけじゃない」
「なんだと!?」
「じゃあな、ちゃんと勉強しろよ。友梨香さんの妹さん」
「ちょ、ちょっと!」
何をしに来たのか。
伊利亜は余計なことを言うだけ言って、部屋を出ていった。
***
「
友梨香のいるリビングに戻った伊利亜に、
伊利亜は「妹さんの部屋」とだけ言って、コの字ソファの端に腰をおろした。
「ずるい! 俺も行ってくる」
「こらこら、僕たちはあくまで友梨香さんに会いに来たんだから」
立ち上がった
抜け駆けだと言わんばかりに伊利亜を睨みつける尚人だったが、伊利亜はどこ吹く風だった。
そんな尚人たちをよそに、
「それでこれからどうする?」
「とりあえず友梨香さんを連れて外に出ようか。あくまで友梨香さんに会いに来たってことを強調するんだよ」
そう告げた健は、企むような笑みを浮かべた。
それから友梨香を連れて外に出た騎士団は、とくにあてもなく繁華街を歩いた。
大人の女性が制服の少年たちを引き連れる様子は、この上なく目立っていたが、目立つことに意味があった。
騎士たちがさりげなく周囲に注意を払いながら歩く中——尚人は友梨香に声をかける。
「友梨香さん、どの店に入りますか?」
「友梨香さん、あれも美味しそうですよ」
負けじと健もオムライス店を指さすと、友梨香は鈴を転がすような声で笑った。
「今日は私がおごるから、どの店でも大丈夫よ」
「友梨香さん、大好き」
「尚人は調子いいね」
「健もね」
結局、フランチャイズのイタリア料理店を選んだ騎士たちと
「今の状況で考えられることは……
健が可能性を示唆すると、
「騎士団から彩弓を排除するって、意味がわからないんだけど」
「騎士団に女性を近づけたくない可能性とかは? 彩弓は紅一点だし」
尚人の言葉に、健は「考えられないこともない」と呟く。
「それなら、今度は友梨香さんが標的になるってことか……けど、これでもし友梨香さんが狙われたら、尚人の線が濃厚になるね」
健が頷いていると、
「友梨香さんまで危険にさらしていいのかな?」
「私のことは気にしなくていいわ。彩弓ちゃんに何があったのかはわからないけど、私に手伝えることがあれば、なんだってやるから」
過保護の友梨香がそう伝えると、健は嬉しそうに頷いた。
「そもそも、どうして敵が一人だと思うの? 複数の相手に狙われてきたのに」
訊ねる輝に、健は敵地を割り出したことを説明した。
「敵は一人だと思うよ。僕が敵地の特定をして工事現場を訪れた時、敵の使いさんと少しだけ喋ったんだ。彼女は雇い主を『あの方』と言ったからね」
「一人で行動するなんて、健も無茶をする……」
誰よりも慎重な
「敵地をちょっと見るだけのつもりだったんだよ」
「それが無茶だというんだ。今後は一人で行動するのはやめろ」
「はーい」
健が素直に返事をしていると——ふいに尚人が誰となく訊ねた。
「それはそうと…彩弓はどうしてる?」
「予想通り、ついてきてるよ」
「だよね。彩弓のことだから、ついてくると思った」
***
「あいつらは……何を喋ってるんだ?」
姉のことが心配でついてきた私——彩弓は、イタリア料理店で遠巻きに騎士団を見守りながら座っていた。
……伊利亜は『男は魔物』だと言ったんだ。
もし騎士たちが私にしたようなことを姉さんにするとしたら……?
私は頭の中で、ぼんやりと騎士と姉の会話を想像してみる。
きっと騎士たちは、私に言ったようなことを姉にも言うのだろう。
だとしたら、きっとこんな感じだ……。
『友梨香さんは誰が好きなの?』
顔のない男が、私の頭の中で姉に向かって訊ねた。
すると、姉はいつもの愛くるしい顔でこう答えるだろう。
『どうしてそんなことを聞くの?』
そして騎士はそんな姉に見惚れたあげく、こんなことを言うんだ……。
『それは友梨香さんがキレイで可愛くて素敵だからですよ』
そのあとにすることと言ったら——きっと
姉が口付けられる様子を想像して、私は鳥肌が立ってしまった。
姉さんは私よりも弱いし……もし、何かあっても逃げられないに違いない。
私は遠くから姉の身を案じていた。
——姉さんに何かしたら許さないからな!
***
「彩弓がめちゃくちゃこっち睨んでるけど……何を考えてるのか知るのが怖いよ」
イカ墨パスタに手をつけ始めた健が、ふと視線を感じて身震いをする。
その隣で、尚人はマルゲリータピザを切り分けながら告げる。
「嫉妬じゃなくて殺気を感じるよね」
「彩弓ちゃんったら、こっちに来ればいいのに」
妹のことを一番気にしている友梨香が立ちあがろうとすると、健が止めた。
「本人が辞めると言い出した以上、近づかないと思います」
「それで、私はこれから何をすればいいの?」
「一緒にいるだけで大丈夫です。ひたすら僕たちにちやほやされてください」
健が上品にフォークをパスタに絡めながら言うと、尚人は薄いピザを頬張りながら喋る。
「これで本当に敵がかかるのかな……もぐもぐ」
「敵って……彩弓ちゃんが学校を休んだ理由と関係があるの?」
不安そうな友梨香を安心させるように健は笑う。
「彩弓さんをよく思わない人がいるみたいで、現在調査中なんです」
「彩弓ちゃんったら、何も教えてくれないんだから。でも健くんたちがいるなら、安心だわ。まるでお姫様を守る騎士のようね」
「……お姫様」
「どうしたの? 尚人」
健が目を瞬かせていると、尚人はピザを食べる手を止める。
「そういえば昔、面倒なお姫様がいた……と思って」
「テナが団長の妹と婚約した途端、発狂した王女様のこと?」
「あの時の状況に少し似てるような気がする」
「……確かに。あの時も団長の妹を社交界で孤立させて、最後には——」
健が最後まで言う前に、友梨香が首を傾げて訊ねる。
「なんの話? 尚人くんはお姫様と婚約したの?」
「違いますよ、友梨香さん。ドラマの話です」
「あなたたち、お姫様のドラマを見てるの?」
「……はい」
仕方なく答えた健に、他の騎士たちは苦笑していた。
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