第25話 過ち



彩弓あみ……慰めてほしいなら、俺が慰める。人肌が恋しいなら俺が抱きしめてあげる。それなのに、なんで俺を呼んでくれないの?」


 いつもと様子の違う尚人なおとが、ゆっくりと私に近づいてくる。


 なぜか恐ろしくなって、私は少しだけあとずさるが——そんな私の顔に、尚人はそっと触れてきた。


「尚人、お前は何を言ってるんだ……?」

「彩弓はいつだって、みんなに優しいけど……俺はその他大勢になんてなりたくない。俺のことをもっと見て、彩弓」

「ちょ、ちょっと……そんな怖い顔をするな」


 尚人は私をきつく抱きしめる。だが今の尚人は力加減ができないらしく、私の骨が軋む音がした。


「痛い……痛い尚人! やめろ!」

「ちょっと尚人! 何やってるの!?」


 殴られて地面に座り込んでいたたけるが、慌てて起き上がると、私に駆け寄るが——。


「健は彩弓に近づかないで」


 再び尚人に蹴り飛ばされた。


「健!」

「彩弓、健のところに行かないで」

「さっきから何を言ってるんだ、お前は?」

「彩弓は健のことが好きなの?」

「ああ、もちろんだ。健も尚人も大好きだ」

「俺は彩弓の特別がいい」

「痛っ……この! 目を覚ませ尚人!」


 至近距離で見つめてくる尚人の顎に向けて頭突きを試みた私だが、尚人はなんてことない風にひらりとかわした。と思えば、私を尋常じゃない力で抱きしめた。


「痛い痛い痛い!」

「尚人!」


 健は私から尚人を引き剥がそうとするもの、びくともしなかった。


「邪魔って言ってるでしょ」


 尚人は健の首を片手で持ち上げると——生垣いけがきの方へと健を放り投げた。


 さらに尚人は健が起き上がる前に踏みつけにする。


「今も昔も、健は弱いね」

「やめろ、尚人!」

「やめないよ」

「どうしてそんなことをするんだ?」

「邪魔だから」

「友達にそんなことしちゃいけない」


 私が必死に訴えたところで、尚人は気にする様子もなかった。 


「無駄だよ彩弓。こうなった尚人に言葉は通じないよ……痛っ!」


 立ち上がっては殴られ、踏みつけにされる健は見ていられず、私も加勢しようと踏み出すが、健に止められた。


「彩弓は早く部屋に帰って」

「健を置いてはいけない」

「いいから! 僕は大丈夫だから」

「弱いくせに」

「なんだと!」


 それから健は尚人の攻撃をすんでのところでかわしながら、なんとか逃げていた。


 パワー型の尚人に比べれば弱い健だが、フットワークは軽く。


 まるで羽でも生えているかのような動きで尚人の攻撃をかわした。


「逃げるなよ」


 だが安心するのもつかの間、一度腕を掴まれた健は逃げることができず、尚人の攻撃を近距離で食らってしまう。


「健!」


 ふらふらと立っているだけで精一杯の健は、そのまま地面に頭を落としかけるが——その時、黒い影が現れて、健の背中を掴んだ。


「伊利亜!」

「健先輩、よく持ちこたえたな」

「それ、先輩に言うセリフじゃないだろ。なんで上からなんだよ」

「それだけ軽口が叩けるなら、大丈夫だな」


 言って伊利亜は尚人から引き剥がした健を、茂みの方へと放った。


「いって! 弱った先輩を放り出すなんてサイテー」

「うるさい。怪我人は黙って寝てろ」

「冗談じゃないよ。僕だってまだまだいけるよ」

「なんだよ、伊利亜まで邪魔しにきたの?」


 尚人は伊利亜を敵とみなしたのか、すぐさま攻撃をしかけた。


 すると、伊利亜は尚人の重たい腕を捕まえて、そのまま鳩尾にこぶしを入れる。


 だが軽く後ろに下がった尚人は、まともに攻撃を食らうことなく逃げたのだった。


「正気じゃないわりに、戦うのは上手いな。武器がなくてよかった」


 苦笑する伊利亜に対して、尚人は余裕の顔をしていた。

 

「武器はなくても、伊利亜くらいなら倒せるよ」

「やってみろよ」


 伊利亜の挑発に乗った尚人は、得意の蹴りを繰り出す。


 だが伊利亜が後ろに下がった直後、横から健の拳が尚人の横腹に入った。


「……った。連携とかありえないよね」


 それでも尚人は笑みすら浮かべて健の足を踏みつける。


 が、よろめいた健の腹に拳を入れようとしたところで、伊利亜が代わりに攻撃を受け止めた。


「伊利亜!」

「バカ、早く逃げろよ!」


 私が咄嗟に叫ぶと、伊利亜が怒鳴りつけた。


 見ていられなくなった私は、思わず吠えていた。

 

「できるか! こんのバカもんどもがぁああああ!」


 まなじりを上げて参戦した私は、尚人の顎めがけて今度こそ頭突きをくらわせる。


 少しだけ避けられてしまい、威力は半減したもの、それでも今度の頭突きはちゃんと命中していた。


「痛いよ、彩弓」


 頭を抱えてふらふらする尚人を、健はすぐに押さえつける。


 すると伊利亜も一緒になって尚人を押さえつけ、なんとか尚人を拘束することに成功した。


「離せよ!」

「元の尚人に戻るまで離さないよ」

 

 伊利亜と健が必死に押さえつける中、尚人は獣のように暴れた。


 このままでは伊利亜たちの拘束をふりほどくのも時間の問題だろう、と思われる中、私は尚人の血走った目を見つめながら、尚人の顔を両手で包み込む。


「お前は騎士だったはずだが、いつからただの暴れ者に成り下がったんだ?」

「彩弓、俺は彩弓の一番になりたい」

「だったら、力でねじ伏せようとするな。力技でなんとかしても、心は離れるばかりだ」

「……彩弓」


 暴れるだけ暴れて落ち着いたのか、尚人の目がいつもの優しいそれに変わる。


 伊利亜と健がゆっくりと拘束を解くと、尚人は自分の行いを恥じるように俯いた。


「元に戻ったようだな」


 やれやれとため息を吐く伊利亜の傍らで、健は地面に座り込む。

 

「……はあ、疲れた」


 穏やかな顔をした尚人は、私に向かって頭をさげた。


「……ごめん、彩弓」

「尚人、大丈夫か?」

「……うん」






 ***






「ごめん……健、伊利亜」


 マンションの自室に連れて帰ると、尚人は何度も健たちに謝罪した。

 

 まるで憑き物でも落ちたような様子に、私は今度こそ安堵する。


「もういいよ。尚人が嫉妬深いのは前世から知ってるし」


 健が苦笑して言うと、尚人はかぶりを振る。


「……それだけじゃないんだ」

「どういうこと?」

「実は匿名でこんなメールが送られてきて……」


 尚人は震えた手でスマホ画面を私たちに見せつけた。


 そこには、見覚えのある部屋で霧生きりう先輩と接吻をする私の姿があった。


「ななななななな、それは……」

 

 さすがの私も、羞恥で赤くなる。


 霧生先輩と接吻した時は、しょぼい団長になりたくない一心で頑張っていた。


 だが、画面越しに接吻する姿を見ると妙に恥ずかしく思えた。


「なんでそんな画像が……」

「なるほど、尚人先輩がキレたのはそのせいか」


 そう言った伊利亜は、平然としていたが——その言葉にはどこかトゲがあった。


 そして健も同じように顔を歪める。


「これはちょっと……僕も見たくなかったな」

「……いや、その……これは……つい流されて」

「彩弓は流されて簡単にキスするの?」


 尚人に真面目な顔で問われて、私はたじろぐ。伊利亜にされた説教の意味がじわじわと身に染みる感じがした。


「伊利亜はこれ見ても平気なの?」


 尚人が伊利亜に訊ねると、


「……俺はどうでもいい」


 顔をそむける伊利亜だが、小さなため息が聞こえた。

 

 尚人はさらに訊ねる。


「彩弓は霧生先輩のことが好きなの?」

「霧生先輩だけじゃない。尚人も健も好きだ」


 いつもなら胸を張って大声で言うところだが、なぜか少しだけ罪悪感のようなものを感じてしまった。


 なんだろう、この感じ……みんなのことが好きなのは当然の話なのに、何か間違っているような……。


 自分の気持ちがわからず、煩悶はんもんする中、伊利亜が無言で身をひるがえす。


「どこ行くの、伊利亜」


 健が訊ねると、伊利亜は少し怒った声で告げる。

 

「帰るに決まってる」

「そういえば、伊利亜はどうして彩弓のマンションに?」

「偶然通りかかっただけだ」

「偶然とか言って、伊利亜も彩弓に会いに来たんでしょ? 皆考えることは同じだよね」


 小さく笑う健に、伊利亜は何も返さずそのまま帰ろうとするが——ふいに私は伊利亜の腕を掴んだ。


「? なんだ?」

「いや、手が勝手に動いただけだ。すまない」


 私が手を離すと、伊利亜はそのまま部屋を出て行った。


 その後ろ姿をぼんやり見ていると、健と尚人は顔を見合わせた。








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