第12話 教室の罠



「ん? なんだここは…」


 気づくと、私——彩弓あみは真っ白な世界を歩いていた。


 何もない空白の世界。


 生き物の気配すら感じられない冷たい世界で——いきなり伊利亜いりあが目の前に現れる。


「伊利亜? 伊利亜じゃないか」

「なんだ、団長か」

「なんだ、じゃないぞ! お前はどうしてあんなことをしたんだ?」

「あんなことってどんなことだ?」

「あんなことはあんなことだ……」

「ああ、団長の初めてを奪ったことか。お前があまりにも隙だらけだったから、攻撃してやっただけだ」

「なんだと!?」

「みんなが知ったらどう思うだろうな。団長ともあろう人が俺なんかに襲われるなんてな」

「そ……それは」

「きっと皆、残念がるだろうな。団長がまさかこんな人間だったなんて」

「なななな何を!」

「アハハ、しょぼい団長が混乱してる」

「しょぼい団長言うなぁあああああ!」


 それから伊利亜は笑い声とともに霧となって消えてしまうが——今度はたけるが現れる。


「ねぇ聞いた? 団長しょぼいんだって」


 そう言って消える健。

 

 その言葉を拾うように、今度は尚人なおとが姿を現した。


「昔はあんなにカッコよかったのにね。しょぼいんだ?」


 尚人もそれだけ言うと消えて、ひかる先輩が浮かび上がる。


「団長にはがっかりだよ」


 その言葉に、私は慌てて否定しようとするもの、やはりひかる先輩も消えてしまい、入れ替わりでれい先輩が現れる。


「俺、団長に憧れて騎士になったのに」


 初めて聞いた話だった。だが礼の悔しそうな顔も、雲のようにぼんやりと薄くなって消えた。


 そして最後に現れたのは、甚十じんとさんだった。


「しょぼい団長なんて、団長じゃないね」


 ——目が覚めた時、パジャマの背中が汗で濡れていた。




「ああ、嫌な夢を見たなぁ」


 登校しても夢の余韻が残っていた。


 騎士たちにしょぼいと言われて、私はどうすればいいのだろう。


 威厳こそ示したいものだが、しょぼいなどと言われたくはなかった。


 そんな風に机の上で項垂うなだれていると、朝からルアが私の席にやってくる。


「おはよう、彩弓。なんだか疲れた顔をしているわね」

「ああ、ちょっと嫌な夢を見てな」

「どんな夢?」 

「言うのもはばかられるような、おぞましい夢だ」

「そうなの?」

「それよりもルアこそ、大丈夫なのか? 昨日はあんなに泣いていたが……」

「ええ、大丈夫よ。一晩眠ったら気持ちもスッキリしたわ。ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」

「かまわない。伊利亜は誤解されやすい奴なんだ。何かあればまた言ってくれ」

「……彩弓は本当に伊利亜くんのことを信じてるのね。もしかして、伊利亜くんのことが好きなの?」


 好きという言葉を聞いた瞬間、昨日の接吻が脳裏をよぎったが、慌ててかぶりを振った。


「あいつは大事な仲間だからな。伊利亜のことは昔からよく知っているつもりだ」

「ふうん、そうなんだ? 私はちょっと苦手かな」

「どうしてだ?」

「いつも怖い顔してるし、嫌なことを平気で言うから……やっぱり尚人くんみたいな人がいいわ」

「ルアは尚人のことを本当に気に入っているのだな」

「ええ。昨日の帰り道もとても楽しかったわ」

「そうか。なら良かった」


 ルアの機嫌が良いと、安堵する自分に気づく。


 あまり人の顔色をうかがったりしない方だが、どうしてかルアの機嫌が悪いと、自分が悪いことをしているような気持ちになった。


 他の友達にこんなことを思ったことはなかったが、ルアに対してだけは逆らえない何かがあった。


 ……前世の因縁でもあるのだろうか?


 などと考えていた私だが——ふいに周りから不穏な空気が漂ってくる。


 気になって隣を見ると、困惑した女子生徒……確か、羽柴はしばさんと言ったかな? その羽柴さんを、周囲にいる人間が注目していた。


 羽柴さんはカバンの中を必死になって探っていたが——そのうち近くにいた女子生徒の、井上いのうえさんが羽柴さんに声をかける。


「どうしたの? 羽柴ちゃん」

「……実は、パパに買ってもらった大切なキーホルダーがなくなったみたいで……」

「それは大変だね、一緒に探そうか?」

「うん、お願い」

「それで、どんなキーホルダーなの?」

「騎士の格好をした猫のぬいぐるみなんだけど」


 騎士と聞いて、私はルアたちとショッピングモールで見た猫のぬいぐるみを思い出す。


 そういえばアレもキーホルダーだったかもしれない。


 私が昨日のことを考える中、井上さんは羽柴さんに優しい笑顔を向けた。


「大丈夫、きっと出てくるよ」

「ありがとう、井上さん」


 周りの人間もぬいぐるみを一緒に探し始めるが——。


 ふとした拍子にルアが私の机にぶつかって、ひっかけていたリュックの中身があふれ出した。


 と思えば、私のリュックから騎士の格好をした猫のぬいぐるみが勢いよく飛び出す。


 ころころと床を転がるぬいぐるみ。


 教室の真ん中で止まった猫のぬいぐるみを見て、羽柴さんは声をあげる。


「うそ! それ、あたしのキーホルダー」


 その言葉に私は固まってしまう。


 どういうことだ? 猫のぬいぐるみを、私は買った覚えなどないのだが……。


 呆然とする私に、ルアが訊ねてくる。


「それ、昨日彩弓がほしいって言ってたぬいぐるみよね? いつの間に買ったの?」

「いや、私は買っていない」

「じゃあ、なんでバックパックにあったの?」


 ルアが指摘すると、クラスじゅうの視線が私に集まる。


 私は動揺しながらも、首を横に振った。


 嫌な汗をかいた。


 身に覚えのないぬいぐるみを見つめながら、それ以上顔をあげることができず。刺すような視線が、針のむしろだった。

 

 ……そういえば遠い昔、同じようなことがあった気がする。


 たとえ自分が何もしていなくても、ぬいぐるみが私のカバンから出た以上、私の責任になるのは間違いない。


「……わた、私は……」


 クラス中の視線が集まる中、私が自分のものではないと言いかけたその時、


「はい、ちょっと通してね」

「尚人?」 


 隣のクラスの尚人が私の前に現れた。


「彩弓、僕があげたぬいぐるみを落としていたよ。ほら、これが彩弓のだから、そっちのぬいぐるみはあの子に返してあげて」

「尚人?」


 尚人は爽やかに笑うと、私に猫のぬいぐるみを手渡した。


 どういうことだろう?


 尚人からぬいぐるみを貰った覚えもないんだが?


 私が狼狽えながらも、素直にぬいぐるみを受け取っていると、ルアは驚いた顔をする。


「尚人くん、どうしてここに……」

「僕があげたぬいぐるみを、彩弓がうちのクラスに落としていったんだよ。だから持ってきてあげたんだ」


 そう言うと、尚人は床に転がったぬいぐるみを手ではたいて、羽柴さんに渡した。


「はい、どうぞ。ごめんね、彩弓が間違えて持っていっちゃったみたいだから、これは返すね」

「あ、ありがとうございます」


 尚人がにっこり笑うと、羽柴さんは恥ずかしそうに下を向いた。


 嫌悪に満ちていた周囲の視線が、好奇の目に変わる。それからクラスメイトたちは口々に話し始めた。 


「尚人くんがぬいぐるみをプレゼントだって」

「もしかして、彩弓さんと尚人くんって付き合ってるの?」

「あやしいわよね」


 ざわつく教室。


 だが尚人は全く動じる様子もなく、私の元に帰ってくる。


「はい、これで解決解決」


 いったい、なんだったのだろう。


 状況は理解できなかったが、尚人に助けられたということはわかった。


 そしてそのうち噂話に飽きたクラスメイトたちは、普段の様子に戻っていった。






 ***






「今日のあれは、いったいどういうことなんだ?」


 放課後の音楽室で、さっそく尚人を問い詰めると、健が不思議そうな顔をする。


「なになに? なんかあったの?」

「実はな……」


 私はぬいぐるみの事件について、包み隠さず話した。


「ええ!? 僕の知らないところでそんなことがあったの?」


 大袈裟に驚く健に、私は頷く。


「ああ、尚人が来なかったら、大変なことになっていただろうな」

「どうりで、変な噂が回ってると思ったよ」

「変な噂とはなんだ?」

「尚人と彩弓が付き合ってるって噂だよ」

「なるほど、そんな妙な噂が……」


 私が驚いていると、尚人が不服そうに告げる。


「そんな真面目な顔で妙な噂とか言わないでよ」

「だが尚人のおかげで私は命拾いした。ありがとう」

「彩弓は真面目だね。けど、リュックにぬいぐるみが入ってた理由はわからないんだよね?」

「ああ。買った覚えもなければ、盗るわけもない。不思議なものだな……そういえば、このぬいぐるみを返さなければ」


 私が尚人から受け取ったぬいぐるみを差し出すと、尚人は手のひらで押し返した。


「言ったでしょ? これは彩弓にプレゼントするものだって」

「それは私のためについてくれた嘘じゃなかったのか?」

「違うよ。本当にあげるつもりだったんだ」


 尚人の言葉に、私が目を丸くしていると、健が苛立ったように口を挟む。


「ちょっと尚人、抜け駆けなんてズルいよ」

「昨日は彩弓と二人きりで帰っておいて、抜け駆けも何もないよ。みんなの団長が聞いてあきれる」


 尚人の言い分に、健は口をへの字にして黙り込んだ。


 そんな険悪な空気を断ち切るように、伊利亜が口を開く。


「……だが、団長のカバンに誰がぬいぐるみなんて仕込んだんだろうな。団長は心当たりはないのか?」


 伊利亜に話を振られて、ビクッとする。


 頭に浮かんだのは、夢に現れた伊利亜だった。


「私は決してしょぼい団長なんかじゃないからな!」

「なんの話だよ」

「……いや、なんでもない。カバンから離れたのは、トイレか体育の時くらいだな」


 私が告げると、健が考えながら訊ねてくる。


「休み時間はずっとルアと一緒だったんでしょ?」

「お前はルアを疑うのか?」


 私が怪訝な顔をすると、尚人も指摘する。


「ルアが彩弓のクラスメイトを使って彩弓を陥れるとか、無理がない?」


 その尚人の言葉に、健は複雑な顔で頷いた。


「……そうだね。カバンの中にあるものを移動させるって、どんな魔法を使ったんだって感じだよね」


 唸る健を見て、尚人はさらに告げる。


「じゃあ、羽柴さんが彩弓のカバンに入れたとか? 彩弓、何か恨まれるようなことをした覚えはある?」

「羽柴さんとは喋ったことがないからな……わからない」


 私が言うと、健はますます悩ましそうな顔をする。


「羽柴さんが彩弓を陥れるメリットってなんだろう」

「動機不十分だね」


 尚人の結論に、私はなんとなくホッとする。


 あまり他人を疑いたくはないものだ。


 だが、みんなそれぞれ納得できない顔をしていて——伊利亜は、私に忠告をする。


「とにかく、気をつけておくことにこしたことはないだろ」

「そうだね。敵は不審者だけじゃないみたいだ」


 健も警戒していたが、私はなんだか暖かいものを感じていた。


「だがこうやって皆が私のことを信じてくれるとは……嬉しいな」

「何言ってるんだよ、彩弓が窃盗に走るなんて、この世で最もあり得ないことでしょ」


 アーモンドの瞳をこれでもかと広げる健に、尚人もうんうんと頷く。


「そうだよ、もし彩弓が泥棒になりたいって言ったら、俺も一緒に大泥棒を目指すよ」

「そこは叱ってくれ……なんで一緒に泥棒を目指すんだ」 

「彩弓がいれば、何になっても楽しいと思うから」

「そうか。なら、私はお手本となるべき大人にならなくてはいけないな」


 そんな風に私が意気込んでいると、健は白い目で尚人をみる。


「尚人はさりげなくそういうことを言うんだから……他の女の子だったら、間違いなく落ちてるよ。僕は彩弓の鈍感さに救われるよ」

「鈍感か……俺もなかったことにされてるみたいだしな」


 ぼそりと呟く伊利亜に、健が首を傾げる。


「伊利亜、何か言った?」

「何も言ってない」









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