第9話 ただいま




 夜にさしかかった住宅地は街灯がちらほらと灯り始めていた。


 ぼんやりと暗い道を、顔を隠した黒づくめの二人が塞ぐ。


 細い男の人と筋肉質な男の人は、どちらも鈍い光を帯びた目で私をとらえていて、あきらかに私を狙っているようだった。


伊利亜いりあの言った通りだな」


 大男の一人に殴り飛ばされた南沢みなみさわ先輩が、そう言いながら私のところに戻ってくる。そして私を背中で守るようにして立つと、拳を構えた。


 背の高い南沢みなみさわ先輩の背中は、制服でもわかるくらい筋肉質で、お父さんよりも大きかった。


彩弓あみちゃん、下がって」


 しなやかな体躯をした細倉ほそくら先輩も、私の前で拳を構える。


 二人とも似たようなスタイルで構えているから——きっと同じ道場にでも通っているのだろう。


 なんだか強そうな二人の気迫を見て、私は心強い気持ちになる。


 もしかしたら、何かの有段者なのかもしれない。


 ……だから余裕の表情なんだね。


 そして大男たちのことは二人に任せて、不審者から離れた私だけど——大男の一人が、私の前に立ちはだかった。


彩弓あみちゃん!」


 南沢みなみさわ先輩や細倉ほそくら先輩の間をすり抜けて私の方にやってきたのは、細い体躯の大男だった。


 人間がこんな早さで移動するなんて、私は夢でも見ているのだろうか。


 一人狼狽えている間にも、私に向かって大男の手が伸びてくる。


 けど、あまりの早さにどうすることもできなくて。


 私は咄嗟にぎゅっと目を瞑る。


 大男の攻撃を受ける覚悟をしていた。


 ……けど、いつまで経っても何も起こらなくて。


 不思議に思った私は、恐る恐る目を開ける。


 すると、目の前には伊利亜さんや健さん、尚人さんが立っていた。


「え? どうして伊利亜さんたちが?」


 訊ねると、健さんがため息を落とした。


「気になって後ろからこっそりついてきたらコレだよ」


 大男の腕を受け止めた健さんは、そう言うと笑顔を消した。


 健さんのまとう空気が変わった気がした。


「行くよ、尚人、伊利亜」

「うん」

「……」


 それから健さんたちはいっせいに大男に殴りかかる。


 連携をとりながら素早く移動する大男たちに、健さんたちは何度も攻撃を仕掛ける。


 けど、大男たちは上手く逃げ回って難を逃れ——拳はなかなか当たらなかった。


 南沢先輩や細倉先輩も加わって、大乱闘に発展しても、大男たちに攻撃が当たらないどころか——むしろ健さんたちが劣勢に見えた。 


「五対二でこのザマかよ」

 

 伊利亜さんが嫌な顔をする。


「団体競技は苦手なんだよ」


 健さんも吐き捨てるように言った。


 その間にも、大男たちは再び私の元へやってくる。


 私は今度こそ逃げようとするけど、大男二人に挟まれて動けなかった。


「逃げて彩弓!」


 遠くで尚人さんの声がした。


 けど、恐怖で足が動かなかった。


「どうして私なんかを狙うんですか?」


 訊ねても、男の人たちは何も言わなかった。


 代わりに、背筋が凍るような視線を向けられる中、大男の手が私の腕を掴んだ——その時だった。


 伊利亜さんが割り込んできて——相手の手を振り払う。


 けど、私の前に立った瞬間、伊利亜さんの顔が歪んだ。


 よく見ると、伊利亜さんの右手が赤くなっている。


 もともと怪我をしているようだった。


 だからといって、相手が容赦してくれるわけがなくて。

 

 伊利亜さんが怪我をしていることに気づいた大男の目が不敵に笑った。


「ダメ! やめてください!」

「どけ」  


 咄嗟に前に出た私を、伊利亜さんが押しのける。


 伊利亜さんは一人で向かっていくと、大男の一人と殴り合いの交戦をする。


 けど殴り合いを繰り返すうち、ふいをついて鳩尾を殴られた伊利亜さんはそのまま地面に倒れてしまう。


 いつの間にか静かになった空気に違和感を覚えて、思わず周囲を見回すと、立っているのは私だけになっていた。


 そんな私に大男たちの手が伸びてくる。


 けど、その直後——再び立ち上がった伊利亜さんが痛みをこらえながら、私の前に立った。


「伊利亜さん」


 あきらかに無理をしている伊利亜さんを見て、私の胸がざわざわした。


 ——ああ、どうして私は何もできないのだろう。

 

 こんなことなら、何か習い事でもしてればよかった。

 

 私にも何かできたらいいのに。

 

 諦めない五人の姿を見ていると、私の胸の中で何かが灯ったような気がした。


 ……私が……こんな私じゃなければいいのに……。


 何もできない自分を焦れったく思う中、黒づくめたちが刃物を取り出した。


 その刃先は、私の前に立つ伊利亜さんの方に向いていた。


「うそ、やめて……」


 それでも伊利亜さんは私の前から頑としてどかず。


 私の心臓の音が早くなる。


「お願いだから、やめてください……」 


 小さくつぶやいた声が空に溶ける。


 気づけば五人が私を囲むようにして立っていた。

 

「誰も傷ついてほしくないのに……」


 どうして私みたいな他人のためにそこまで出来るの?



 ————私っていったいなんなの?



 そんな風に思っていた矢先。


 伊利亜さんに刃物が迫った瞬間、別の伊利亜さんが重なって見えた。


 脳裏をよぎったのは、体育館倉庫の中で暴れる私の姿だった。


 体育館倉庫で知らない学生と戦っていた私に、バットが迫って——それを伊利亜さんが受け止めた。


 その光景を思い出した私は、これ以上もなく大きく見開いた。


 ————そうだ。前にもこんな風に守られたことがあったんだ。


 どうして忘れていたのだろう。


 私の大切な人たち——仲間たちがこんなに頑張ってくれているのに。


 そして大男が高く上げた刃先がキラリと光る中——。


「団長、逃げて!」

 

 遠くで健さんが叫んだ瞬間、私の頭は真っ白になる。


 何もなくなった私の頭の中で浮かんでは消えてゆく記憶。


 戦場では猛々しく剣を振るい、輝かしい夜会では浮き足だったりなどせず、国王にひたすら忠信ちゅうしんを尽くした騎士たち。


 ————そう、そんな風に私が育てたんだ。


 じわじわと思い出した前世の記憶に、私は体を震わせる。


「この……」


 誰かの「団長!」と叫ぶ声を耳にして、自分を奮い立たせた私は——。

 

 そう、記憶が復活した私は、素早く戦闘体制に入ると——目の前で刺されそうな伊利亜の間に入り、相手を蹴り飛ばした。


「——こんの、バカもんがぁあああああ!」


 そして気づくと私は、騎士たちに頭突きしていた。


「騎士が五人もいて何をやっているんだ!」

「団長? 団長なの?」


 驚く尚人をよそに、私は吠えるように告げる。


「団長でもなんでもいいから、お前たち——あいつらをねじ伏せろ」

「ああ、団長だな。その無茶ぶり」


 言って、伊利亜は笑った。


 私は騎士たちの間を縫って歩きながら、そっと囁く。


れい先輩とひかる先輩は奴らを追い込め。そして奴らが逃げた瞬間、たける伊利亜いりあは背後から頭を狙うんだ。あとは尚人と私でふいを突くぞ」


 私が指示を出すと、五人は黙って私から離れていった。


 そして私はわざとしおらしく怯えてみせた。


 尚人と一緒に逃げるふりをして、黒づくめたちを誘いこむと——礼先輩と輝先輩が間に入って攻撃をしかけた。


 拳の連撃をかわそうとして下がった大男たちに、今度は伊利亜と健が背後から回し蹴りを食らわせる。

 

 二人の回し蹴りは見事に決まった。


 よろめく男たちに私が頭突きをすると、尚人も相手の鳩尾に拳を入れた。


 流れるような連撃を受けて、ふらふらの大男たちに、私はふっと鼻で笑って見せる。

 

「これで終わりだな」


 私がニヤリと笑うと、状況が変わったことに狼狽えた大男二人は、騎士の間を縫って去っていった。


 これでめでたしめでたし——と言いたいところだが。


 私はくるりと振り返ると、疲れ切った騎士たちに怒り口調で告げる。


「さあ、どこから説教してやろうか?」


 根性を叩き直してやろうと意気込むが——なぜか五人の騎士たちは嬉しそうな顔をしていた。


「団長……団長が帰ってきた」


 れい先輩が噛み締めるように呟く。その声には嬉しさが滲み出ていた。

 

「お前たちには迷惑をかけたな」


 なんだか気を削がれた私は、肩から力を抜いてため息を吐く。


「迷惑だなんて、そんな……」


 私の言葉に、ひかる先輩も感極まった顔をするが——。


 でもやっぱり、言わずにはいられなかった。


「だが、しかーし! 五人もいて、あれはなんだ? お前たち、いつからそんなママゴトみたいな戦い方しか出来なくなったんだ?」


 私が大声で指摘すると、尚人なおとがふっと息を吐くように笑う。


「ああ、団長だ。やっと帰ってきたんだね」


 どさくさに紛れて私を抱きしめる尚人を見て、他のメンバーたちも目を光らせてこちらにやってくる。


「な、なんなんだお前たち」


 騎士たちにぎゅうぎゅうと抱きしめられた私は、その場で窒息死するかと思った。









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