第7話 じわじわと忍び寄る影



「ねぇ、あなた」


 落ち着いた声で喋りかけられて、私——彩弓あみは目を瞬かせる。


 机に座る私を見下ろしてきたのは、見知らぬ女の子だった。


「あなた、彩弓あみさん……よね?」


 肩までキチンと揃えられた髪に、ちょっと気の強そうな目をしたその人は、私に向かってお上品な笑みを向けた。


 私は慌ててサンドイッチを机に置くと、椅子から立ち上がる。


「えっと、私に何か用ですか?」

「私は隣のクラスの松澤まつざわルア。助けてもらったお礼に来たの」


 マツザワさんは唐突にそう言うと、さらりと肩の髪を払った。


「助けた? 私がですか?」

「ええ、そうよ。町で男の人に絡まれていたところを助けてもらったの。覚えてないの?」

「ごめんなさい。全く記憶にないです」

「そう。でも、どうしてもお礼がしたくて、あなたを探していたの」


 最近、身に覚えのないことで声をかけられることが多かった。


 まるで私じゃない私が人助けをして歩いているような、そんな感覚だったけど——否定しても信じてもらえなくて、困っていた。

 

 そして彼女——マツザワさんも同じく、私じゃない私と何かあったようだった。

 

 だからといって身に覚えがないものはどうしようもないので、私はやや上の空で相槌あいづちを打つ。


「はあ……そうなんですね」


 けど、マツザワさんは気にする風もなく笑顔で喋り続けた。


「学校で彩弓さんを見つけた時は驚いたわ。彩弓さんはとても人気者なのね」

「人気者……ではないと思います」

 

 皆、私のことを珍しい動物のように扱うだけで、人気者なんかじゃない——そう思っても、マツザワさんは何を勘違いしているのか、私の言葉を良いように捉えるばかりだった。 


「謙遜するなんて、ますます素敵な人ね。団長さんは」

「……はあ」


 まただ。私のことを団長と呼ぶ人、これで二人目だ。


 今朝、声をかけてきた赤毛の美少年のことを思い出して、げんなりする。


 私の知らない名前で呼ばれても、困るだけだし。


「あの……あなたはどうして私のことを団長と呼ぶんですか?」

「同じクラスの尚人なおとくんがあなたのことを団長って呼んでいたから。ああ、尚人なおとくんというのは、あの有名な手塚尚人てづか なおとくんのことよ」

「なおとくん……知らないです」

「……そう?」


 私が知らないと言うと、マツザワさんは少しだけ眉間を寄せた。


 けど、すぐにまた顔を明るくして告げる。


「とにかく、私はあなたにどうしてもお礼がしたいから、そのことを覚えておいて。今日はもう時間がないから失礼するわ」

「あ、ちょっと! お礼なんて——いらないんですけど……」


 全部伝えきる前に、マツザワさんは教室を出て行ってしまった。






 ***






 学校の帰り道。


 私は暗い住宅地を歩きながら、考えていた。


 突然会いに来たマツザワさんのことについてだった。

 

 ……お礼がしたいって言ってたけど、どうやって断ればいいんだろう。


 身に覚えのないことでお礼をもらっても、こっちは気を遣うんだよね。


 やっぱり次に会った時、お礼はきっちり断ろう。うん、そうしよう。


 私が改めてマツザワさんの申し出を断ろうと決めた——その時だった。


 真っ黒なコートを着た大きな男の人が私の前に現れた。


 男の人は目の前の道路を通せんぼすると、無言で私を見下ろした。


「……あの、私になんの用ですか?」


 問いかけても男の人は何も言わないまま、コートの懐から鈍色のナイフを取り出して見せる。


「……ひぃっ」


 思わず息をのむ私。


 相手が刃物を持っていると知って、恐怖で頭が真っ白になる。


 早く逃げなきゃいけないのに、一歩も動けずにいると、男の人はナイフを持つ手を高くあげた。


 そしてナイフは私の頭めがけて降ってきた——かと思えば、


 ふいに誰かに腕を引かれて、後ろにさがると——私の背中が何かにぶつかった。


 知らない男の子の胸板だった。

 

「団長、何をぼうっとしているんだ」


 振り返ると、ワカメ頭——じゃなくて、ウエーブがかった髪の、綺麗な顔をした男の子がそこにいた。


 同じ学校の生徒らしい。よく知る制服ブレザーを着たその人は、私の腕を掴んだままため息を吐いた。


「誰だか知らないけど、あなたも私のことを団長と呼ぶの?」

「前世の記憶を忘れたといっても、呑気な性格はそのままだな」


 言って、その人は、黒いコートの大男に向かっていった。


 相手が刃物を持っていることを考えると、見ていてゾっとしたけど、意外にもその人は一度も刃物を浴びることなく、すべての攻撃をかわしていた。


「すごい」

「何がすごいだよ。あんたは早く逃げろ」

「はい」


 私が逃げようとした瞬間、ふいに頬を何かがかすめた。みれば、小さなナイフが民家の壁に刺さっている。


 大男が投げたナイフだった。


 頬に軽く触れると、手に赤い色がついた。軽い切り傷だったけど、血を見たショックで、私はその場にへたりこんでしまう。


 そんな私を見て、男の子は目の色を変えた。


「お前!」


 男の子は大男の足を払うと、体勢を崩した相手に問いかける。


「誰の差し金だよ、あんたみたいな人間が女子高生を狙うなんて普通じゃないだろ?」


 男の子が訊ねても、大男は一言も発しなかった。 


 そんな中、新しい人がやってくる。


「あ! いた! 伊利亜いりあ、大丈夫?」


 赤毛に、アーモンドの瞳——今朝、私のことを団長と呼んだ人だった。


「遅い」


 緊張感に包まれる中、黒髪の男の子の元に、赤毛の男の子だけじゃなく、サラサラの茶髪に整った顔立ちの男の子もやってくる。


 すると、人数が増えたことで不利だと思ったのか、大男は風のようにその場を逃げ去った。


「逃げられたか」


 伊利亜と呼ばれた男の子が、悔しそうにこぼすと、赤毛の男の子も苛立ったように告げる。


「ちゃんと捕まえておいてよね」

れい先輩の言う通り、素人じゃなかったんだよ」

「みたいだね——ちょっと! 彩弓あみの顔に傷ついてるじゃん。ちゃんと守ってあげてよ」


 赤毛の男の子に、顔をじっと見られてドキドキしていると、黒髪ウエーブの男の子は不貞腐ふてくされた顔をする。


「うるさいな。こっちも必死だったんだよ」


 すると、ずっと黙っていた茶髪の美少年が私の顔を覗き込む。


「団長、大丈夫?」


 それから三つの綺麗な顔に凝視されて、私は思わずあとずさる。


 私の名前を知ってるみたいだけど、いったい誰なんだろう。


「とりあえず、今はこれでおさえておけ」


 私を助けてくれた黒髪ウエーブの男の子が、ハンカチで傷をおさえてくれた。


 すると、みるみるハンカチが血で汚れてしまって、私は慌ててハンカチを押しのけた。


「だ、大丈夫です…」

「気にするな、これはやるから持っていけよ」

「その言い方がダメなんだよ」


 赤毛の男の子にダメ出しされて、黒髪ウエーブの男の子はムッとした顔をするけど——今度は、茶髪の美少年が悲しそうに告げる。


彩弓あみ伊利亜いりあのハンカチの一枚や二枚、ティッシュだと思って使いなよ。それより大事な彩弓あみの肌に傷が残らないか心配だよ」


 その言葉に、赤毛の男の子も頷く。

 

「そうそう。さっきの奴がまた戻ってくるといけないから、僕たちが家までついて行ってもいいかな?」


 さっきの奴が戻ってくる、と言われた瞬間、再び腰が抜けそうになって、三人に支えられた。


 三人は私を支えながらなぜか睨みあっていた。


「彩弓、大丈夫?」


 サラサラ茶髪の美少年に顔を覗き込まれて、私は後退あとずさりする。


「はい、ありがとうございます。でもなんで……私のことを知ってるんですか?」

 

 ……しかも呼び捨てにされてるし。


 私が少しだけ警戒していると、茶髪の美少年が説明してくれた。


「彩弓は忘れてるけど、俺たちは何度も会ったことあるんだよ。遠い昔にね」

「……昔、ですか?」


 赤毛の男の子も重ねて言った。


「そう、大昔にね」


 大昔と言われても私には身に覚えがないんだけど。


「その時のこと、詳しく教えてもらえますか?」


 気になって訊ねると、彼らは複雑な顔をする。


「過去のことはそのうち話すよ」


 茶髪の美少年にそう言われて、私は少しだけモヤモヤした。


 そのうちと言われても、次いつ会うかもわからない人たちだけに、私は納得できなかった。

 

 それでも助けてもらった手前、仕方なく頷いた。


「わかりました、いつか教えてください」


 それから私は彼らの名前を教えてもらい、帰宅したわけだけど——帰るなり私の傷を見た姉がそれはもう大変な怒りようだった。


 けど、伊利亜いりあたける尚人なおとという人が助けてくれたことを話すと、少しだけ機嫌がマシになった。


 どうやら、私は彼らを家に連れてきたことがあるらしい。それこそ全く覚えていないことなので、ますます謎は深まるばかりだった。




 次の日、私はカップケーキを焼いて学校に持って行った。


 伊利亜さんのハンカチを汚してしまったので、そのお詫びとして新しいハンカチと一緒に持参していた。


「伊利亜さんは確か、非常階段のところによくいるんだよね」


 そこまで考えて、ふと立ち止まる。


「あれ? 私……なんでそんなことを知ってるんだろう」 


 首を傾げながら非常階段に向かうと、案の定、伊利亜さんが階段の踊り場で寝ていた。


「あの、伊利亜さん……ですよね」

「なんの用だよ」


 私を見て立ち上がった伊利亜さんに、私は紙袋を差し出す。


「昨日いただいたハンカチの代わりに……良かったら、これ使ってください」


 すると、私が差し出した紙袋を、伊利亜さんはどうでもよさそうに受け取った。


「ふうん。別にいいのに……なんだ? ハンカチ以外にも何か入っているのか?」

「あの、カップケーキを作ってみました。お口にあうかわかりませんが……」

「ふうん」


 伊利亜さんはやっぱりどうでも良さそうな顔をして、その場でカップケーキを二口で食べてしまった。


「あの……お味は大丈夫でしたか?」

「まあ、カップケーキの味だな」

「……なら、良かったです」


 カップケーキの味、というのがどういうものかわからないもの、綺麗に食べてもらえたのでほっとした。


「伊利亜さんは、いつもここにいるんですか?」

「聞いてどうするんだ?」

「いえ、少しだけ気になっただけです。長居するには寒い場所だし」

「別にここが特別好きというわけじゃないが、誰も来ないからここがいいと思っただけだ」

「でも私が知ってしまいましたね」


 へへへと笑うと、伊利亜さんはちょっと難しい顔をした。


「あんた、いつもそんな感じなのか?」

「そんな感じって、どんな感じですか?」

「いや、やっぱりいい……団長じゃない団長は調子が狂うな」

「そういえば昨日、健さんが音楽室に来るようにって言ってましたが、伊利亜さんも来るんですか?」

「ああ、そうだ。行っちゃ悪いか?」

「そうじゃないです。私、なんだか伊利亜さんといると落ち着くみたいで……変ですよね。会ったばかりなのに」

「……落ち着く、か」


 伊利亜さんは複雑なため息を落とした。


 話が弾むというわけではないけど、古い知人のような雰囲気のある伊利亜さんといるとなんだか安心した。


 そしてそんな風に私たちが他愛のない会話をする中、それを遠くから見ている女の子の存在に、私は気づかなかった。


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