第5話 見えない過去



 翌夕よくせきの放課後。


 体育館倉庫に再び訪れた私、彩弓あみはウンギリー……じゃなくて、霧生きりう先輩を探した。

 

 彼がふと漏らした『あんなことになった場所』という言葉がどうしても引っかかったからだ。


 前世の私に関係ある話なら、ぜひとも聞きたかった。


 体育館倉庫の中は相変わらず暗く、まとわりつくような湿気に包まれていた。


 私は周囲を見回すと、大声を張り上げる。


「おーい、霧生きりう先輩はいないのか?」


 すると、そのうち一つの影がのそりと動きだす。


 どうやらまた、マットの上で居眠りをしていたらしい。


 霧生先輩の細い目は、まるで猫のようだった。


 が、寝起きでも整った顔をしていることはわかる。


 霧生先輩は寝癖のついた頭をガシガシと掻きむしりながら、大きなあくびをする。


「なんだなんだ……人が気持ちよく眠っているときに……」

「おお! 本当にウンギリーがいた!」

「……なんだ、団長か。一体なんの用だ?」

「昨日の話だが……『あんなことになった場所』という言葉がどうしても気になってな」

「ああ……余計なことを言ってしまったな。忘れてくれと言っただろ」

「気になると言っただろ」

「ああ、めんどくさい。なんで団長はそんな面倒くさい性格なんだ?」

「私は今の自分を誇りに思っているが?」

「悪いが……俺は団長ほど素直な性格じゃないんでな」


 霧生きりう先輩は前世と同じく動き始めると早いらしい。気づいた頃にはドアに向かっていた。


「あ、ちょっと待て」

「じゃあな! もう遅いから早く帰れよ」 


 私は慌てて体育館倉庫を出るが——猫のように俊敏なウンギリーだ。追いかけようとした頃には、もう小さくなっていた。






 ***






「相変わらず逃げ足だけは早いな」


 霧生先輩に逃げられて、がっくりと肩を落とした私は、そのまま帰り道を歩く。


 今日は学校で居残りをさせられたこともあって、いつもよりだいぶ遅い時間になっていた。


 以前よりも成績が落ちていることを、先生に指摘されたわけだが——許してくれ先生。やる気がないわけではないんだ。


 ——ただ眠いだけで。


 だがそんなことを先生に言うわけにもいかず、黙って説教を聞くしかなかった。


「はあ……お腹すいた。今日の夜飯はなんだろう」


 私はひとり呟きながら夜道を歩く。


 街路灯あかりに照らされた住宅地の道路は、見通しが悪く、いやな静けさが漂っていた。


 そんな中、ふと自分以外の足音に気づいた私は、少しだけ足を早める。


 いつもならもっと早くに気づいて早足で帰るなりしたのだが、霧生きりう先輩の意味深な言葉をぐるぐると考えていたせいか、気づくのが遅かった。


「ヤバいな。暗い場所での戦闘も嫌いなんだよな。前世なら、夜闇に紛れて少々殴られても平気だったが……今の体は弱いから」

 

 筋肉量を増やしたいところだが、体質のせいかプロテインを飲んでトレーニングしたところで体格が変わる様子もなく、むしろ自分の体の弱さを知ることとなった。頭だけは前世と同じく硬いのだが……。


 などと考えている間にも、気配は少しずつ私の背中に近づいていた。


 ちらりと後ろをうかがえば、黒いコートを着た大きな男の姿があった。


 私はとっさに逃げるようにして走る。だが、気づくのが遅かったこともあって、簡単には逃げられなかった。背後の影がどんどん近づいてくるのがわかる。


 私は一目散に走るが——いつの間にか、黒づくめの大男は私の正面に回り込んでいた。


 ——こういう時は先手必勝だ!


「やあ!」


 高くあげた蹴りを、その男は軽くかわした。


「こいつ、一般人じゃないな」


 私は間合いをとって後ろに下がるが、男は間髪いれず飛び込んでくる。


 その手にはキラリと光るナイフが握られていた。


「嘘だろ!?」


 仕方なく私は、素手でナイフを受け止めようと手を出すが——。


 その時、目の前に二つの影が現れて、同時に大男を蹴り飛ばした。


 そして転がる大男を尻目に、二つの影は私の元にやってくる。


「大丈夫ですか?」


 どこかで見たことのある、切れ上がった流し目に問われて、私は動揺しながらも頷いた。 


 すると、もう一人の優しい面立ちの少年が、私をかばうようにして前に出る。


「あなたは少し離れた場所にいてください」


 二人とも、私と同じ学校の制服ブレザーだった。


 私も慌てて戦闘体制に入るが、


「私も戦う!」


 宣言するなり、優しい面立ちの少年にぎょっとした顔で見られた。


「死にたいんですか!?」


 だが、そんなことをしてる間にも、刃物を手にした大男はこちらに向かってくる。


「来るぞ」

 

 切れ長の少年の一言で、私たちは構えを取る。


 ——が、


 大男はナイフを持ってこちらに向かってきた——かと思えば、私たちの間を素通りして逃げ去ったのだった。


 なんとか危機を脱して、ほっとしていると、優しい面立ちの少年が私に向かって怒りの声を上げる。


「もう、あなたは無茶な人ですね! 武器を素手で掴もうとするなんて」

「あれ? その顔……もしかしてホムルか?」

「なんで僕の前世の名前を……」

「いやあ、懐かしいなぁ。そういうお前はナムストレイじゃないか!」


 私がニコニコしていると、二人は顔を見合わせた。


「ひょっとして……団長? なわけないですよね……」

「おお! ホムルは私が団長だとわかるのか!? あ、でもまだ言わない約束だったんだ」


 たけるの『他の仲間には内緒にしよう』という言葉を思い出して、私は慌てて手で口をふさいだ。


 が、遅かった。


「健のやつ……わざと言わなかったんだな。団長が女の子だって」


 切れ長の少年——ナムストレイが呆れたように言うと、前世と変わらず優しい顔をしたホムルもため息を吐く。


「そりゃ、団長がこんな女の子だったらびっくりするよね。でも、さっきの体術はどう見ても団長だったし。こんな豪胆ごうたんな人、団長以外になかなかいないよ……」


 そんなことを言われて、私はたまらず頷いていた。


「そうだろう? そうだろう? 私は昔から無鉄砲なところがあったからな!」

「誰もほめてません」


 ホムルは呆れた顔をしていた。

 

「団長だからってあんな無茶な真似はするべきじゃない」


 ナムストレイにも指摘されるが、騎士との再会が嬉しすぎて、私は自然と笑顔をこぼす。


「ああ、うれしいな。これで全員と会えた」

「聞いてませんね」


 困惑気味のホムル。


「ちょっと、聞いてください団長」


 それから三十分ほどナムストレイの説教を素直に聞いていた私だが、内容は聞いていなかった。






 ***






 その夜、私は改めて前世の夢を見た。


 貴族ながらも野蛮な騎士だった私には、可愛い妹がいた。


 早くに両親を亡くして、手塩にかけて育てた妹は、ほんとによくできた子で。


 誰にも渡したくないと思うほど、大事にしていた妹だが——そんな妹も婚約を結び、結婚式をあげる予定だった。


 ——が、夢はそこで終わってしまった。


 考えてみると、妹の婚約よりあとの記憶がすっぽりと抜け落ちていることに気づく。


 幸せの絶頂だったあの頃のことを忘れるなど、ありえないことだった。


「おかしいな……どうして忘れてしまったんだろう」


 ベッドの上で呟いても、謎が解けるわけでもなく。


 思い出そうとしても、何も思い出せないことを不思議に思いながら、私は制服に着替えて登校した。


 だが夢のことばかりが頭をよぎって授業についていけず。


 仕方なく私は、放課後の音楽室でいつものようにたけるたちと合流すると、夢のことについて聞いてみることにした。


「なあ、たける。ちょっと聞きたいことがあるんだが」

「なになに? なんでも聞いてよ」

「私の前世についてだ。妹が婚約したところまでは覚えているんだが……その後のことがまるで記憶にないんだ」

「え……覚えてないの?」


 健と尚人なおとは顔を見合わせる。


「妹が誰と結婚したのかも覚えていないんだ。だから頼む、私のことを教えてくれ」

「ごめん……それはちょっと僕の口からは……」

「どうしてだ? なら尚人、お前なら教えてくれるよな?」

「……ごめん、俺も言えない」


 じゃあ伊利亜は? と聞く前に、そっぽを向かれてしまった。


「どうして誰も教えてくれないんだ? 私がよほど悪いことでもしたのか?」


 私が怪訝な顔で訊ねると、健はゆっくりとかぶりを振った。


「そうじゃないんだ……今はまだ言えないけど、もう少し待ってくれないかな?」

「何を待つんだ? どうせ教えてくれるのなら、今教えてくれないか」


 私の問いに、皆それぞれ浮かない顔をして下を向いた。


 なんだか嫌な予感がした私は、伊利亜に詰め寄る。


「なあ、どうして教えてくれないんだ? 私が何をしたって言うんだ!」


 私が伊利亜に掴みかかろうとしたその時、それを止めるようにして健が割り込んでくる。


「——ねぇ団長」

「なんだ?」

「団長は傷つく覚悟はある?」

「ああ。何を言われたって平気だ。だからなんでも言ってくれ」


 私はそう言うが、尚人は背中を向けたまま悲しい声で告げた。


「でも団長のことを話せば、俺たちも傷つくんだよ」

「ごめんね、団長。今日はこれで解散ということで——行こう、尚人、伊利亜」

 

 そう言って、健たちは静かに去っていった。

 

「私の過去に、いったい何があったって言うんだ」




 翌休日、自分の記憶のことですっかり滅入っていた私は、気分転換のため外に出ることにした。


 ……あのハンバーガーショップ、おいしかったな。姉さんに買って帰ろう。


 私は健たちと集まったハンバーガーショップのことを思い出して、再び訪れる。


 しかしガラス越しに見えたのは、騎士団のメンバーだった。


 ……どうして? 私は何も言われなかったのに。七人で集まって……何をしているんだ?


 自分以外の全員がそろっているところを見て、ショックを受けた私は、ハンバーガーショップから逃げるようにして遠ざかった。






 ***






「今日は、団長は来ないのか?」


 彩弓が逃げるようにして去ったあとの、ハンバーガーショップの店内。


 精悍せいかんな顔つきの青年——甚十じんとの言葉に、向かいに座る健は苦笑する。


甚十じんとさんには悪いけど、今日は団長のことで相談があって集まってもらったんだよ」


 ため息混じりの健を見て、ホムルこと細倉輝ほそくら ひかるは目を丸くする。


「団長のこと? なんの話?」

「実は団長、自分のことを覚えていないんだよ」


 その健の言葉に、霧生きりうも頷く。


「……みたいだな」

「団長、霧生きりう先輩のところにも行ったの?」


 健の問いに、霧生は頭を掻きながら答える。


「そうだ。うっかりあのことを喋りそうになって逃げたがな」

「そっか。でもどうしようね。ずっと言わないわけにもいかないし」


 健が唸る中、尚人も俯いてため息を吐く。


「知らない方が幸せなこともあるしね」


 その言葉に、重い沈黙が続いた。





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