第10話「金がない!」

 父母も姉弟も、今までコロナウイルスに罹患したことはなかったのに、とうとう母がかかった。

『明日の病院どうすんの?』

『タクシーで行って』

 翌日。髪をとかして、ひとつに縛り、推しキャラのアイライナーと香水をつけて、病院セットが入れっぱなしになっているバッグを持った撫子は、仕方なく自宅マンションの下にタクシーを呼び、病院へ行く。

 四千五百円が消えた。財布には、千円しか入ってない。

 診察代足りなくね?

 いや、それ以前に帰りの足がない。

 うーんと、頭を悩ますと、一時期通っていたデイケアのことを思い出した。あれの帰りのバスに乗れば、タダで最寄り駅まで行ける。

 診察代は、仕方ないので、ギリギリ携帯料金の引き落としの分を残して、四千円引き出す。

 そして、血液検査をして、内科の診察を受けた。


「肝臓の数値が、前回より良くなってますね」

「はい」

「何か変わったことありました?」

「食物繊維を摂るようにしてます」

「野菜を多く食べてる?」

「そうです」


 特に治療は必要ないそうだ。

 危ねぇ~。薬出されたりしたら“終わる”ところだったわ。

 撫子は、会計を済ませて、一息ついた。

 デイケアが終わるまで、あと一時間。スマホの充電は、60%だ。モバイルバッテリーは、家に忘れて来てしまった。

 まあ、なんとかなるか。

 撫子は、大抵のことは“なんとかなる”気がしている。

 スマホで執筆をしていると、メッセージアプリの通知がきた。

『なにしてる?』

『病院でバス待ち』

『どっか悪くしたのか?』

 ユウの心配そうな顔が浮かぶ。

『むしろ、よくなってた。肝臓』

『そりゃよかった』

『スマホ買ったんだ?』

『親のヘソクリでな』

 おそらく、盗んだのだろう。

『よかったよかった』

『おう』

『ユウちゃん、一緒にサンリオピューロランド行かない?』

『金がない』

『私もない』

『アホ』

 黒いマスクの下で、撫子は笑った。

 次の瞬間、母からメッセージがきたので、渋面を作る。肝臓の数値が、よくなったことを告げると、『勤行のお陰だね』と言われてムカついた。

 私は、勤行なんてしてないし。私が、散歩して野菜ともずく酢食ってるからだし。

 そう思うが、撫子は、曖昧な返事の代わりに可愛いスタンプを送った。

 その後。デイケア利用者紛れ込み作戦は、上手くいった。駅前で堂々と降車し、たまには千葉土産でも見るか、と駅の中に入る。

 オランダ家の楽花生パイが目に付いた。千葉県の美味いものとして、撫子が真っ先に挙げるものである。

 ラストひとつだったそれを、買うことにした。

 駅内の店を出て、自宅の方へ向かう。コンビニに寄って、昨日、弟が食べていて「いいな~」と言った、スーパーカップのレモンのレアチーズ味を買って帰宅した。

 病院へ行ったご褒美として、すぐに食べる。

 甘党の撫子は、とても満足した。

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