深淵をのぞく時

よし ひろし

深淵をのぞく時

 陽光が窓から差し込む明るいリビングルームで、新婚の夫婦は手を取り合って立っていた。


 妻はわたしの友人。


 夫はわたしの元カレ。


 新居の内見の案内を友人である彼女に頼まれ、わたしはここにいる。

 希望に満ち、未来への夢が膨らんでいる二人の姿を、なんでわたしは見ていなきゃいけないの?


 完全に当てつけだ。


 幸せな姿をわたしに見せつけている。

 わたしと彼が付き合っていたのを、彼女は知っているはずだ。

 知っていてわざわざ、今日、こんな機会を作った――くそ女だ!


 リビングらからキッチンへと楽しそうに話しながら歩んでいく。

 その後ろ姿を見ながら、殺意が湧く。


 後ろから突然首を絞めたらどんな気持ちかしら?

 苦しむ彼女の声を聴いて喜びに震えるかも。


 シンクの前で仲良く料理の話をする二人。


 あの足元の扉の中に包丁、あったかしら? 包丁で、ぐさりと刺したら気持ちは晴れる?


『赤ちゃんができたのよ、ふふふ』

 勝ち誇ったように微笑んだ彼女の顔が蘇る。


 あのお腹――彼との子供が宿るあのお腹を包丁で切り裂き、中味を取り出したらどんな気持ちだろう。

 快感――かしら?


 昏い妄想を膨らませているうちに、二人はキッチンを離れ、二階へと向かう。

 階段を上る女の後姿を見て思う。


 足を滑らせ、落ちてしまえばいいのに――

 念を込めて見るが、残念、わたしには超能力はないようだ。


 二階の洋室。子供部屋にいいね、とか言う女の横顔に突き刺すような殺意を向ける。

 整った綺麗な顔立ち――

 自慢のその顔をナイフで切り裂いたら、あなたどんな反応をする?


「ベランダがあるのね」

 そう言って彼女が窓際へと小走りに駆け寄る。窓を開けベランダに出たのを見計らって、彼の手を引いて廊下へと出る。


「ねぇ、どういうつもり?」

「あいつがどうしてもって――すまない」

 言ってから視線を逸らす彼。

 あの女の言いなりね。でもいいの。そんな少し気弱なあなたが好き。

「ホント、嫌な女。――でも、いいわ。気づいてないんでしょ、わたし達の事?」

「ああ、もちろんさ」

 ふたり、どちらからともなく顔を寄せキスをする。


 ふふふ…、最高の気分!

 あんたの旦那は、今もわたしのものよ。

 妊娠、出産、子育て――あなたは忙しくなりそうだから、彼の面倒はわたしが見てあげる。


「うぅぅん……」

 目を閉じ、壁の向こうのあの女を思いながら、熱く唇を重ね続ける。


 絶対に渡さない。このひとはわたしのもの……

 いざとなれば、あの女を殺してでも――


 思った瞬間、


「うぐぁっ!」

 突然彼がうめき声をあげた。


「なに?」

 目を開ける。血に染まる彼の顔が飛び込んでくる。

 目を見開き、わたしに何か言おうとしたまま、こちらへと倒れ込んでくる。


 その向こうに現れる、彼女の姿――


 右手に握られた鉈からは真っ赤な血が滴っていた。


「私がコケにされるの嫌いなの、知ってるよね?」

 いつになく低い声で言う彼女。冷徹に見つめる瞳の奥に燃える殺意の炎。


「どうして……」


「気づかないと思った、あなたの殺意のこもった視線に」


「それは――」

 彼女の中にわたしと同じ昏い感情を見る。


「だから、られる前にね――」

 彼の血に染まった鉈が、わたしに向かって振り下ろされて――……

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深淵をのぞく時 よし ひろし @dai_dai_kichi

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