第24話 悪の秘密結社、馬車に乗る

 法整備が進み盗賊、のぶせり、追いはぎ共が半ば空想上の生き物となった現代にあっても、夜は良からぬ連中が跋扈する危険な時間帯である。未だ彼らが本の中の住人となってはいないこの世界においては、迂闊にお天道様の加護から道を踏み外そうものなら悪辣非道の輩に食い物にされること請け合いであろう。特に今は近辺の治安維持に尽力していた魔女教会が混乱しており、事件の裏に関わっていたと思しき領主のオブラン公との確執も相まって仕事のやりやすい時期だ。耳ざとい連中であれば話を聞きつけて、ここいらで仕事に勤しむ算段を早々に付けていたかもしれない。

 松明の火は八個ほどに見えた。先頭の二つの炎を取り囲むように六つの炎が上下している。

 私では明かりの個数と配置程度しか分からず、それがどういった類の連中の照明なのかまでは見ただけでは判断できない。もしかしたらあの光の群れは荷馬車とそれを守る警備の者たちかもしれない。しかしパランは悲鳴が聞こえるし、微かな血の臭いもしていると言うではないか。

 私は泣く子も泣かす悪の秘密結社グレート・グレーター異世界支部支部長である。遍く善良な市民に悪事を働くのは我々の専売特許であり、私の許可もなく同業他社が民にいたずらするのは特許の侵害に他ならない。本来ならば法廷で言葉巧みなバトルを繰り広げる所だが、私たちは何と言っても悪の秘密結社である。法をかなぐり捨ててグーパンで解決するのも一興だろう。


 ミチにはメイプルを守ってその場に待機するように命じて、私はパランに跨り松明の火の下へ駆けた。

 私たちがたどり着いた時には馬車は既に停止しており、その周囲を囲んでいる武装した輩が中身を物色していた。馬車の傍らには男性が倒れており、彼を心配するように二人の女性が傍に座っている。族の一人が私たちのことに気づいたが、その時にはパランは六人の族に向かって飛び掛かっていた。

 俊敏に動くパランの背中にしがみつくのが私にはやっとで、全く周囲の様子など見ている余裕はなかった。激しい振動が治まってようやく辺りを確認できるようになった時には、盗賊共は地面に伸びていた。

 私はパランの背から降りると馬車の傍で固まっていた女性たちに近づく。彼女たちは突然起きた出来事に酷く狼狽しており、見たこともないような大きさの獣とそれに跨っていた私のことを強く警戒しているようであった。

 私は「安心してください。あなた達に危害を加える様な事はしません」などとそれらしいことを言ってみたりもしたが信頼を得る効果は全くなく、ついには二人のうち年上であろう女性が懐からナイフを取り出す始末である。同業同士の獲物の奪い合いとでも思っているのだろうか。私は彼らを安心させる方法はないかと考思したところ一つ妙案が思いついた。


「ミチ! メイプルを連れてここまで来てくれ!」


 私が夜闇に向かって叫ぶとミチが上空からメイプルを連れて降ってきた。余程怖い思いをしたのかおんぶされているメイプルは、よだれを垂らして目の焦点が乱れている。


「おい、メイプル。しっかりしろ。お前の出番だ」


 私が何度かもちもちの頬を叩くと、メイプルは正気を取りも出した。特徴的なとんがり帽子を被りなおして周囲の様子を見渡している。何が起きたか全く把握できていないのだろう。しかしそんなんでも私が期待した通りの効力をメイプルの姿は発揮してくれた。


「魔女様! ああ、魔女様が助けに来てくださった!」


 二人の女性が歓喜の声を上げた。この世界の住人は魔女たちをやたらとリスペクトしているようだから、メイプルの姿さえ見れば幾ら珍妙な我々であっても信用してくれると睨んだのだが、大正解だったようだ。


「どうか父をお救いください、魔女様! 野党に襲われ刀傷を負っているのです! 我々では応急処置がやっとで、お願いします!」


 どうやら勝ち取った信頼はメイプルには少々荷が勝ちすぎるようで、手に負えないような難題を押し付けられて困っている。頻りにメイプルはどうすればよいか尋ねるように私の顔を見た。私だってスマホがなければ因数分解も上手にできないような不甲斐ない社会人だ。医学知識などは語るに及ばないだろう。

 だが私の傍にはスマホ顔負けの便利アイテムを多数搭載しているミチがいる。困ったときの掛け声は「ヘイ! ミチ!」だ。


「この人を治療できないか?」


 私の命令にミチは頷き、倒れている男性に近づいた。メイプルが「その人はアタシの部下だから大丈夫!」などと見栄を張っているが、この嘘のおかげで彼女たちがミチによる摩訶不思議な医療行為の邪魔をせずにおとなしくしていてくれたのはありがたかった。

 指先から細い光の線を照射するだけで、ミチによる治療はものの数分で終わった。何やら光線が傷口がある個所を幾度か往復していただけに見えたが、驚くほど施術の効力は抜群のようでうめき声一つ上げることのなかった男性が徐に目を開けたではないか。

「お前達、無事か……?」一言そう言った彼は涙を流す娘たちの様子を見たのち、付近で伸びている盗賊と私たちを順に見た。


「魔女様が助けてくださったのですか。なんとお礼を言ったらよいか」


「えっ? いや、えっと……当然よ! 魔女として当然のことをしたまでなんだから!」


 ふーんっと小さな胸を張るメイプルの顔にはあからさまな動揺が透けて見えていた。可愛そうだが今回は自分の手柄でもない事を自らの功績のように風潮する、間抜けなピエロとして振舞ってもらうことにしよう。


「ねえ、とりあえずこっから移動しようよ。また変なのに絡まれても嫌だしさ」


 馬車の陰からひょっことパランが顔を出す。今まで姿を見せずにいたのはコソコソ気づかれないように人間の姿に戻っていたからのようだ。


「ええ、そうですねそうしましょう」


 幾ら驚異的な医療処置であってもあの短期間で完治させられるほど都合の良いものではなかったらしい。苦しそうに立ち上がる男性を二人の娘が両脇から支えている。


「どうぞ、皆さまも馬車にお乗りください。目的地までお連れしましょう」


 私たちは男の提案に甘えさせてもらって馬車に乗り込んだ。

 助けた男性の馬車は馬二頭立ての四輪大型馬車で、後部に荷を乗せてその手前には人間を乗せるスペースが用意されていた。しかし、精々四人を乗せるのがやっとの広さだったので私とパランは貨物置きに乗っけてもらうことにした。


「そうですか。南魔女教会へ向かう途中でしたか」


 既に女の子たちは眠りについてしまい、私は音量を控えめにして男と会話を続けた。

 彼の名はダランと言い、娘たちと一緒に行商を行って生計を立てているそうだ。今回はインバトの街での騒動に巻き込まれてくたくたになった挙句に、教会と領主の関係が劣悪になって商売どころではなくなってしまった為、予定を繰り上げて街を出立したらしい。

 焦って飛び出したところを盗賊団に襲われたのは不運としか言いようがない。


「しかしそれは良い巡り会わせです。サンプルスコには我々も立ち寄る予定でした。どうでしょうか、このまま我々と旅をしては頂けないでしょうか。そうしてくださると私たちとしても大変心強いです」


「ええ。もちろん。私どもとしてもとても助かります」


 まったく魔女教会様様である。図らずも当面の旅の足を手に入れることが出来た。上手いこと魔女のとんがり帽子を使っていけば、これからの旅は楽が出来そうだ。

 多分同じぐらい苦労も呼び寄せるだろうし、これぐらいのことはしても罰は当たらないだろう。



 ◇



 馬車というものに初めて乗ったが、想像していたよりもエキサイティングな乗り物である。バカみたいに揺れに揺れて、外に放り出されるのではないかと何度肝を冷やしたものか。文明レベル的にサスペンションめいた物が搭載されているとは考えなかったが、こうも地面の凹凸を敏感に感知して車体を揺らすものだとは思いもしなかった。自分が乗り物酔いとかしない質で本当に良かった。


「おえええ」


 メイプルの背中を摩りながら私は心底そう思った。

 馬も重たい荷車を牽き続けることは出来ない。どこかで適度な休息が必要になる。ダランは川辺に馬車を止めて休憩を取った際に私たちにそう説明したが、偉大なる魔女様の弱った姿を見てかなり気を揉んだんだろう。


「魔女様、大丈夫ですか? これお水です」


 ダランの次女であるピスロが川で汲んできた水を持ってきてくれた。歳はメイプルと同じぐらいに見えるが、それにしてはかなり出来た子の印象を受ける。それに引き換えメイプルときたら、帽子を脱いだ今はただのくたびれたクソガキとなり果てている。

 メイプルはピスロからひったくる様に水を受け取ると、ぐびぐびと喉を鳴らして一気に容器を空にした。


「うげええ、気持ち悪いぃ……」


 感謝の言葉の一つでも言えたらよかったが、そんな余裕はないらしい。口からよだれを垂らしてばっちいことこの上ないな。

 私は代わりにピスロにお礼を言うと、彼女は空になった容器をもってまた川へと走って行った。健気なことだ。

 ピスロの懸命なシャトルランと私のてきとーな背中摩りの甲斐もあってメイプルはなんとか一命を取り留めた。みんなで良かった良かった、と胸をなでおろしていたが元気になったら元気になったで今度は駄々をこね始めた。「もう馬車には乗りたくない」

 とんでもない困ったちゃんだ。お前がそんなことを言うと敬虔な市民であるダラン一家は「それは仕方がないですね」と今にも言い出すだろうが。せっかく手に入れた足をみすみす手放すわけにはいかない。ここは魔法の言葉「ヘイ! ミチ!」の出番だ。酔い止めをくれ。甘くておいしい飴ちゃんみたいなやつを。


「それなら私に一ついい方法があります」


 私が魔女よろしく呪文を唱える前に、ピスロがサイバトロン軍総司令官みたいなことを言いだした。


「誰かの膝の上に乗ればいいんです。私も幼いころはお姉様にそうしてもらいました」


 ピスロは姉のシンシアに抱き着いた。なんとも仲睦まじい姉妹だろうか。その様子は姉を失ったメイプルにとっては非常に輝かしく、それでいて羨ましく見えたことだろう。私はメイプルの頭をぽんぽんと叩いてやった。お礼に一発、強烈な蹴りが私の太ももを殴打した。このクソガキ泣かすぞ。

 私とクソガキの攻防がしめやかに行われる一方で、話は勝手に進んでいった。


「シンシア、頼めるかい?」


「私が魔女様を膝の上に乗せるだなんて、とんでもありません。ピスロも滅多なことを言うものではありません」


「でもぉ……」


「じゃあ彼にやってもらおうよ」


「えっ?」


 ついにじたばたするメイプルを捕まえたところで白羽の矢が私にぶっ刺さった。


「どうだメイプル。酔わないか?」


「……うん」


 私の膝の上でちょこんと小さくなっているメイプルは、意外と大人しくこの屈辱的シチュエーションを受け入れていた。なんやかんやあの厳しい戦いを共に生き抜いた仲間だ。私たちの間には信頼関係や友情というのが芽生えていたのだろう。メイプルがそれに免じて身を委ねてくれているのだから、大人げない態度を取ってしまったことは謝らなければなるまい。

 メイプルは大事な帽子を抱えてもじもじしながら羞恥に耐えている。


「メイプルさっきはごめんな。少し大人げなかった」


 私がそう言って頭を撫でるとメイプルの踵が私の脛をぶっ叩いた。やはり許さんクソガキ。

 私とメイプルの言葉無き闘争はサンプルスコの道中にある村の一つに着くまで続いた。

 馬車を降りる頃には私は既に満身創痍になっており、立って歩くこともままならなかった。それはメイプルも同じようで一人では立ってられないほど疲弊していた。


「ごめんなさい。私が余計な提案をしたせいでお二人とも体調を崩してしまうだなんて」


「本当に申し訳ありません。全ては自分の責任です。無理を押して馬車に同乗してくださったとはつゆ知らず無理を強いてしまいました」


 ぺこぺこと謝罪を続けるダラン一家を宥める気力もなく、私は生まれたての子羊のように足を振るわせるだけで精一杯である。あまりにも見るに堪えない様子だったからか、メイプルを抱きかかえながらパランが「多分これはそう言うんじゃないから心配しなくていいよ」と言った。

 私はミチに肩を貸してもらいながら今宵の宿へと向かった。

 いい加減にメイプルは頭を触られるのを嫌うということを学習せねば。私が中学生低学年ぐらいまでは両親に頭を撫でられると嬉しかった記憶があるが、それは自分の両親だったからであって赤の他人のオッサンにやられて嬉しいものではないか。肉親だから心許せるのだ。


 ……寝付けない。

 粗末な草のベッドや荷物に挟まれた馬車の中でもない。魔女教会の立派なベッドとは比べようもないが、それでも幾分かマシな寝床のはずだ。それなのに全く眠れないというのは、不眠の原因は環境ではなく私の心境にあるのだろう。

 私は暫くベッドの中でもぞもぞしてから、薄いシーツを引っぺがして部屋の外に出た。

 私の部屋の左手にはバルコニーがあり、私は夜風に当たる為にふらふらと足を運んだ。そこには先客が一人いた。


「メイプル。子供はもう寝る時間だぞ」


 バルコニーに居たのはメイプルであった。彼女は大事そうに三角帽子を抱きしめて、手すりに背を預けている。

 私のあからさまの子ども扱いにメイプルは反応を示さなかった。私はおや、と思った。

 しばらく無言のまま私とメイプルはベランダで夜風を楽しんだ。今日は月が大きくて比較的明るい夜であった。

 現代人の私には本当に暗い夜など経験のないことであったが、街頭などの人口の明かりがまるでないと月の明るさすら昼間の太陽のように輝いて見えるものだ。


「なんで何も言わないの」


 沈黙に負けたのか、出し抜けにメイプルがそう言った。

 私は何と返すべきか暫し考えた。考えたがうまい返しが思いつかなかったので「うまい言葉が思いつかなかったから」とありのままを伝えた。メイプルは「あっそ」と呟いた。そして二度目の沈黙が訪れた。


「俺には兄弟はいないが、父とは早い頃に死別した。あっ、早いって言っても高校三……十八歳の頃だけどな」


 勝手に喋りだした私の言葉にメイプルはリアクション一つ取らなかった。なので私は勝手に喋り続けることにした。


「親父が死んだときは結構泣いたっけな。余命宣告も医者からされてて、家族みんなで『もう死ぬぞ! だから楽しむぞ!』みたいなバカなテンションしてたのにさ、いざ死んだら俺も母親もバカみたいに泣いてさ」


「……だからなに?」


「だから、その、だから、うーん。なんかいい感じに慰めようと思ったんだけど、やっぱりいい感じのこと思い浮かばなかったなあ……」


 メイプルが呆れたように言う。「なにそれ。バカじゃん」


「今の私はそこまでバカじゃない。……アウナさん辺りはやっぱり上手いこと慰めてくれたりしたのか?」


「うん。してくれた」


「そっか。インバトを出た時は元気そうだったもんな。でもやっぱ仲のいい姉妹を見るとお姉ちゃんのこと思い出しちゃうか」


「うん」


「思い出してあげたほうがいいよ。俺はもう、ダランさんとかを見ても父親のことは思い出せないし。ぶっちゃけ顔とかかなり曖昧だしな」


「なにそれ。はくじょーもんじゃん」


「そうだな。大人だからな」


「嫌だなあ、アタシ。大人になるの」


「んー。悪いことばっかじゃないけどな」


 それっきり私とメイプルが言葉を交わすことはなかった。

 どれぐらいバルコニーでボケっとしていたかはわからないが、ふわっと大きなあくびをメイプルがした。「アタシ、もう眠いから、もう寝るね」


「おやすみなさい」


「おやすみ。また明日」


「うん。また明日」


 私はメイプルが自分の部屋に戻ってくるのを見届けてから部屋に戻った。その後は何事もなかったようにぐっすり眠りについた。

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