第18話 悪の秘密結社、苦戦を強いられる
我々VSカロリア&ニッチェの戦いを上から眺めているエアトリーチェは、血の魔法で生み出した赤黒い凝血の椅子に腰かけていた。
決して座り心地の良さそうには思えない禍々しいデザインの椅子に腰かけているにもかかわらず、その座り姿は実に優雅で、戦意というものは微塵にも感じられなかった。
エアトリーチェに攻撃をする気配がないのであれば、ミチは蹲るサンザロナの近くから離れることはせず、自ら攻撃を行うことはしなかった。
サンザロナはミチの手当てにより出血自体は止まっているが、エアトリーチェの血の影響を受けて身体の自由は効かないようである。
各勢力の最強のメンツが一堂に会しているにもかかわらず何も起きないこの異様な均衡を最初に崩したのは、些か弱り気味のサンザロナであった。
「ミチさん、で良かったからしら?」
アウナから客人のことを聞いていたサンザロナはいきなり空から降ってきた少女こそが件の魔法に耐性があるミチ少女であると見当をつけた。
ミチは頷きながらしゃがみこんだ。エアトリーチェはそれらの一連の動きには全く関心がないようで、視線を眼下に集中させている。
「助けに来てくれたのよね」
「はい。そうです」
「なら私を連れてここから離れてはくれないかしら。情けないけれど動けそうにないのよ」
「それはダメよ」
ミチの返事を待たずしてエアトリーチェが口を開いた。彼女はやはり関心がないように視線を一切動かさない。
「今は私たちの児らが戦っているのだから、それを見届けてあげないと。あなたはそこでじっとしていなさい」
ミチは何度かサンザロナとエアトリーチェの方を交互に見て、黙ったまま立ち上がった。
私がミチに与えた命令は、
「サンザロナさんを守れ」
「サンザロナさんを攻撃する奴はぶっ飛ばせ」
この二つだ。
私の心配は杞憂だったようで、ミチは正確にこの命令を守っていた。
今はエアトリーチェはサンザロナを攻撃する素振りが全くないのでぶっ飛ばす必要がなく、サンザロナを動かすことで危険が伴うのであれば、守るためには何もせずにぼっとすることが一番である。
動きたくても動けないサンザロナ。動く気はないが動けるエアトリーチェ。動けるが動かないほうがいいミチ。
この立場の違いこそが、奇妙な硬直状態を保つのに一役買っていた。
しかし、時間制限付きであることは確かだ。下のドンパチが終われば結果はどうあれ、エアトリーチェはすぐにでもサンザロナを誘拐するだろう。
そのことはサンザロナも先刻承知だった。
「エアトリーチェ。なぜあなたはこんな恐ろしいことをしようと思ったの」
会話で情報を聞き出すことは身体の動かせない今のサンザロナが唯一出来るエアトリーチェへの抵抗であった。無論、口を開かないでいるだけでその抵抗はむなしく撃沈するのだが。
「恐ろしい……。風見鶏、私にはね、よっぽど魔女教会の方が恐ろしく見えるの」
「それは竜のことを言っているの?」
「違うわ。あんなのはどうってことはない些細な問題よ。私が恐ろしいのはね、ありとあらゆる知識が正常に分配されずこの世を巡らないことよ」
エアトリーチェの視線がここに来て、下の戦いから逸れてサンザロナの方へ向いた。
この問答は彼女にとって余程意味があることらしい。惜しむらくはミチが全く話の意味を理解できていない事だ。
「賢い者、そうでない者、その違いはあれど全ての者に学びの機会は与えられるものよ。けれど魔女教会はそれを制限し、意図的に知識の偏りを世界に齎している」
「確かに教会は魔法的存在について秘匿している事実はあります。ですがそれは、良からぬ者にそれらが渡らぬようにするためであって」
「では魔女は良い者だと」
サンザロナの口が動きを止めた。
余程痛い返しだったのだろう。適切な言葉が見つからないでいるように見える。
その様子を横目に一瞥してエアトリーチェは興味をなくしたように、視線を下で行われている戦いに戻した。
「あなたは異端と呼ばれ、教会から追われたことを根に持っているのよ」
サンザロナは再びエアトリーチェの興味を引くためにも明らかな挑発混じりの言葉を投げかけるが、そんな見え透いたものに引っかかるほどエアトリーチェは浅はかではなかった。
「こだわる必要のないことね。帽子も称号も、研究室だって、私には必要ではなかった」
視線を動かさずに淡々と言う。会話は成立しそうだが、有意義な会話にはならなそうなことは安易に想像できた。サンザロナはこれ以上のやり取りに価値を見出すことが出来なかった。
「あなたの目的はなに?」
なので最後にそう聞くことにした。
「私の目的は全ての魔女を殺して、その血肉で本を作ることよ。今まで魔女たちが隠してきたものすべてを記した、私の知恵の子らに贈る本を」
エアトリーチェのこの発言に対して理解できるところなど一つもありはしない。だが彼女は魔女教会の中でもトップに君臨するビッグハットの一人を確かに追い詰めている。
サンザロナはあまりにも恐ろしく、あまりにも悍ましいエアトリーチェの発言に苦虫を嚙み潰したような表情で顔をそむけた。エアトリーチェは眼下の戦いに集中している。ミチはただ、時が過ぎるのを空を眺めて待っていた。
均衡は今しばらく解けそうにない。
◇
この戦いの終わりが新たな戦いの始まりを意味するなど、私含め全員が知る由もなかった。ただお互いにそれぞれの目的のために戦うのみだ。
三対二と数ではやや優勢の我々だったが、戦闘における相性ではこちらの方が不利であるようだ。
傷の魔法とやらで一瞬で身体のありとあらゆる傷を完治させられるカロリアは、物理的な攻撃しか行うことの出来ないパランと元ハゲでは突破することは難しい。なのでカロリアの相手はアウナさんに任せるのが筋だが、相手にもそれはわかっていることだ。カロリアの相棒であるニッチェがそれを簡単には許してくれない。
パランと元ハゲのフィジカルタッグを主にカロリアが、マジカルパワーを使うアウナさんをニッチェがマークする形になっており、苦戦を強いられている。
特にニッチェは様々な魔法を使うようで、アウナさんは手も足も出せないようだ。
「魔法って一人一個じゃないの?!」
目の前で巻き起こった爆発を辛うじて躱してパランが叫んだ。
「その筈ですが、彼女たちは何らかの下法により、おそらくは生きた魔女を触媒に使うことでその素材にされた魔女の魔法を使うことが出来るようです」
「マジそれ、許せない!」
「許せなくても殺せねェんだよ! てめェじゃよォ!!」
パランが隙を付いてニッチェの方へ向かおうとするのを爆発の魔法でカロリアは止めた。
だが、更にその隙を付いて元ハゲがカロリアを殴り飛ばした。
「殺せなくてもいい。ぶっ飛ばして一時的に三対一を作るぞ。あの眼鏡を瞬殺する」
流石に戦いなれている元ハゲはこの物騒な状況下で非常に頼りになる。
教会の中まで吹き飛んだカロリアは暫くは戦線に復帰することは出来ないだろう。素早くパランがニッチェへ距離を詰めた。
「終わり!」
見るからにインテリなニッチェは接近戦を得意とするカロリアに比べて明らかに反応速度が遅かった。
凄まじい速度で距離を詰めたパランの行動に全く反応できずに長い爪で切り裂かれた。かの様に見えた。
まさに霧が晴れるかのように切り裂いたはずのニッチェの姿が霧散していく。そして、直後に巨大な爆発がパランの身体を投げ飛ばした。「パラン!」
弧を描いて吹き飛ぶパランはまるで風に運ばれる紙切れのようだった。私の頭上を軽々と飛び越えて、教会へ伸びる坂の下へと消えていってしまった。
人間ほどの大きさの物体があれほど軽々と吹っ飛ぶ程の爆発がどれほどの破壊力を有しているか、平和な日本で物騒な悪の秘密結社に所属していた私にも想像することは難しい。それこそビルなどを解体する時に使うダイナマイトなんかと比類するのではないのか。
私はパランの容態が気にかかるものの、メイプルを一人にできずにその場を離れられずにいた。
「奴め、鼻が利かんばかりに不様な手に引っかかりやがって」
「あれはルーが使っていた霧の魔法です。霧を通して物を見ることや、逆に物を見せることが出来ます」
アウナさんは解説しながらニッチェがルーの魔法を使える意味を理解してしまった。
「これで二対二。あなた達の万が一の勝ち目もなくなった訳ね」
二人に緊張が走る。三対二の状況下でも戦況は不利と言っても差し支えなかったのに、ここに来て唯一勝っていた人数差も埋まってしまった。
「いや、一対二かしらね。どちらにせよ、もうあなた達の負けよ」
ニッチェが言うと同時に元ハゲの右腕は激しく引き裂かれたかのように血を噴出した。本人も何が起きたか理解できなかったようだ。
「ハゲさん、あなたもしかして」
「今はハゲと呼ぶな。……傷の魔法か、厄介だな」
「殺せねェし、殺される。全く、やんなるねェ。なァ……ハゲのオッサン」
大げさに鉈を振り回しながら教会から出てきたカロリアは満面の笑みであった。
元ハゲの出血はどうやら彼女が引き起こしたようである。
「さァ、一度傷が付いたらもうおしまいだ。そこからズタズタに引き裂いてやるよ」
「おい。お嬢ちゃんに一つ確認がある」
カロリアの言葉を無視して元ハゲは隣にいるアウナさんに質問をした。
その様子に不服そうなカロリアを見る限り、彼女は自分のセリフに慌てふためいて欲しかったのだろう。
「奴の魔法は傷をつけた個所に更に何らかの攻撃を加えるものと考えているんだが、それで間違いないか」
「ええ。概ねあってます。厳密には自分で傷つけた個所であるなら距離に関わらずあの鉈で傷をつけることが出来ます」
元ハゲは「なるほど」と納得すると、恐ろしいことに自らの右腕を左腕で切断したではないか。
切断面からは一時的に血が噴き出ていたが、すぐに筋肉がうごめいて断面は肉と毛皮で覆われた。
マッスルコントロールと呼ばれるボディビルダーなどが使う、意図的に各種部位ごとの筋肉を動かす技術があるが、これはそれを更に飛躍させた現象と言えるだろう。
獣から人へ、全身の筋肉を操ったり、骨格を変貌させたり、マッスルどころかボディ全体のコントロール技術に長けた彼らの種族ならではの豪快な止血方法だ。
「これで二対二のままだな」
「バケモンがよォ……!」
余裕綽々と言った感じでカロリアを煽っているが、ほんのかすり傷であっても腕を落とさねばならないほどの致命傷になるのだからこれは非常にまずい状況である。
ますますカロリアとの戦いはアウナさんに任せたいが、人数が同じになってしまった以上はそれも難しいだろう。
「カロリア。アウナの方からやるわよ。獣一人ならあなたが負けることはない」
「アイツのが軟だしな。オッケー、じゃあサクッとやっちまうか」
なにやらニッチェとカロリアがこそこそ作戦を立てているのが遠目からも確認できる。
私は徐々に不利になる戦況に意を決して、行動に移ることにした。
「メイプル。いいか、よく聞け」
メイプルは少し落ち着きを取り戻した様子ではあったが、目元は真っ赤に腫れて涙は未だに滾々と湧き出ている。
身体を微かに震わせて会話ができる状態には思えない。しかし、私は返答を必要とせずに一方的に話したいことだけ喋った。
「私は吹き飛ばされたパランの様子を見てくる。治療が必要そうなら医者の所までパランを運ばなくちゃいけない。だから、戻るまでには結構時間がかかると思う。その間、お前を一人にしなくちゃいけないが大丈夫だよな。暗い森でのお前は一人ぼっちだったけど強かったもんな。大丈夫だ。お姉さんのことはアウナさんに任せておけばいい。絶対に敵は討ってくれる。じゃあ行くぞ」
私が立ち上がるのを見てメイプルは何かを言おうとしたが、どうやらそれは飲み込んだようで小さく頷いて見送ってくれた。
パランが吹き飛ばされた方向へ暫く走って行くと、石畳に血の跡が微かに残っているのを発見した。
何かを引きずったらしく掠れているそれの指す方向を見ると、民家の間で横たわっている獣の姿のパランを発見した。
腹と両足に大きな火傷が見られ、爆発が直撃したであろう箇所は毛が禿げて炭化した皮膚が露出して実に痛々しい。幸い出血は大したことなく、砕け散った石畳の破片が少しばかり身体を傷つけている程度であった。
爆発を防ぐために盾に使ったであろう両脚は四本とも動かせるようには見えない。ここまで這ってくるのも苦労しただろうに、彼女は街の住人が驚かないように目立たない場所まで移動したのだ。
「パラン、大丈夫か? 人の姿になれるか?」
私の言葉にパランは小さく首を振った。
よかった。どうやら意識はあるようだ。
「わかった。ならそのままでいい。医者の所まで連れてってやる。なにか車のようなものがあればいいが」
パランを運ぶための荷車を探してキョロキョロする私の頬をパランがペロリとひと舐めした。
私が驚いて目を丸くしていると、パランはへっへっへと犬のような笑い声を出した。
「大丈夫だから、こんなのすぐよくなるよ。本当だよ。だからね、私が煙を上げたら、そっちも煙を上げて」
彼女はそれだけ言い終わると目を閉じてゆっくりと呼吸をし始めた。まるで寝ているかのようだ。
私はパランの言うことを信じてみんなの下へと戻った。
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