第15話 魔女教会、襲撃される

 時は少しばかり戻り、キングスライムがまだバギクロスで木端微塵になる前にまで遡る。


 キングスライム内部でルーと共にサンザロナはお仕事に励んでいた。この時サンザロナは指名手配犯の捜索を行っていたらしく、ルーの霧の魔法を風で飛ばして広範囲を隈なく索敵していたという。

 ゆえに敵が既に教会の膏肓にまで潜り込んでいたことは、想定内であったものの予想外であった。


「どなたですか?」


 誰も立ち入ってはならないとお触れを出していたキングスライムの中に堂々と扉を開けて侵入してきたのは、あろうことか誰もが怪しんでいたニッチェである。

 サンザロナは彼女の姿を認めると残念そうにため息を付いた。


「皆、あなたが怪しいと……そう言っていました。私はそうでなければよいと思っておりました」


「期待を裏切ってしまったようで申し訳ありません。サンザロナ様。ですが、安心してください。ここにいるのは私だけではありません」


 何を安心しろというのかよくわからないが、ニッチェはローブの袖をまくって白くて細い腕を露出させると、その手首をナイフで切り裂いた。よっぽど心配になる光景である。


 勢いよく噴出される血はもはや致死量を超えて、彼女の足元に血だまりを作るほどだ。ニッチェはその光景を実に楽しそうに眺めており、この行動が単なる自傷行為ではなく何らかの魔術的儀式であることが窺い知れる。

 やがて血の一滴まで出し尽くすとニッチェは細い腕をローブにしまった。鮮血は不思議とカーペットに吸い込まれることもなく、プルプルと妙な立体感を保って水たまりの様相を保っている。ラズベリー味のこんにゃくゼリーだと言われた信じてしまいそうな程のプルプル具合は、この血溜まりに込められた魔力的威力が甚大な事を雄弁に物語っていた。

 しばらくして血だまりの一部がぶくぶくと泡立ち始めたではないか。サンザロナはその悍ましい光景を普段の優しい眼差しからは想像もつかない鋭い眼光で射抜いていた。


 血の池が盛り上がり、恰も泉の精霊かのように赤い水を纏って現れたのは一人の女性だった。

 赤黒い髪を後ろでまとめてお団子にしており、胸の大きく開けた、身体のラインを強調するぴったりとしたシルエットのドレスを着こなしている。危なげな蠱惑さを身にまとうその女性は、言っちゃ悪いが典型的なおばさん体系のサンザロナと正反対に位置するように思えた。


「異端の魔女……ビッグハット、血のエアトリーチェ……!」


 身体つきや身にまとう雰囲気が正反対だが、彼女もまたビッグハットと呼ばれる一人であるようだ。


「もう、帽子は捨てたの。ビッグハットではないわ。風見鶏」


 確かに彼女はビッグハットなんて肩書を持ってるがサンザロナのようなでっかい帽子は被っていない。それが魔女界隈でどういった意味を持つのか部外者にはわかりかねることだが、彼女がもはや魔女という立場を捨てている事は誰の目にも明らかだ。策を弄し、教会に害をなそうとしているのだから。


「お姉様。計画はうまく進めておきました。現在、この教会にはまともな戦力は残っていません」


「ありがとう。でもこうして一人でいてくれてるのだから、あまりあれこれまどろっこしいことをするまでもなかったかしら」


「お姉様……今、彼女をお姉様と呼んだの、ニッチェ」


 サンザロナはニッチェが確かにエアトリーチェをそう呼んだことを聞き逃さなかった。ニッチェは微笑むばかりで返事をしない。


「あなた知らなかったのね。まあ、無理もないわ。ニロアニーチェとは腹違いの姉妹ですから」


 代わりに答えたのはエアトリーチェであった。

 ニッチェという名前はあだ名のようなものらしく、彼女の本名はニロアニーチェというらしい。姉とよく似た名前である。

 ニッチェがエアトリーチェと肉親であったことは余程堪えたようで、サンザロナは辛そうに目頭を押さえた。なんとも居たたまれない光景に出来る限り息を潜めて、サンザロナの影のように振舞っていたルーが心配そうに声を出すほどであった。

 彼女は心配しないでと返事をすると、正面を見据えた。


「とても残念です。あなたは初めからそのつもりでこの教会の門を叩いたのですね」


「感謝はしております。ですから、あなたには抵抗しないでいただきたいのです。幾らビッグハットでも複数人を一人で相手は出来ない」


「ニッチェ。あなたは勉強熱心な子です。多くの事を学んできましたね。ですが、やはり経験こそが最も尊い学びなのでしょう」


 サンザロナは喋りながらルーへ逃げるように合図を出す。

 初めからここまで敵が侵入してきた場合は、ルーは真っ先に逃げ出す想定になっていたのだ。

 それはルーが戦闘向きの魔法を使える魔女ではないから。という訳ではない。理由はもっと単純である。


「ビッグハットとそれ以外の魔女の間にどれほどの差があるか……身をもって学びなさい」


 サンザロナの魔法に巻き込まれない為だ。


 魔法というのは引き起こす現象が単純であればあるほど強力であるとされる。

 アウナの摩訶不思議で複雑な香りの魔法より、メイプルのただ爆発させる魔法のがより単純で、こと破壊力においては比べ物にならない。

 そういった単純な自然現象や物理現象を引き起こす魔法を持つ者がどちらかというと戦闘向けの魔女という事になる。そして、そのトップに立つのが風の魔法を操るサンザロナだ。


 サンザロナを中心に超局所的つむじ風が巻き起こる。その風圧に窓が勝手に開いたり閉じたりとジタバタ騒ぎ出す。

 マナティー的可愛らしさを身にまとうサンザロナはお世辞にも強そうとは思えないが、少し気合を入れるだけで風を操るその圧倒的魔力には他の魔女たちとは異なる卓越された技能というものを感じずにはいられない。

 それは魔術的知見を全く介さない妄想に近い感想ではなく、ニッチェもまた同様の感想を抱いていた。

 しかし、この場に居る者でサンザロナに怯えない者もいた。


「私以外は問題にならない。それは傲慢だとは思わない? 風見鶏」


 それは血のエアトリーチェであった。

 同じくビッグハットの称号を戴いた彼女だからこその余裕だろう。それと同時に彼女とその妹の態度の差こそが、自身の言葉が矛盾に満ちたものであることを物語っている。

 サンザロナはそう思っていた。だから後ろを振り返ったのは、鋭い痛みを感じたからだ。


「ルー……?!」


「だから、あなたは足元を掬われることになるのよ」


 サンザロナの腰付近にナイフを突き立てたのは、驚くことに今まで後ろでこそこそしていて、合図とともに逃げ出したと思われていたルーであった。

 ルーは素早くナイフを抜き取ると距離を取った。

 彼女の手に握られているナイフは刃渡り十センチ程度の小さなものであったが、深く突き立てれば致命傷を負わすことは十分にできる殺傷能力は保有している。

 だが、このナイフの役割はそれだけではないようだ。


 刺されたサンザロナは腰を抑えてその場に膝をついた。

 一見すればおばさんが腰を痛めただけのように見える光景だが、サンザロナを襲っていたのは刺突による痛みや出血以外に、激しい眩暈と感覚の喪失である。

 ナイフには毒が塗られていた。ぐにゃぐにゃと脳みそがひん曲がっていくのを感じつつ、サンザロナはどうにか身体の主導権を放棄しないように努めていた。

 その健気な姿をルーは笑った。


「このナイフにはお姉様の血が仕込んであります。無駄に頑張るほど、血が身体をめぐるだけですよ」


「……お、お姉様……?」


「あら、そうだった。まだこの皮を被ったまんまでした」


 ルーが発した言葉に違和感を覚えたサンザロナは、目の前で自らの表皮を捲っていくルーの姿に戦慄していた。それは何もグロテスクな映像を見せられたからではない。皮の下から出てきたのがニッチェであったからだ。


「一体、何が、どうなって……」


 今度はサンザロナの困惑を嘲笑するようにバカげたほどの大笑が部屋の中に満ちた。

 ゆっくりと視線を動かすと笑い声の主は、もう一人のニッチェだった。


「ちょっと。人の姿で馬鹿みたいな笑い声出さないでくれる」


「すまねェ、すまねェ。でもさ、ここまで上手くいくとは思わなくってさ」


 先ほどのルーと同じくニッチェが顔面の皮を剥がすと、その中から出てきたのはカロリアの隻眼であった。

 その時点でサンザロナは事態をすべて把握し、自らの浅はかさを心の底から恨んだ。


「風見鶏。あなたは昔から甘い。風の魔法は単純ゆえに莫大な破壊力を持っているけれど、あなたはその巻き添えで関係のない物や人が傷つくのを酷く恐れていたわね」


 サンザロナには初めからわかっていた事だった。中央魔女教会から異端として破門となった元ビッグハットの一人、血のエアトリーチェの捜索を命じられた時から、知恵の子らと自らを呼称する危険な団体が暴れ始めた時から、領主であるオブランから暗い森を焼く計画を実行するようにせかされた時から、自分は狙われているとわかっていたのだ。

 狙いが自分であるならば、むしろ余計な者たちは周りから退かして真っ向から勝負を受けたほうがいい。

 サンザロナには血のエアトリーチェと真っ向から戦って勝つ自信があった。無駄に被害を広げない為の策を企てるほどには。

 その結果がこれだ。その甘さに付け込まれて、まんまと敵を懐まで潜り込ませる羽目になった。


 しかし、一つだけ腑に落ちない。


「ニッチェ……あなたの魔法は音の魔法だったはず……でも確かにあなたは霧の魔法を……」


 ニッチェはエアトリーチェに目配せをする。エアトリーチェは静かに頷いた。まるで慈悲深い聖女のように。


「私の魔法は音でも霧でもありません。この、姿を変える皮の魔法です」


「皮の……」


「私が霧の魔法を使えたのは、なんてことはありませんよ。ただ、ルーの肉体を素材にして魔法の触媒を作ったんです」


 彼女は笑みを浮かべながら歪な形をした杖のようなものを取り出した。それはしっとりと濡れていた。

 サンザロナは何も発することが出来なかった。それは体内に侵入したエアトリーチェの血の効力だけではなかった。

 異端と呼ばれる彼女が何をしでかそうとしているか、その真意がわかってしまったからだ。


「私はそれを魔術と呼ぶことにしました。限られた者にしか使えない魔法と違って、魔術はどんな者にでも使える。男でも女でも、子供でも老人でも。素材となる魔女さえいれば誰にでも」


 エアトリーチェが静かに言う。


「ビッグハットの一人、風見鶏のサンザロナならば大層立派な杖になってくれるでしょうね」


「ねえ、カロリア……」


 振り絞るような声はおばさんというよりおばあちゃんといった印象であった。

 カロリアがその老けた声にぶっきらぼうに相槌を打つ。


「カエデは、どうしたの?」


 カエデとはメイプルの姉の名だ。

 一見脈略もなく出てきた名に思えたが、カロリアには思う所があったようでその言葉に歯を見せて笑ってみせた。


「おう。元気にしてるぜ」


 彼女の手にも、歪で濡れた杖が握られていた。

 その瞬間、爆発でも起きたように塔が消し飛んだ。

 暴風が天に上る竜かのように立ち上り、空と共にキングスライムめいた塔を一瞬で切り裂いたのだ。それはサンザロナが怒り任せに放った渾身の一撃であった。


 建物を一瞬でバラバラにするほどの風速を持つ竜巻相手に立っていられなかったようで、ニッチェとカロリアは天井も壁もなくなって見晴らしがよくなった部屋から姿を消していた。

 血のエアトリーチェとサンザロナだけが、床だけの部屋に残された。

 エアトリーチェは血を盾にして暴風から身を守っていた。

 風が止むと同時に血の盾もエアトリーチェの前から姿を消す。彼女は静かに、苦しそうに身体を上下させるだけのサンザロナに近づいた。


「手遅れね。カロリアが姿を現したときにでも問答無用でこの規模の魔法を放っていたらこうはならなかったでしょうに」


「ば、万全なら……あな、たの……魔法ぐらい、突破して……」


「でしょうね。あなたと火見は現役のビッグハットの中でも規格外ですもの。だからここまで小細工を弄したの。あなたは強さの割に隙が多くて捕まえやすかったわ。今度はその力で他のビッグハットを捕獲することにしましょう」


 既にサンザロナの意識は殆ど途切れていた。ほんの僅かに頭の中に意識がこびりついてサンザロナが気絶を免れていたのは、もうこれ以上どうしようもない悔しさが零れ落ちる意識をギリギリのところで食い止めたからだ。

 自分の甘さが招いてしまったこの惨事。その過程で失われたであろう命、そしてこれから奪われるであろう命、どうにかして自分の手で救いたい。

 でも、もうできない。自分の命ですら、すきには出来ない。

 それでもせめて、戦う意思だけは失いたくない。


 無意味に思えるこの根性がサンザロナを支えるたった一つの柱であり、それは全くの無意味ではなかった。

 彼女は気絶しないでいたからこそ、事の顛末を見届けることが出来たのだ。


 エアトリーチェとサンザロナの間に降ってきた物体の正体が何であったか認識するのに時間は必要としなかった。

 光の如く速度で飛来したそれは女の子の姿をしていた。てか、女の子だった。それは星野ミチという名を持つ女子高生だった。

 ミチは一度周囲を見渡す。壁も天井もない元部屋にいるのは、苦しそうにしているおばさんと傷一つない女性だ。

 その状況を確認して、ミチは思考を止めた。


「どちらがサンザロナさんですか?」


 現状からどちらがサンザロナか推理するのは、ミチにはあまりにも高度な技術だった。だから本人たちに聞くことにしたのだ。


「サンザロナはそこで蹲ってる彼女よ」


 エアトリーチェが親切に答える。


「では、あなたが彼女を攻撃したんですか?」


「そうよ。お嬢さんは何者?」


「では、あなたをぶっ飛ばします」


「……話にならないわね」


 ミチが与えられた命令は二つだ。


「サンザロナさんを守れ」


「サンザロナさんを攻撃する奴がいるならそいつをぶっ飛ばせ」


 それ以外には興味はなかった。

 ただ、命令を果たせればそれでいい。

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