第10話 悪の秘密結社、悪いことをする
身動きの取れなくなった我々が運ばれたところは、意外なことに豪奢な客室だった。
てっきり隅っこに骸骨とかが転がっているような牢屋の中に入れられるものだと思っていたから、少しばかし安堵している。
「そこで少しの間、おとなしくしてな」
メイプルが客室の扉を音を立てて閉じた。
どうやら彼らには私たちを攻撃する意思はないようだ。客人として迎え入れようとしているらしい。ただ暗い森を燃やす計画を実行する間は、下手にウロチョロされたくはないようだ。
我々三人はしばし部屋でぐったりととろけていたが、少ししてパランがむくりと立ち上がった。
「ねえ、大丈夫? 動けそう?」
パランが弱弱しい力で私の身体を揺する。
この部屋に運ばれてきてから少しずつだが、身体に力が戻ってきているような気がする。今なら立ち上がるぐらいは出来そうだ。
「ありがとう。大丈夫だよ。……どうやらこの部屋にも似たような力が働いているようだな」
部屋全体があの独特なほのかに甘い香りで満ちていた。
部屋中に効力を行きわたらせているからか、直にくらった時よりかは効力は明らかに低くなっている。とはいえ、壁や窓やらを突き破って脱出するような腕力は残っていない。
「ミチちゃんは大丈夫なのかな?」
「断言できる。アレは大丈夫だ。心配しなくていい」
ミチは未だにおねんね中だ。フカフカのベッドの中で気持ちよさそうに寝息を立てていやがる。
くそ。奴さえ起きればこんなところはさっさと抜け出して、森を燃やすなんてとんでもない悪事を防ぐことが出来るのに。
一か八か叩いてでもミチを起こしてみるか。
私は全身全霊をかけてミチの身体を揺すったり叩いたりして覚醒を促した。
「起きろ、ミチ。頼む。起きてくれ」
しかし、その甲斐むなしく、ミチの鼻提灯が割れることはなかった。これはなにも私の身体が著しく弱体化しているからだけではなさそうな気がする。
「もういいよ。今はじっとしておこう。多分だけど、悪いようにはならないよ」
パランがまさに力なく言う。いいはずなどないからだ。
「ダメだよ。君の故郷が燃やされるようなことは防がなくっちゃ」
「いいんだよ。本当に。私はあそこに未練なんてないし、森にいる連中なんてロクデナシばっかだしね」
「じゃあなんであの時あんなに怒ったんだ」
「いきなり魔女とかがエラソーなこと言うからついカッとなっちゃって。でも、みんなが危ない目に合うぐらいだったら、あんな陰気な森は燃やしちゃえばいいよ。景色もよくなるだろうしさ」
「危ない目ぐらい幾らでもあうさ。森のためじゃなくって、パランのためなんだから。あそこには君とお母さんの思い出だってあるだろ。ついうっかりなんて言って怒りを引っ込める必要はないよ」
私の言葉にパランは俯いてそれ以上の言葉を返す事はなかった。
パランの気持ちはなんとなくだがわかる。燃えてしまえばいいってのも本音なんだろう。もう捨てた故郷より、私たちの方を大事にしてくれるのもありがたい話だ。
端からパランがそういう態度なら私だってここまで森林破壊の阻止に執着はしなかっただろう。
私は生粋のエコロジストでもなければ、動物愛護団体の尖兵でもない。
でも彼女はあの場で確かに怒った。ついカッとなることってのは、大抵の場合は心に刺さった小骨めいた厄介な思いによるものだ。
案外そういうものが大切だったと歳を取れば取るほど思うものだ。おせっかいなのはわかるが、彼女にはこのまどろっこしい気持ちを大切にしてもらいたい。
そもそもミチが起きれば全てが解決するのだ。あんだけ啖呵を切っといてぐーすかぴーなんてのは許されないぞ。
こうなったら、出来ることはすべてやってやるぞ……。
「おい。飯を持ってきたやったぞ。ありがたく……」
メイプルがご飯を持って部屋に入ってきた時はちょうど私があの手この手を尽くし終わりダメ元でミチに眼ざめの祈りを捧げていた頃であった。
「お、おい。何やってんだオマエ……」
「はっ!? メイプル様!!」
食事をテーブルの上に並べながら私の奇行を憐みのこもった眼差しで見つめるメイプルに懇願しながら飛びついた。
「ミチがあれから全く目を覚まさないのです! これは何かの病気か、アウナ様の魔法による影響に違いありません! どうかご慈悲を! アウナ様を呼んできて、この魔法を解いてくださいまし!」
「ええい! くっつくな! キモオヤジ!」
メイプルは暴言を吐きながらくっつく私を足蹴にする。世が世ならば即豚箱行きの変態的行為だが、身の振りかまってられる状況ではない。
メイプルの蹴りは中学生らしい見た目に遜色ない破壊力であり、彼女の足止めを継続するには問題はなかった。
「後生ですから~。後生ですから~」
「マジでキモイ! コイツ、ぶっ飛ばしてやる!」
しかし、メイプルが懐から金属製の棒状の物を取り出したので、私はあわてて飛びのいた。
「絶対! アウナさんを呼んであげないから! ばぁーか!!」
危険を察知して素早く離れた聡明な私に向かって、あろうことかバカと言い放ってメイプルは部屋を出ていった。バカは貴様だ、阿呆め。のこのこやってきて脱出のヒントを与えるなど、後でアウナからお尻ぺんぺんされるがいいわ。
「えっと、とりあえずご飯食べよっか」
「臭いがしなかった」
「えっ? キモっ」
「違う。何を想像してキモいだなんて言うかわからんが絶対に違う。臭いがしなかったってのはこの部屋に充満する甘い匂いの方」
それを聞いてパランが目を大きく見開いた。
そうだ。何の仕掛けもなくこの部屋に入ろうものならメイプル自体もへにゃへにゃの骨抜きになって、あの重い扉を開けるだなんてこと出来っこないんだ。
粉末を利用する魔法のようだが、そのコントロールはアウナが完璧にできているように思われる。それも見てなくとも。
この特性を逆手に取れば、ここから脱出することが出来るかもしれない。
次のチャンスは、誰かが食器を片付けるためにこの部屋に入ってきた時。
その為には一先ず、片付けるための食器を用意しなければ。
◇
我々が脱出の算段を付けている間に、魔女教会内では激しい議論が行われていた。
部屋に集まった六人の魔女達は実に個性豊かだ。
眼帯をしていたり、顔色が異様に悪かったり、メガネをしていたり、邪魔なぐらい髪が長かったり、おばちゃんだったり、巨乳であったり。しかし、皆が纏う独特の威厳はこの会議に参加している魔女たちが共通して一介の魔女などではないことを物語っていた。
六人の中にはアウナの姿もあった。
会議のもっぱらの議題は客室に幽閉している三人をどう扱うかと、暗い森の焼却計画を早めるかであった。
アウナが三人の異能者を魔女教会へ招き入れること自体は組織全体の意向であったが、彼らが焼却計画に反抗的な態度を示したことは予想外であった。特にミチの存在が気がかりであるようだ。
アウナはミチが魔法に対して何らかの耐性を持つ人種であると説明した。そのうえで、彼女が計画を阻止しようとしているので実行を早めるべきだと提案したのだ。
アウナの扱う香りの魔法は人間の精神や肉体に影響を及ぼし、その自由を奪ったり、時には意のままに操ることもできる驚異的なものらしい。
我々に向かって使用した甘い香りの魔法は、その中でも単純で弱い分類の魔法であった。
それでも一般人である私はともかく、獣人たるパランすらもまともに動けないほどに弱体化させる効力はある。それをまともに受けておいて何故か眠るだけで済んでいるミチには魔女たちも警戒を強めざるを得ないようだ。
「とにかく、彼女はまともではありません。メイプルからの報告では未だぐっすり眠っているようですが、目が覚めたら私の魔法では幽閉させておけません」
「なら、手っ取り早い方法があるぜ」
アウナの発言に不躾に言葉を被せたのは右目に眼帯をした魔女だった。
会議の場に募った他の五名の魔女たちに比べたら些かやんちゃな彼女は、トレードマークの尖がり帽子もところどころ雑に縫い合わせており自らがロックであることを周囲にアピールすることに余念がないようだ。
「カロリア。発言の際は挙手をなさい」
床まで付くほどに長い深紅の髪が特徴的な魔女がカロリアの態度を非難したが、彼女はちえっと舌打ちをするだけだ。
「その方法って?」
アウナが尋ねる。
「足の一本や二本切り落としャあいいのさ。魔法に耐性があるってんなら、ノコギリでも何でも使ってさァ」
カロリアの魔女らしからぬ暴力的な発想は非難の対象になるかと思いきや、数人から賛成の声が上がった。
「今後の研究のため生かす必要はあると考えますが、必要以上の自由を与える必要もないでしょう」
彼女はそう発言したのち、カロリアと同調するのは癪ですが。と、眼鏡を上げた。
「それはコッチのセリフだぜ。ニッチェ」
ニッチェがカロリアの発言にため息を付く後ろでスッと色白の手が上がった。
「わ、私も賛成です。その、足を切るとか、こ、怖いのはアレですけど、もう少し拘束力の強い魔法で、その、アレした方がいいと思います」
色白で顔色の悪い魔女は言い終わるとすぐに手を下げて、まるで自分はこの会議には参加していないかのように気配を消した。
「レイ、あなたはどう?」
アウナが深紅の髪のレイに尋ねる。
「サンザロナ様の意見に従うわ」
彼女は表情一つ変えずにそう言った。
それを聞いて五人の魔女の視線は、会議の行く末を静観していたふくよかなおばちゃん魔女に集まった。
彼女だけローブに特別な刺繍が施されており、周りの魔女たちとは地位が異なるであろうことが見て取れる。
偉さの象徴か、尖がり帽子のつばも一回り大きく日常生活に支障をきたしそうなデザインだ。
皆の視線が意見を催促するものであるにも関わらず、おばちゃん魔女はマイペースにうんうん唸るばかりで、しばらくは口を開かなかった。
私ならばうんざりしてなにか口を挟んでしまいそうな沈黙であるが、五人の魔女は律儀にサンザロナの言葉を待っている。
「そうねえ、乱暴なのは止しましょうか。アウナ、彼らのことは任せていいかしら。私も事が済み次第、挨拶に向かいます」
「承知いたしました」
「さて、暗い森の件ですけど、こちらも穏便に済ませられたら良かったんですけどねえ。オブラン様もどうしてもと仰りますし、今日だって嫌な事件がありましたもんねえ」
サンザロナはゆったりとした口調で喋りながら宙を見つめた。
件の計画について口にしたものの、まだ決断するには至ってはいないようだ。
しばしそうやって考えた後、観念したようにサンザロナは言葉を紡いだ。
「レイ、すぐにでも頼めますか?」
「はい。お任せください」
「貴方にはいつも辛い事ばかり頼んでしまい申し訳ありません」
「いえ。サンザロナ様もお辛い決断、心中お察しいたします」
「なあ! アタシはどーすればいいよ!」
「……いい加減にしなさい。カロリア」
カロリアが今までの沈黙で溜まりに溜まった鬱憤を晴らすかのように声を張り上げる。ニーチェがその無礼を咎めたが、サンザロナは気にしないでと笑みを浮かべた。
「カロリア、貴方には引き続き知恵の子らの対処の方をお願いします」
サンザロナは最後に出来るだけ穏便にと念を押すように付け加えた。
カロリアは少しばかり不服そうであったが、その命令を承服した。
「ニーチェもカロリアが無茶をしないように見張っててくださいね」
「サンザロナ様がそうおっしゃるなら、仕方がありませんね」
インテリ丸出しでメガネをクイッとするニーチェの後ろに隠れて出来る限り存在感を殺していた色白の魔女をサンザロナは見逃さなかった。
「ルーは私のお手伝いをお願いね」
「あ、はい。わ、わかる、……わかりました」
ルーがしどろもどろになりながらも返事するのをにこやかに見届けた後、サンザロナは皆の顔を一瞥してから言った。「では、今日のところはお開きにしましょうか。皆さん、お疲れ様でした」
こうして会議は解散となった。
会議に参加した魔女たちが会議室から出ていく中、アウナは扉の直ぐ側で呼び止められた。
「アウナ様!」
「どうしたんですか、トトン? そんなに慌てて。あなたらしくもない」
アウナを呼び止めたのは三人の魔女娘達のリーダーであり最年長のトトンだった。彼女は何やら急いでいるようで、肩で息をしている。
「メ、メイプルが、メイプルが……!」
そのためうまく言葉が続かず、てんで要領を得ない。
アウナがその慌てようを気の毒に思い、気を静める香りの魔法をトトンにかけてあげるとようやく落ち着きを取り戻した。
「なにがあったんです?」
「メイプルが攫われました! あの三人に!」
あの三人というのは、言うまでもなく我々のことである。悪の秘密結社らしく、悪事に手を染めたのだ。
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