第8話 悪の秘密結社、街に行く
ミチは嬉しそうにパランの背中に乗って、毛の柔らかさを楽しんでいる。
「しかし、よかったのか? そうなると君は俺たちについて来てもらうはめになるけど」
「いいよ。いつかはこんな陰湿な場所出てってやろうと思ってたんだ。ちょうどいいや」
結局パランが我々の旅に同行して、定期的にモフモフされるということでミチをあの場から引きはがすことに成功した。
ミチ曰く、パランの方がフカフカしてていい匂いがする、とのことだ。何故かそれを聞いて極悪毛玉は心なしか悔しそうにしていた。
「それならいいけど……ミチ、人前ではパランさんはその姿になれないから、ずっと抱き着いてはいられないぞ」
「はい。なので今のうちにモフモフし貯めておきます」
「ちょっと、ミチちゃん! くすぐったいって!」
パランは撫でられまくって、恥ずかしいやら嬉しいやらそんな声を出す。元々、人当たりのいい元気な子だったんだ。こうしてスキンシップをとるのが好きなのかもしれない。
しかし、今は獣姿だからいいものの、女の子同士で引っ付きあってくんずほぐれつしてるんだよな。
いかん。私は紳士的な男だ。何を考えてるんだ。それに万が一にも挟まろうものなら、噛みつかれたり、貫かれたり、引き裂かれたり、燃やされたり、思うが儘だ。
私はこの三人パーティーにおいて生物として最下位の存在なんだ。変な事をして寿命を縮めることはしてはいけない。
我々三人は撫でまくったり、撫でられまくったり、なんもされなかったりをしながら二日ほどかけて暗い森を抜けた。それまでの道のりで障害になるようなものは一切なく、沢山いるであろう獣たちも主にミチが恐ろしくって気配すら感じさせなかった。
森を出た我々を最初に迎えてくれたのは、遮る物のない太陽の光だった。
久しぶりの直射日光を全身に受けて、身体の至る所でビタミンDが生成されるのが実感できる。ビタミンDが何をしてくれる野郎か全く知らないが、実に健康になった気分だ。
身体中を漲る健康パワーをエネルギーに私たちはインバトへのあと少しの道のりを急いだ。
「ところで、どうしてインバトへ向かうの?」
「……お世話になった人がインバトにいるらしいんで、会いに行くんだよ」
私が嘘をついたのは、パランに余計な苦労を掛けたくなかったからだ。
彼女はミチを動かすためとはいえ、成り行きで我々の旅に同行してくれただけだ。セジン奪還とは何ら関係ない。もしかしたら危険も伴うようなことには巻き込めない。
「ふーん。会った後はどうするの?」
当たり前の疑問に当たり前の疑問が重なって、私はしばし考えた。
今はセジン奪還の任を半ば押し付けられるようにして受け持っているが、仮にこれが解決した場合は次は何をすればよいのだろうか。セジンが何か旅の目標になることを教えてくれるだろうか。
そもそもこの旅の本来の目的は世界征服であるが、何をどうすれば世界を征服なんてできるんだ。
そんな夢見がちな事を実地に試すぐらいなら、まだ元の世界に戻る方が現実的に感じるが、その為の方法だって不明瞭だ。世界魔女さんとやらに会えばなんとかなるだろうか。
目的こそ明確だが、それを成すための手段が余りにも不明確だ。
ここが現代日本であれば検索エンジンに「世界 征服 方法」とか尋ねれば、有識者の知恵やら企業wikiやらが溢れに溢れて真贋を見極める方が苦労するぐらいだろう。
残念ながら情報の網が敷かれていないこの異世界では、便所の落書きめいた呟き一つ聞くためにわざわざ実際に便所に足を運ばなければならないのだ。何たる不便。
ギリギリの綱渡りのような成り行きにしがみついてここまでやってきたが、釣り糸よりも心もとないこのか細い情報の糸はいつ切れてしまっても不思議ではない危うさを常に放っている。
こういうのはあと一歩ってところで、プツンと切られてお釈迦様かなんかにエンターテインメントをプレゼントするのが相場である。
そもそも運よく渡り切ったとしても、糸が結ぶ先が日ノ本でも極楽とも限らないのだ。とんでもない化け物の胃の底でした、なんて爆笑の結末だってありうるだろう。
「どうしたの? 大丈夫?」
要らぬ想像力が爆発して、あらゆる行動のその陰に何者かの奸計の痕跡を感じるようになった頃、パランが心配して私の顔を覗き込んだ。おそらく非常にしんどそうな顔をしていたのだろう。
元々神経質な性格だったのにこのありさまだから、自分の中で溢れだす感情をうまい具合にコントロールできなくなる事が多々ある。まったく年長者として恥ずかしい限りだ。
だからこういう時に心配してくれる人がいるのは非常にありがたい。ミチにも私の精神状態を気にかけ、適度にメンタルケアを行ってほしいものだ。
「すごいしんどそうだけど、街まではあと少しだから私が負ぶってあげようか?」
「ああ、いいんだ。身体の方が全然。その、なんというか……当てのないこんな旅に君を巻き込んでしまったことが本当に申し訳なくってね。森は近くだし、帰るのならば今のうちだと思うけど」
上司の命令とはいえこんな異世界くんだりまで飛ばされたのは、我が人生最大の不服といって過言ではないだろう。
そういう前提が、パランに対する気遣いを過度なものにしたのだが、そんなものは彼女には関係ないし、わからない。
「ひどい! そういうことを言うんだ!」
だから怒られてもしょうがないことだ。でも、後ろで「そうだそうだ」と便乗するミチの怒りは全く許容できない。
「ねえ、あなたって少し心配症っていうか、いっつもなんか不安がってるよね。何がそんなに怖いわけ?」
ふむ。私の不甲斐なさ故にカウンセリングが始まってしまった。
子供の無垢より生み出される純粋な言葉にやつれきった大人がハッとする、なんていうのは物語の中ではありふれている展開だ。
でも現実ではコチコチに凝り固まってご立派に屹立したプライドを守ることだけに徹底し、下の者の言うことなど全く受け付けない大人の形をしたモンスターで溢れかえっている。
見るも無惨な魔物共が若者の言葉などで感動することなどなく、長い社会人生活で着実に手に入れたパラノイアから発せられる「年上だぞ」攻撃により無垢な少年少女たちの主張は灰となってしまうのが関の山だ。
その点、私はまだまだ若い。社会人経験もまだ五年そこらだ。そこまで擦れるには後十年ぐらいの時間を必要とするだろう。
最近の私は確かに情緒不安定気味だった。
ここは一回、彼女らに私の抱えている不安などを一緒に持ってもらってもよいだろう。「子供だから」そんな思いやりも時には足かせになる。
彼女たちは守らねばならない若人であると同時に背中を託せる仲間でもあるのだ。
「そうだね……実は」
「あんまりイライラしてると禿げますよ」
「うるせえ! 俺は年上だぞ! 敬え!!」
ミチの心ない一言に思わず「年上だぞ」攻撃がさく裂してしまった。コイツは要らん時だけ要らんことを言いやがる。
その破壊力は攻撃対象ではないパランもあわあわしてしまうほどであったが、ミチの防御力はかの迷宮壁すらも凌駕する驚きの数値らしく、全く動じている様子はみせない。これ以上の言い合いになっても不毛なだけだ。
あっ、不毛とか言っても私の頭髪についてではない。短く切りそろえているだけでやろうと思えばいつでもアフロにすることだってできるポテンシャルを秘めている。第一まだ私は二七そこらだ。父が若いうちから剥げていたという恐怖の事実はあるもののまだ気にする段階ではない。三十までは大丈夫ってみんな言うし。
ミチが毛髪に関して言及しないうちにさっさとこの場を終わらせよう。
「パラン、別に私は不安がってたり怖がってたりしてるわけではない。ただ、君の身を案じていたんだ。幾ら大きな狼になれるとはいえ、君はまだ子供だからね。大人として守らなくちゃいけない。でも、考えを改めたよ。君は子供でもあるが仲間でもある。だから、一緒にやっていこう。あんまし目的とかないけどさ、文句とか言わないでね」
私は早口で言いたいことを言うと、インバトへの残り僅かな道をズンズン進み始めた。ミチはいつも通りの素振りで黙って私の後に続く。それがいかにも自然な流れのように澱みなく行われたため、パランは何も言えずに慌てて我々について来た。
結局、今後どうするべきかの考えはいまいちまとまらなかったが、どうにもならない事はどうにでもなってもいいこと、と歌われていたし成り行きでなんとか行くうちは流れに身を任せるのもやぶさかではないだろう。
◇
インバトへのファーストインプレッションは「すごくちゃんとしてる」だった。
地面は石畳が敷き詰められ、建造物だって木材一辺倒ではなく、石材などが使用されている。
道行く人々は何やら煌びやかな服装をして、広場では屋台が軒を連ねている。
写真を取って、現代のヨーロッパにある片田舎に旅行に来ました。と一言添えれば百人中四十人ぐらいが騙せそうだ。言っちゃ悪いが私が世話になった村とは存在する時代そのものが違うようにすら思える。
もう少しこの世界の文明レベルは低いものかと思っていたが、これを見る限り中世だとかなんとかの血生臭そうな時代よりは高度な技術を持ってそうだ。
そもそも魔法が存在したり、パランや首なし騎士のようなビックリ人間がいる世界なのだから、あまり我々の世界と比べても意味はないのかもしれない。
無粋な時代考証はそこそこにして、私達はインバトの街を見て回ることにした。ミチとパランにとっては観光のようになっているが、私にとっては敵情視察みたいなものだ。
この世界に来てからというもの、私の余計な行動がきっかけに何かと厄介な出来事に巻き込まれてきた。
その失敗を顧みず「魔女教会ってどこにあります?」とか「セジンって人知りません?」とか聞きまわってたら、確実に厄介事が私の事を抜け目なく見つけ出して抜群の吸引力で絡めとってくるに違いない。
ここは一先ず、見にまわる。
何も言わずに黙って街の様子を伺い、それらしい建造物などにあたりを付けるのだ。詳しい情報の収集はそれからでも遅くはない。
「アンタ達、何者?」
と、明晰な頭脳をフル回転させ厄介事のあざとい目を搔い潜ろうと試みたが、奴の方が一枚も二枚も上手であった。
私たちに話しかけてきたのは、まさに魔女といった面持ちのとんがり帽子が特徴的な少女であった。
少女はつばのない帽子とゆったりとしたローブを違和感なく着こなしている。背の大きさで判断すると中学生ぐらいに見えた。
無論、背丈が中学生だからって秘めたるパワーもそれ相応って訳ではないだろう。
なんせここには魔女教会なんてものが存在し、彼女はありふれた典型的な魔女っ娘な格好をしている。今日がハロウィンでもない限りは、チチンプイプイで摩訶不思議な現象を引き起こすに違いない。
私含めここにいる三人は世界的に見ても異質な存在である。それを一瞬で見抜き、職質するとは恐るべきマヂカルパワーを持っているか、この見た目で実はベテランお巡りさんかのどちらかだ。
彼女の正体がマヂカル少女であれ、お巡りさんであれ、正直な返答は良からぬ結果を招くだろう。
私は世界を飛び越えてやってきた不法入世界者であること以外は、一般的な成人男性だ。しかし、ミチとパランは一般的な女子とはかけ離れている。身体チェックなどされようものならば、その素性がただの人間ではないことはすぐにばれてしまう。
慎重に言葉を選んで口八丁手八丁チェケラッチョで事を済ますのだ。
「私はパラン! よろしくね!」
「私はミチです。よろしくお願いします」
どれだけ警戒していても挨拶は大事だ。二人ともしっかり挨拶出来て偉いぞ。お願いだからもう黙っててくれよ。取返しがつかなくなるから。
「で、そっちは?」
少女が放つ威圧感が、その小さな器に収まりきらずに無料で垂れ流される魔力故なのか、私の縮み上がった肝っ玉が見せた幻影によるもの中は定かではなかった。
名前ぐらいなら教えてもよいかと思われたが、それだけで終わるような雰囲気でもない。
名乗りを上げることは、彼女の静かな尋問に同意するようなもので、口火を切ったかのように次々と答えにくい質問がなだれ込んでくるに違いない。
かといって、答えず逃げ出すことは多くの質問をすっ飛ばして、一つの明らかな答えを提示することに等しい。
この場をやり過ごすための妙案はないものか。
「アンタはアタシに名前も教えてくれない訳?」
もう限界だ。少女の幼い顔には見るからに怪訝の色が浮き出ていた。それがどういう意味を持つにしろ、一旦ここは名乗るしかないようだ。
「わ、私は……?!」
都合がいいのか悪いのか、私の言葉を遮って大きな爆発音が街の中に響いた。方角的には我々がインバトへ入ってすぐに目にした大きな広場の方だ。
あそこは商売人と買い物客でごった返して、あぶれた人々を狙った路上パフォーマンスがあっちこちで行われていた。非常に活気に溢れていたので、浮かれた誰かが真っ昼間から花火でも打ち上げたものかと思いもしたが、どうやらそういう楽しい火薬の音ではないようだ。
魔女の少女はあからさまな舌打ちを一回打つと、静かな尋問を取りやめて、広場の方へと駆けていった。
「私達も行こう。人手が必要かもしれない」
この世界を征服しに来た悪の秘密結社といえど、征服後の世界を支える無辜の民がむやみに傷つくのを良しとはできない。
パランもミチも私の言葉に頷き、広場へと向かった。
広場で見た光景はひどいものであった。
きれいに敷き詰められていた石畳が、爆発により粉々に砕けて辺りに散乱している。
家屋も爆破に巻き込まれて、砕け散って飛散した石材が周囲でぎゅうぎゅう詰めになっていた屋台を押しつぶして無残な姿に変えていた。
あまり直視しないようにしているが、倒れた人に寄り添う人達が視界の端に何組もちらつく。
爆発はもうすでに収まり、火の手などは上がってないようだが、広場の混乱は留まることを知らないようだった。悲鳴やヒステリックな泣き声、怒号が飛び交い、私が最初に感じた優雅さなど微塵もない。
「私はどうすればいいんですか?」
ミチが私にそう尋ねてきた。
嫌な気分に支配されていた心に少しだけ冷静さが戻ってきたのを感じて、私はミチに命令を下した。
「瓦礫の撤去を頼めるか。後は……被害者の応急処置とかってできるか?」
「わかりました。行います」
ミチは小さく頭を下げると周囲に散乱していた瓦礫を手早く撤去し始めた。パランがその様子を見て「私も手伝ってくる」と告げてミチの方へ向かっていった。
少女に命令を下しただけで、残念ながら私に出来ることはもうそれほど残ってはいない。
特別な知識などはないが、難を逃れた人々のケアに移ろう。現代的民間療法であってもこの世界であれば少しは役に立つはずだ。
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