第7話 悪の秘密結社、犬を吸う
私は目的地にたどり着く間に、狼少女のパランからこの【暗い森】とそこに住む獣になれる人々の話を聞いた。
ここら周辺に人が住み着くようになる前から獣になれる人々は暗い森で暮らしていたらしい。その時はどちらかと言うと人になれる獣と言ったほうが正しく、皆、森の中で獣の姿で暮らして、人の姿になることは殆どなかったという。
しかし一帯に人が住み始め村や町などが出来始めてからは、彼らは積極的に人の姿になって、普通の人間に交じって生活を営むようになった。
だから、どんどんと森が人の手によって開拓されていってもそれに焦ることはなく、むしろ率先して人間の生活圏拡大に加担した。
彼らはそうして人の生活に馴染むことで本物の人になれると信じていたからだ。今となっては故郷の暗い森は、血にまみれた忘れたい記憶でしかなかったのだ。
だが、中にはそれを好ましく思わない者たちもいた。
その者たちは多くの仲間が人の姿で人の生活をするようになっても、森の深くで獣の姿で獣の生活をしていた。
かくして同じ人と獣の両方の姿を持つ者たちは自ら”獣人”と”人獣”と呼び名を分けて、お互いを区別するようになったという。
獣人らの間で絶対に守らねばならないルールが二つあった。
一つは人は殺さない。
一つは人から獣になる姿を見られてはいけない。
彼らは獣人という呼び名から獣の部分を消し去るべく、この二つのルールを徹底することにまさに命を懸けた。時に獣の姿の際にばったりと人とあってしまっても彼らは決して人を襲うことはなかった。向こうがどれだけ攻撃的であってもだ。
人は人を殺す生き物であることは悲しかな、歴史が証明している。しかし、毛深く清い心を持つ彼らは血生臭い殺生の道から離れることで、自らをより人らしくするのだと信じて疑わなかった。
その血の滲むような努力の甲斐もあって、暗い森周辺に住む気のいい奴らとして彼らは人類社会に完全に馴染むことが出来ていた。
滲んだ血の匂いに、獣が引き寄せられるその日まで。
暗い森の更に暗い場所で、彼らは虎視眈々とその時を待っていた。雌伏の爪を研ぎ、信頼の喉元に牙を突き立てるその時を。
獣人達は焦っていた。人々の間で人が獣の姿になって人を殺すという噂が巷を席捲していたからだ。
彼らは誰が犯人かを知っていた。でも言う訳にはいかなかった。獣人と人獣の間では、名を別ったその時からお互いに干渉しないことを決めていたからだ。
約束を違えれば人獣は暗い森から踊りてて、周囲の人々を一人残らず食い散らすことだろう。
そうなれば暗い森周辺で暮らしていながら獣に襲われない自分たちもその仲間だと思われ、人の世界で生きていくことはできなくなってしまう。
人獣にしてもむやみに人に喧嘩を売り、絶滅の憂いを見るのは勘弁したい。
この不干渉条約は絶妙なバランスの上で成り立っていたのだが、どうやら一方的に破られてしまったらしい。
もちろん、そのことを獣人側は激しく非難したが、人獣側はそれを認めなかった。
「俺たちがやったとは限らない」
「そこら辺の動物を殺す。それは、約束を破ることではないはずだ」
「お前たちもいずれそうなっちまう」
話し合いは解決にはならなかった。
それらしい死体が各地で見つかり、本格的に人狼狩りが始まると獣人は覚悟を決めるしかなくなった。
人獣と戦う覚悟を。
こうして同族であるにもかかわらず、お互いの立場を守るための殺し合いが始まった。
奇しくもそれは、自分たちの益のために同族の人間を殺す人らしい行いであった。
だが、彼らは最初に気づいていたはずだった。血生臭い殺生の道から遠ざかることにより、より人らしくなれるのだと。
人らしく、獣を殺す彼らは、より獣らしくなっていった。
「お前たちもいずれそうなっちまう」
その言葉の通りに。
自分の内に秘める獣性を抑えることが出来なくなった獣人達は、各地で獣の姿で人を襲うようになり、人々の人狼狩りは厳しさを増した。
多くの善良な獣人達はルールを守って無抵抗で死に、獣へ堕ちた者たちは火を恐れるように暗い森へと消えていった。
その後、狩人による獣たちのせん滅や、暗い森を焼き払う計画などが行われたが、人々の記憶に痛々しい爪と牙の後を残す結果に終わった。
そんな彼らの暮らす暗い森は恐怖の対象となり、ついに誰も近づかなくなってしまった。
◇
「そんなことがあったんですね」
私がまたがるこの巨大な獣の少女パランもまた、獣人の一人なのだろうが、彼女からは毛深いながらも良心というものを感じた。全ての者たちが恐ろしい獣になったわけではないのだ。
「私のお母さんは、人らしく生きることに喜びを感じていた。だから、私を連れて群れを離れて森の浅いところで暮らしてたの。それが気に食わなかったみたいで、結局奴らに殺されちゃったけど。群れの仲間外れは要らないって」
「だからパランも人らしく生きようと?」
「うーん。どうだろ。私はどっちでもいいかな」
でも、とパランは続けた。
「私が獣人だって知ってもあなたは怖がらなかった。獣の姿を見た時は気絶するほど怖がってたのに! それってとっても変じゃない?」
「それは……私が暗い森に染み付いた血生臭い話を知らなかったからです」
「うんん。違うよ。普通は知らなくっても怖がるものだよ。あなたは普通じゃない。もちろん、いい意味で!」
そういうと彼女はニシシと笑った。狼なのに。私もつられてイシシと笑った。
パランの話によれば、あのバカでかい声の持ち主は、この暗い森の頭目であり、獣人と人獣の血生臭くも悲しい結末を引き起こすきっかけを作り上げた極悪非道の毛むくじゃららしい。
「森に迷い込んだ人間を捕まえた場合はひとまず殺さずに捕まえておくんだ」
「なぜ?」
「脅して他の人間を捕まえる餌に使ったり、繁殖に使ったりするんだよ。気持ち悪いね」
繁殖とな! これはイカン!
あくまでもこの物語はよい子のためのハートフルストーリーである。そんな当たり判定がやけにデカいくせに途中で透明になる広告みたいな内容の事は絶対にさせてはいけない。
身体に未だかつてないほどの力がみなぎるのがわかる。おそらくこれは正しい怒りのパワーだ。
ミチを救わなければならない理由が増えるたびに、問題が多少あった人間性が健全な方向に修正されて、突き動かされる衝動が弱弱しい肉体に変化を生じさせたのだ。
一つ残念な点を挙げるとしたら、一生懸命走ってるのはパランなので私が今ムキムキになっても何ら関係はない。
「さあ、もう着くよ。覚悟はいい?」
私が返事をする間もなく、木々の合間を抜けると広場のような場所に出た。
意図的にそこの木は排除されているようで、人獣の手が加わっていることがわかる。
その広場にはなん十匹という獣たちが集い、一つの毛玉のようになっていた。その毛玉から飛び出るように、広場の中央付近ではひときわ大きい獣が鎮座ましましていた。おそらく奴が件の大声の持ち主である。あの図体のデカさからすると合唱部って訳ではなさそうだ。
しかし、何やら様子がおかしい。
悪の枢軸たる人獣のくせに四足を折りたたみ、顎を地面につけて何やら可愛らしいポーズでぺっちゃんこになっている。周りの獣たちも同様にぺちゃんこだ。
私はもしやと思い、パランの背中から飛び降りて広場に向かった。
「ちょっと! 何やってんの?!」
パランは困惑しながらも、獣たちの異様な様子に気づいていて、恐る恐る私の後についてきた。
獣たちの中に私が広場にやってきても態勢を変える者はいなかった。
一部の獣が動く気配を見せたが、周りの獣に抑えられて襲い掛かるようなことは出来ないでいる。どうやらこの状態はかなり不服であるらしい。
それもそうだ。彼らにとってはかなり屈辱的だろう。
「ミチ、何をやってるんだ?」
私は極悪毛玉に抱き着いて気持ちよさそうにしているミチに声をかけた。
彼女はかなりうっとりしている様子だ。ここまで感情的な表情のミチも珍しい。犬好きだったのかな?
「あっ、いらしてたんですね。モフモフして気持ちいいですよ」
「俺の質問に答えろ。何をやってるんだ」
「モフモフしています」
ダメだ。完全にやられてやがる。きっと毛が脳に絡まっているんだ。
パランも異様な光景にあきれ返って、何も言えないでいるらしい。私も毛による浸食を受けたミチと会話が成立しないので、どうするか対処にあぐねていた。
「おい、お前。こいつの知り合いか?」
驚くことにこの事態を打破するために一番最初に口を開いたのは極悪毛玉であった。
「ええ。まあ、そうです」
「では、早くコイツを連れ帰ってくれ。あんたらを襲おうとしたことは謝るから」
「襲おうとした? 襲ったの間違いではなく?」
「あきれた。その子を攫って返り討ちにでもあったの? ダサいの」
「馬鹿を言うな。返り討ちなんかにあっていない! コイツから襲ってきたんだ!」
この真っ黒毛玉の言うことはてんで要領を得ない。パランも軽蔑の色を隠そうとしない。
極悪毛玉は焦りながら状況を説明し始めた。
「お前たちが森に入ってきたのはすぐわかってた。パランの邪魔が入らんうちに攫ってしまおうと、若い奴らを仕向けたんだ。そしたらどうだ。コイツが瞬きもしないうちにここまで飛んできて、俺に抱き着いてきやがったんだ。思わずデカい声が出ちまった。人が上から降ってくるなんて」
と言うことは、私がミチを見失うきっかけになったあの咆哮が聞こえた時にはミチは私の前から姿を消していたという事か。
タイミングよく光が差し込んできたのも、ミチが上空に飛び上がってからだったのか。
…………てか、飛べるんだ。ミチって。
「うっそぉ~」
「嘘つくならもうちょっとまともな嘘にしなよ」
色々と合点がいく事もあるが、それでもミチが自発的に行動するとは思えない。
私が一先ず黒い毛玉の言う事を疑うと、パランもそれに便乗して毛玉の虚言を非難した。
「嘘じゃない! 俺の声を聴いて駆けつけてきた連中がコイツを殺そうと向かったが、このありさまだ。一匹ずつ気が済むまで撫でられた。見ろ、あいつなんて撫でられすぎて禿げてやがる!」
極悪毛玉が顎で指すほうを見ると頭の毛が禿げた可哀そうな犬が怯えて縮こまっていた。周りの獣たちが慰めているのが見るに堪えない。
どうやらコイツの言い分は本当らしい。まさかミチが自発的に行動するとは。
「ミチ、そんなに犬が好きだったのか?」
「はい。大好きです。可愛いです」
好き好きラブパワーには彼女の雀の涙のほどの理性も勝てなかったらしい。
やはり、私の懸念は正しかったようだ。これは彼女が今後、似たような暴走をしないようにここでモフモフをチャージしておかねばなるまい。
「そうか。じゃあ暫くここにいるか」
「わーい」
ミチの嬉しそうな声に反して、広場に悲鳴が溢れた。
今までおとなしく平伏していたデカい犬たちが、恐怖の限界に達したのかキャンキャン吠えながら四方に散らばった。
当然この山みたいにデカい犬っころも逃げ出したかっただろうが、ミチに掴まれてるので下手に動けずにいた。
「おい……冗談だよな……」
「ミチにはモフモフが足りん。チャージさせてもらう」
「意味の分からんことは言うな。後生だから、頼む……」
「えぇ~どっしよっかなあ~」
「もう許してあげなよ。ミチちゃんも無事だったんだしさ」
意外にもパランは極悪毛玉に同情しているかのようだった。
「でもコイツは君のお母さんの」
「もういいんだよ。群れの仲間外れは要らない。獣からすれば当然だよ。足を引っ張るような異端者は、殺されて当然。でも……」
パランの身体がみるみるうちに人の形に変わっていく。身体中にびっしり生えていた毛が、服の形に集まっていく。なるほど、便利な仕組みである。
「私は人でもあるから、そんなことしないけどね」
パランの言葉に極悪毛玉は低く唸ることしかできなかった。
言いたいことを言えて彼女はスッキリしたような様子だった。
「さあ、ミチ。やっぱ帰るぞ。私たちはインバトに向かう途中なんだ」
私はパランの中で何かの決着がついた事を見届けると、毛玉に絡まるミチを引きはがそうと引っ張った。
しかし、絡まりが相当酷いようでびくともしなかった。
「おい、ミチ……お前……」
ミチは何も言わず毛に埋もれて顔を振るばかりだ。
コイツ、私の命令を拒絶してやがる。
ついに恐るべき事態が発生してしまった。私が五億人束になっても勝てないであろうミチが、私のコントロールを離れてしまったのだ。
そうなってしまえばもうお手上げだ。ミチは置いて行くしかない。
「パラン、道案内を頼む。後、先に行ってるって伝言も」
「待て! 行くな! 一人にしないでくれ!」
「情けない毛玉だな。一人でなんとかしろ」
「お前に出来ないことを俺に出来る訳ないだろうが」
「馬鹿を言うな。俺は人一倍何もできない男だぞ。そんなデカい図体してるんだから、調子のいいこというんじゃありません」
「身体のデカさは今は関係ないだろ。コイツの知り合いはお前だけなんだ。お前が何とかしろ」
「何とかした結果、なんともならなかったんだろう」
「それはなにもしとらんと言うんだ」
「じゃあ、なんもしない。じゃあね」
「待て。俺が悪かった。お前の努力は認める。だから一緒に考えよう」
「なんか一々上から目線じゃない? 考えてくださいでしょ」
「ぐっ……」
「ねえ、私がモフモフさせてあげればいいんじゃないの?」
「「え?」」
出し抜けにパランがそう提案した事に今まで言い争っていた私と毛玉は、意気投合して素っ頓狂な声を同時に出してしまった。
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