第4話 悪の秘密結社、はじめてのおつかい

「しかし、それならそうと早めにおっしゃっていただきたかった。わざわざ知らないだなんて、嘘をつくなんて。そちらこそひどい嘘つきだ」


 私は額に浮いた脂汗をぬぐいながらセジンさんに抗議した。


彼女が日本について知っているのならば、最初に国の名前が出た時点でそう言ってくれればこんなドキドキするような目に合わずに済んだのだ。

 生来、私は人に嘘をつくような人間ではないのだ。正直さだけが取り柄のような男で、それ以外の良いところといえばとっさの機転が利くぐらいだ。

 

「ごめんなさい。なぜ嘘をついているか知りたくって、少し会話を続けさせてもらいました。よかったわ。あなた達が邪な心でこの世界にやってきたのではなくって」

 

 ズキンと心が痛む。

 実際はこの世界を征服しに来たのだが、私の切実極まる誠意がここに来てバレてはならない嘘を紙一重で隠したようである。

 良心の呵責には目をつぶるとして、私の誠意と嘘が通じてこの場はよかった。

 

「えっと、それでセジンさん。あなたはなぜ日本について知っているのでしょうか。もしや、次元の壁を越えて別世界に移動する術をご存じなのでは」

 

「残念ながら私は知りません。世界を移動する方法だなんて」

 

 ガビーンだな。そりゃそう簡単に事は運ばないよな。とりあえず今は別世界の事について知っている人物に会えただけ良しとしよう。

 

 ん? "私は"知らないといったか?

 

「では、ほかの人なら知っているんですか?」

 

「ええ、そうね。日本についてもその人から教えてもらったものですから」

 

 何たる行幸。ここに来て幸福のバイオリズムが帳尻を合わせに高波を描き始めた。これは我が悲願達成に王手をかけたのではないだろうか。

 

「その人物は一体どなたなのでしょうか!」

 

「世界魔女」

 

「せ、世界魔女?」

 

 なんとシンプルなネーミングだろうか。しかし、わかりやすくて胸が躍る名前であることは間違いない。やはりゴテゴテと装飾で飾り付けるのではなく、バシッと本質を射抜くようなネーミングこそが肝要なのである。シンプルイズベストって訳だ。

 

「それで、その人とはどこに行けば会えるのでしょうか?」

 

「うーん。会うのは難しいでしょうね」

 

 もう慣れてきたが、上げて落とすまでのスパンが早くないか? 降りかかった不幸に見合うだけの幸福を私は手に入れられていない気がするのだが。

 これでは間尺に合わない。質量保存の法則とかそういうので言えば、つり合いが取れてしかるべきではないのか。それとも世界が変われば物理法則も変わるということか。この不運の連続がこの世界のデフォだとしたら、今すぐにでも元の世界に帰りたい。そうだった。元々、帰ろうとしてたんだった。

 

「もしかして、世界魔女さんはもうお亡くなりになられてたり……?」

 

「いいえ。そういうわけでは。でもね、彼女はとても偉い人で今はとても忙しいから、とてもじゃないけど会おうと思っても気軽に会えないわ」

 

「それでも、世界魔女さんがいらっしゃる所だけでも教えていただけないでしょうか」

 

「世界魔女がいる所は魔女教会の総本山ジャフ・ニトだけれど、そんなに焦らなくてもいいですよ。あなた達、死の道を通ってきたのでしょ?」

 

 ああ、そういえばすっかり忘れていたが、そのせいで私たちは兵士二人に絡まれるはめになったのだ。

 しかし、死の道を通ってきた事とこの事がどう関連してくるのだろうか。

 

「死の道であなた、首のない騎士様に出会わなかった? 大きな馬車を牽いた」

 

「ああ、会いました。出会いましたよ、そんな奴に」

 

「そう。なら、世界魔女ともいずれ出会えますよ」

 

 セジンさんはそういうといたずらっぽく笑った。

 何やら向こうばかり楽しそうで、こちらは全く要領を得ない有様である。これではまったく不公平だ。情報の開示を要求せねば。

 

「その、そもそも死の道ってなんですか? 我々は洞人なんてものに間違えられたりしたのですが」

 

「死の道はその名の通り、死んだ者が通る道です」

 

 言葉通りに受け取るならば、死の道とやらは我々の文化で言う所の三途の川とかと似たような概念と解釈して良いだろう。しかし、三途の川がそこら辺で流れていたら日本はすぐにでも阿鼻叫喚の地獄へと様変わりしてしまうだろう。

 だが、あの道は首なし騎士と出会ったこと以外は何ら変哲もないただの道であった。死んだ者が通るだなんてにわかには信じがたいな。気づかぬ間にお前は死んでいたのだ、そう告げられたら信じてしまいそうな気分ではあるが。

 

「その、つまり、死の道を通ってきた我々は死人だと、そういうことでしょうか?」


「あなた達、死の道にはどうやって足を踏み入れたの?」


「えっと、道を探して、横からズイッと」


「通常、死の道は決まった入口からしか入れません。この村の近くにある森の入り口みたいにね。不思議なことに道が続いているであろう場所を横から探ってみてもそれらしいものは見つからないの」


 ではあの道は本当にただの道であって、死の道などとは全く異なるものだったのか。全く人騒がせな道もあったものだ。そういう道は私の隣でついには居眠りを始めてしまったこのミチだけで十分だ。


 しかし、その話を聞いて一つ腑に落ちない点がある。

 あの首のない騎士はいったい何者だったのか。死の道なんて恐ろしい場所で出会ったからこそ登場してしかるべきという風格があるのであって、そんじょそこらの普通の道で会ったら何の脈絡もない珍妙なお化けに早変わりである。


「でもね、あなた達はこの世界とは違う世界からやってきたでしょ? だからルールも違うのです。だから、横から死の道へ割って入ってしまえたの」


「では、やはり私たちは既に死んでしまって」


「ふふ。誤って入ってきてしまったから首なし騎士様が現れて正しい道に戻してくださったんでしょう」


 人は見かけによらないとは言うものだが、あそこまで見た目と行動にギャップがあると疑った自分を戒めるよりも先に、空っぽでもいいから兜ぐらい付けとけと文句を言いたくなってしまう。死にかけていたところを助けてもらった事にはもちろん感謝しているが。


「あの首のない騎士は何者なんです? 良い人なんですか?」


「良いも悪いもないわ。今の彼は死そのものだから。あなた達が死ぬべきでもないのに死の道へ迷い込んでしまったから、正しい方向へ戻しただけでしょうね」


「うーん。首のない騎士が何者かについてはまあ、大体わかりました。でも、なんでそいつと会ったら世界魔女さんとも会えるってことになるのでしょうか?」


「首のない騎士様も世界魔女も同じ目的を持った仲間だからです。言ったでしょ、死ぬべきではなかったから助けたと。そうするだけの価値があなた方にはあるということです」


 死ぬべきではないから助けた。私はその言葉を聞いて、てっきり寿命が尽きてないから死ぬのはまだ早い。森へお帰り。ってな具合で死の道から普通の道に返してくれたのだと解釈していたが、実際は彼にとって我々が生きててくれたほうが都合の良い存在だったからお目こぼしを頂戴できただけらしい。


 なんとも不逞な輩である。自分で理を蔑ろにする奴うんぬんかんぬんぷんぷんぷりぷりしていた癖に、自分もルールを捻じ曲げて都合のいいほうへ事態を進めようとしてるではないか。首もないくせになんとも強かで狡猾な手口だろうか。今度会ったときはお礼を言うと同時にダメもとで悪の秘密結社にスカウトしてみよう。


 さて、もう概ね聞きたいことも聞けたし、最後に気になっていた洞人について尋ねて今日のところはお暇するとしよう。ミチの奴がついには横になって眠り始めてしまっているし。


「最後にお尋ねしたいのですが、洞人って何でしょうか? 私たちはそれだと疑われたようで」


「洞人は言うなれば生きた死体です。身体のどこかに穴が空いているからそう呼ばれているのです。首なし騎士様曰く、死が乱れた末に生まれてしまったこの世の淀みだそうです」


 生きた死体、つまりはゾンビって事か。死んだ人間しか通ることのできない死の道から出てきたのだから、我々のことをそう勘違いするのもこの世界の常識的に考えて無理からぬことだろう。


「そうなんですか。ありがとうございます。色々為になることを聞けました」


「いいえ。こちらこそあなた方の力になれたようで幸いです」


「では、我々はこれで……あれ?」


 私はよだれを垂らして寝ているミチを引きずってテントを後にしようとしたが、暖簾のように扉代わりに出入り口にかけられている布がびくともしない。鉄板で蓋をされているようだ。この暖簾であれば手押しをしても十分な手ごたえを得ることができるだろう。


 私は身体中の汗腺から脂汗が噴き出ているのを感じた。テントを満たす紫色の煙が発汗を促す作用があるのかもしれない。さもなければ、ほぼ一般人の私にも理解できてしまえるほどのピンチが訪れているのかもしれない。

 勇気を出して尋ねてみようか。私は眦を決して振り向いた。


「おや。怖い顔。そんなに怒らないでください」


「それはどういうつもりかを伺ってから決めることにします」


 私は足でミチの頭を突きながらあえて強い態度を取った。どうせ逃げ場はないのだ。ブラフでも何でもいいから、戦う意思を見せなければ交渉する際に相手に足元を見られてしまう。

 戦う気満々のように振舞うのは正義のヒーローの周りでキー、キー、言ってた頃に嫌というほどやってきた。それがあまりにも迫真めいていたからこそ、下っ端構成員教育係にも任命されたのだ。ここは意地の見せ所である。

 ただ、相手が端から交渉する気など皆無であった場合は、もうこの寝坊助さんに頼るしかないのだが。

 私は一層強くミチの頭を足で突いた。起きる気配は微塵もない。


「本当に怒らなくていいんですよ。私はただ、今度はあなた方の番だと言いたいだけなのです」


「私たちの番?」


「私は十分にあなた達にとって有意義な存在であることを示しました。あなた達も私にとって有意義な存在であると示してください」


 資本主義の下に生きてきた私には、セジンさんの言いたいことは十分に理解できるものだった。

 労働には相応の報酬が与えられて然るべきだ。勿論、報酬は必ずしも金品の類でなければならない訳ではない。お互いの了承さえあれば、労働に労働を報酬として与えることも許されるだろう。物々交換のようなものである。

 …………ところで今思ったのだが、今回の異世界出張には然るべき報酬は与えられるんだろうか? さしもの悪の秘密結社と言えど、近代文明を支配する資本主義を蔑ろにはしないと信じたい。


「…………今日のところはお休みにしましょうか。お二人共お疲れのようですし。宿を手配させますから、そちらで休んでまた明日話をしましょう」


 お金についての心配が今まで以上に私の表情を暗くしたのか、セジンさんが休息を提案してくれた。

 私はその提案に賛成すると眠りこけているミチをおぶって立ち上がった。


 鉄板のようになっていた布はいつの間にやら柔軟さを取り戻しており、外に出ることの何の障害にもならなかった。

 セジンはどうやらただのいやらしい格好の占い師風えっちなお姉さんではないらしい。村人から様付けで呼ばれてしかるべき恐ろしい魔力を持っているのかもしれない。そんな彼女の役に立つ為にはどれだけ恐ろしいことをしなければならないのか、凄まじい無茶ぶりが飛んできそうで気が気でない。


 いっそのことこのまま逃げてしまおうか。宿で夜を待ってこっそり逃げてしまおうか。お願いを聞いてる間に逃げてしまおうか。ただただやみくもに逃げてしまおうか。

 バラエティーに富んだ逃げ方が我が脳内にて陳列されたが、布を鉄のように変えることができる手腕を持つ恐るべき魔女を相手に背中を見せないほうがよいだろう。それに異世界を征服してこいなんていう無茶ぶりを実地している私にこれ以上の無茶な要求など降りかかってくる訳もない。そんな理不尽はこっちの世界でもあっちの世界でも流石に許されていないはずだ。

 もしも、許されていた場合は全部なかったことにして逃げてしまおう。



  ◇



 宿のベッドはとてつもなく硬く粗末なものであったが今まで石を枕に野宿していたのだ、スイートルームにでも泊っているかのような気分であった。

 朝食はこれまたとてつもなく硬いパンと味の薄いなんかのスープだが、まともな調理を施されている食物を口に運ぶのが久方ぶりであった為、ご馳走を食べている気分であった。


 でも、身体はバキバキで、口はパサパサだ。どうやら気持ちよくなっていたのは久しぶりに文化に触れた気分だけであったようだ。


 それでも高揚を隠せない私はすっかり浮かれてセジンさんのテントの前までやってきた。そこでこれから何やら要求されるであろうことを思い出して、気分を落ち込ませた。

 結果としていい塩梅になったテンションで私はテントの中へお邪魔した。何かあったときにミチ一人でも逃げられるように、彼女はテントの外で待機させている。あれだけ恐ろしい思いをしたというのに、存外自分が紳士的であることに少し驚いた。


 テントの中は昨日と変わらずいい匂いの煙で満たされて、怪しげに燃ゆる紫の火が煙に色を付けて独特の雰囲気を作り上げている。ただ、昨日感じた淫靡さがないのは、おそらく私が緊張しているからだ。


 珍妙な格好で私を待っているセジンという女はただ者ではない。何らかの特異な力を有する魔性の女である。

 扉代わりの布が出入り口を覆うと、テント内の光源は蠟燭の火のみとなり、今が朝なのか昼なのか夜なのかも判断がつかなくなる。昨日はそんなことに意識を向けていなかったが、このテントを構成する布はずいぶん厚い素材らしい。外界の光が全く中へ届いていない。


「あの女の子は連れてこなくてよかったんですか?」


「ミチは外で待機させています」


「そうじゃなくって、あんなに怖がって、怒っていたのに、よく私と二人きりになれましたね。そう尋ねているんです」


「恐ろしいことなんて一つもない。ただ私達があなたにとって有意義な存在であることを示すだけですから。違いますか?」


 セジンは私の言葉を聞いてクスクス笑っている。

 あの時までは丁重で少し可愛らしさすら感じる女性と思っていたが、今はまるで違う。なんだか丁寧な口調も酷くうさん臭くて小ばかにされているようだ。


 私の中で生まれた彼女への恐怖は要らぬ偏見を抱えるにまで至ったようだ。それを感じ取ってか、セジンのクスクス笑いが一オクターブ高くなった。


「私、魔女なんです」


 彼女はだしぬけにそう言った。


 意図はわからないが、あながち嘘だというわけでもないと自然に信じてしまった。


「あら。疑ったりしないんですね」


「まあ、布が鉄のようになったりしましたし」


「あれは私の仕業だと?」


 言ってまたクスクス。

 うーん。なんとも相手にし辛い。彼女は昨日の私のリアクションを心底気に入ってしまったようで、からかうことに夢中だ。えっちなお姉さんにからかわれて喜ばない男は統計学上では稀だろうが、この状況では素直に喜べない。


 私は単刀直入に聞き出すことにした。


「で、私達は何をすればよいのですか?」


 その言葉を聞くと彼女は横になっていた身体を持ち上げた。


「本当なのよ。私が魔女ってのは。元だけど。ビッグハットと言っても違う世界から来たあなたにはいまいちピンとこないでしょうけど。私ははぐれ者の魔女。追われている身でもあるの」


 彼女は少し退屈そうに自分の髪をいじりながらそう言った。

 自分について話すのが本意でないのならば、喋らなければいいのに。そんなに自分が魔女であることが重要なのか。


「もう一度、死の道へ赴き首なし騎士様にあってきてもらえないかしら。そして、『セルジェーニンはついに時計の針を逆さに動かしました』そう伝えてもらえないかしら」


 彼女は確かに私に向かって言っているのだが、目線はうつむきがちで私と彼女の間に漂う紫煙を虚ろに視界に留めているだけに見えた。


「あなたは彼に必要とされているはずだから、きっともう一度会えるはず。私は、必要とされなかった」


 それが彼女の本音だったのだろう。私がテントを後にする頃には、彼女に抱いていた偏見はすっかり消え失せていた。

 しかし、いやらしい占い師風のえっちなお姉さんというイメージもなく、新たに生まれたのは恋人に振られた少女という印象であった。


 首なし騎士が彼女を振った、なんて考えると何やら恐ろしくって夜も眠れなくなりそうだが、彼にも美顔がそのちょん切れた先に乗っていた時代があったのかもしれないし、安易な想像を抱いて再び会えば何やら良からぬことをしでかしてしまいそうでもある。考えぬが吉だ。

 テント前で暇そうに空を見つめていたミチは連れて私は再び死の道へ向かった。

 さて、兵士は素直に通してくれるだろうか。

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