第3話 悪の秘密結社、すぐに捕まる
歩き慣れない無舗装の道を進むのは思った以上に身体に負担を強いるものだった。
仕事柄、これでも同年代のサラリーマンに比べて身体は鍛えている方なんだが、歩いた時間も向かっている目的地も曖昧なのが精神的な負荷になり、このウォーキングのデトックス効果を高めているのかもしれない。
私の密かなピンチなど我関せず、ずいずいミチは先に進んでしまっている。
奴に上司の顔色をうかがい、あたかも自然な振る舞いで目上の者の顔を立てるような高度な渡世術など望むべくもない。少しでも歩調を緩めようものなら置いて行かれてしまうのは必定だ。
身の危険においても、沽券の危機においても、彼女に置いてきぼりを食らう訳にはいかない。私は棒になりつつある足に鞭をうち、イカれたウォーキングマシンと化したミチに必死に食らいついた。
私の頑張りは中学生のマラソン大会もかくやといった具合で、この必死さには神も思わず同情を余儀なくされたようだ。
間もなく我々の四方を囲んでいた木々は疎らとなり、森の終わりを告げると共に広くなった木々の隙間から人の背中が垣間見えたではないか。道の先には少なくとも人影の一つや二つあるだろうという算段であったが、これは何たる行幸か。ここまで散々なことばかりだったので帳尻合わせの偶然が起き始めたのだろう。この調子で私に都合のいいように事が運んでくれればありがたいのだが。
「貴様ら! 何者だ!」
そんなうまくいかないのが我が人生である。帳尻合わせの奇跡に思えた展開も、さらなる災難のプレリュードに過ぎなかったのだ。
思わせぶりな態度にまんまと舞い上がり、高まった位置エネルギーのなすがまま地に落とされた私の心境はもはや語るに及ばないだろう。でも胸にしまい込んだままでは骨折り損なのであえて語ると「かなりキツイ」だ。
不幸中の幸いというべきか、この人達も日本語を喋ってくれている。やはりこれはミチにあらゆる言語を瞬時に翻訳してくれるコンニャクもビックリな翻訳機が搭載されているに違いない。
「なぜ死の道から出てきた!」
「なんとか言ったらどうだ! もしかして口がきけないのか!」
我々に怒声を浴びせる二人は軽装ながら武具を身に着けており、威嚇するように矛先をこちらに向けている。
既に一触即発といった様相を呈しており、私達がこの『死の道』なんて呼ばれる場所から出てきた事はよっぽど腹に据えかねる事態であるようだ。
いくら言葉が通じてもここまでカンカンな人間を相手に、対話のみで穏便に済ませられるのだろうか。私の脳裏には既に肉体による最も原始的で低俗なコミュニケーションが行われる映像が流れていた。なんとも気の早い脳である。
「もしかしてお前ら"
なにやら聞き覚えのない固有名詞と共に矛先がぐいっと私の喉元へ伸びた。反射的に私は仰け反ってそれを避けたが、開戦のラッパの音にするには十分な出来事である。視界の端でミチがピクリと動いたのを見逃さなかった。
すっかり忘れていたがミチは戦闘要員として私を守るためにここまで連れてきたのだ。正しく今こそが彼女の本領を遺憾なく発揮する場面である。
「待って! 降参! 降参です!」
だが、それは勘弁願いたい。命令しなきゃ生命維持以外の行動を頑なに行おうともしないミチが、珍しく自ら行動を起こす気配を見せたものの、私は素早く戦闘の可能性を排するために両手を上げてわざとらしい声で降伏を宣言した。
「お願いします! この通り! 命だけはご勘弁を!」
さらに流れるように私は地に伏して命乞いをした。その手並みがあまりにも鮮やかだったからか、カンカンだった兵士達はお互いに顔を見合わせて槍先の行方を迷わせていた。
チラリと横目にミチの様子を伺ったが、戦闘の気配が消えたことで彼女はいつもどおりに眠たげな目で傍観を決め込んでいる。
「なんなんだ、お前らは」
呆れ果てたといった具合で兵士の一人が口を開いた。どうやらやる気も敵意もなくしたようで、柄を地面に突き立てて矛先は我々から高い空へと反れていた。
「いや、私達は旅人でして……すごい遠くの、たぶん名前を言っても聞いたこともないような辺境の国から訳あってこの地に流れ着き、どうにかこうにか人の気配を求めて彷徨っていたのです。私達はただ自分の国に帰りたいだけなんです」
驚くほどこんこんと言葉が湧いてくる。おそらく嘘を一つもついていないからだろう。濁している部分は幾つがあるが。
「だからって、なぜ死の道から出てくるんだ」
「えっと、その、死の道ってなんです?」
「なに? 死の道がなにか知らんって?」
「お前らほんとにどこから来たんだ」
「日本って国なんですけど」
「知らん。聞いたこともない」
再び興奮してきたのか、上を見いていた槍が再びこちらに向けられた。せっかく渾身の命乞いで乗り切った危機的状況がこのままでは繰り返されてしまう。再び我が命乞いが通じるかは甚だ疑問だ。どうにかしなければ、死人が出る事態になりかねん。
「いや、でも、この道、普通の道でしたよ! マジで! なあ、ミチ?」
「はい。首のない人にあっただけで、それ以外は普通でした」
私は心底、自分の迂闊を呪った。少しでも話の信ぴょう性を上げるために同意を求めてしまうような市民根性がひょっこり顔を出してしまったのだ。それにしたってコイツは場の空気を読むという行動は出来ないのか。もはやここまで来るとあえて自ずから空気を破壊しにいってるのではないか。一体何の恨みがあるってんだ、空気と私に。
ミチの言葉により粉々に砕けた空気が鋭い破片となって辺りに散乱した。
幾つかの破片が私の体に刺さり、非常に痛い。
今すぐにでも逃げ出したいいたたまれない雰囲気が一帯を支配している。
後ろに続く死の道とやらを全力で疾走すれば、彼らは追ってこれないのではないだろうか。彼らはこの道を酷く嫌っているようだし。
「ええい。お前らの話は一向に要領を得ん。もういい、来い」
最後の逃走経路の算段を付けていた隙を付かれて、私は手首を縄で縛られてしまった。ミチも同じく一本の縄で手首を縛られて、まるで電車ごっこのように私とミチ、そして縄を持つ兵士で一列につながった。これではまるで売られていく奴隷のようである。
大変不名誉な姿だが、ミチが抵抗しないのを見るに彼らにはあまり敵意はないのかもしれない。訳のわからない事を宣う異邦人相手への配慮ある処置なのだろう。
「村に連れていく。話はそこでしろ」
出発する兵士に引きずられて我々も否応なしに歩きだす。列の最後尾であるミチの後ろにもう一人の兵士がつき、電車は四両編成と相成って、終点の彼らの村まで走り出した。
◇
四十分ほど不名誉な電車ごっこを続けてようやく彼らの村についたが、その頃には私の膝が極度の疲労のためケタケタ笑い始めていた。おそらくここまで約四時間ほどのマラソンだった思う。へばるのには些か早いような気もするが、慣れぬ道に慣れぬ世界、そんなところを当てもなく歩いてきたのだから、私の事を体力無しの意気地なしと野次るのは少々不憫だとは思わないだろうか。
異世界人を連れた不名誉電車が村の前まで付くと見張りをしていた兵士がすぐに一人駆け寄ってきた。
「どうしたんだ、そいつら」
「訳の分からないことをいう異邦人なんだ。しかも、あろうことか死の道から出てきやがった」
「じゃあ、こいつら洞人なんじゃないのか?」
「でも一応、会話はできるみたいだし、こいつらの顔色を見ろ。血色がいいだろ。血の通った肌の色だ」
ふむ。確かに。と、説得された兵士は我々の顔をまじまじと見た。
洞人とは一体なんのことなのだろうか。異邦人の総称かと考えもしたが、どうもそう言うわけでもなさそうだ。
「そこで一つお使いを頼まれてくれないか? セジン様にこいつらの事を伝えてきてくれ」
「おう。わかった」
お使いに走っていった兵士を見送ってからの七分ほどの間、私は何度か対話を試みたのだが、その結果は無視されるかうるさいと怒鳴れるかのどちらかに終わった。
彼らはもう得体のしれない異邦人とこれ以上の会話を行う気はないらしい。こうなればセジンとかいう人物が話の通じて、尚且つ我々の難解な立場を理解してくれる人格者であることを祈るばかりである。
「セジン様がそいつらを連れてこいとおっしゃってる」
「ふん……よし、行くぞ」
お使いから帰ってきた兵士の言葉に少し不服だったのか、荒々しく手綱を引いて村の中をずいずい進んでいく。
こいつの思惑では、訳の分からん異邦人はセジン様とやらの命でこの場でその処遇が決定されるとでも思っていたのだろう。村に入れること自体不本意であるようだ。
それはこの兵士に限った話ではなく、村人たちも同じ気持ちのようで、縛られている我々の様子を怪訝そうな面持ちで探っている。
様付けされるような人物なのだからこの村の権力者なのだろうと私は予想していた。
セジンは村長とか、そういうポジションの人物であり、この村で一番おっきな家に住んでいると決めつけていた。だから、それらしい家の前を素通りしてその奥の村の端っこにポツンと建設されているテントに案内されたときは些か肩透かしをくらったような気分であった。
「セジン様、失礼します」
兵士に連れられて我々もテントの中に入る。
外見よりもずいぶんと広いテント内は何やらいい匂いのする煙で充満しており、紫色に光る蠟燭が何本か揺れて、非常に淫靡な雰囲気を醸し出していた。
セジンという女性はそんな蠱惑な雰囲気をまとう煙の中心で脇息めいたものにもたれ掛かって寛いでいた。
ベールのような薄紫色の布を頭からかぶっており、そこには幾つかの質素な飾りが巻かれていた。腰まで届くような長い髪は、テントの床でうねる波のような様子を描いている。ローブのような丈が長く全身を覆い隠せる服を着てはいるが、大きく開いた前面からほとんど下着のような衣服が露出している。……もしかしたら本当に下着なのではないだろうか?
ともかく、いやらしさは満点だが威厳というのはあまり感じられない。
その風体は占い師といったところだろうか。テント内の雰囲気や、置いてある骨やらガラス玉やらの装飾品もそう思わせるのに一役買っている。もしそうでなければ、風呂上がりのえっちなお姉さんである。
どちらにせよ、典型的ファンタジー世界の住民の人心を操るには十分な要素だろう。
「縄を解いてあげてください。それじゃ、家畜みたいです」
「しかし」
「いいですから。あなた達も下がっていいですから」
「……承知いたしました」
結局、彼は最後の最後まで不服そうにして、私たちの拘束を解くとこの場を去っていった。なんだか気の毒である。
「あなた達も腰かけてください」
セジンさんに勧められるまま私は腰を掛けた。正直、立っているのもつらい状況だったので助かった。
「話は大方聞いております。異邦の方だとか」
「はい。非常に遠い国から来てまして」
「なんて国ですか?」
「いえ、言ってもおそらく聞いたことすらないかと……」
「ですけど、こうして言葉は通じてますし、私、こう見えても物知りですから、知ってるかもしれませんよ」
「日本です」
「二ホン? それって一本二本の二ホン?」
「あ、いや、そうじゃなくって、にっぽんとも言いますかね」
「ごめんなさい。聞いたことないわ」
そりゃそうだろうよ。
どれだけセジンさんが物知り博士だったとしてもまさか別の世界の国の事まで知っているはずがない。
だが、ここまでのやり取りでセジンさんが我々に対して興味を持ち、比較的友好的な態度の持ち主であることがわかった。それだけでも値千金だ。後は死の道云々に関しての受け答えさえ間違えなければこの場は丸く収めることができるだろう。
「言葉が通じるのに知らない国があるだなんて思わなかったわ。その二ホンはゴーデンのどこら辺にある国なの?」
「へ? それは……」
他ごとを考えていたせいで回答に詰まってしまった。
ゴーデンとは何のことだろうか。二ホンを国と認識しているのだから、ゴーデンは察するに大陸とか地域の名前の可能性が高いじゃないか? アメリカ大陸とか、アジアとかそんな感じで。そう仮定したら、その範囲内にあることにするのは少しまずい気がする。
「ゴーデンにはありません。そこからずっと遠くにある島国で、ここの言葉は流されついてここに来るまでの道すがらで覚えました」
「それはずいぶんと大変な思いをしてきたんですね」
「ええ。それはそれは、死ぬような思いを幾つもしてきました。私たちの願いはただただ生きて祖国の土をもう一度踏むことだけです」
嘘で塗り固めた会話であるが、この最後の言葉だけは私の真心からの言葉である。この誠意と嘘、どうかセジンさんに通じてくれ。
「そうですか……わかりました」
おお。私の誠意と嘘が彼女に通じたようだ。ひとまずこれで目の前の危機は去ったようだ。
「あなたがとても利口な嘘つきであることがわかりました」
いや、どうやら何一つ彼女には通じていなかったようだし、危機も去ってはいないようだ。
「う、嘘つきだなんて、そんな、はは、ご冗談を」
どこでバレた? 何をやらかした? もしかしたらゴーデンっていうのは大陸や地域の事ではなく、この世界の名前だったのか。つまり、我々の世界で考えるとさっきの受け答えは、
「お前の出身国、地球のどこにあるの?」
「地球にはないよ。もっと遠くにあるよ」
そう言っていたということになる。でも、だとしても、嘘は言ってないじゃん! 全部ほんとのことだもん!
私の動揺をよそにミチが眠たげに頭を左右に振っているのが非常に癇に障る。しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。
彼女が次に紡ぐ言葉次第ではもう戦闘は避けれないかもしれないのだ。その際にはこのイカれた振り子野郎の力を解き放つしかあるまい。
……果たして役に立つのかこいつは。
「冗談なんかじゃありませんよ。だって、私、日本のこと知っていますもの」
「へっ?」
張りつめていた緊張が切られて、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「それって一本二本の二ホンではなく……?」
「日本国の日本ですよ」
どうやらとんでもない物知り博士になると異世界の事についても知見があるようだ。
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