第2話 悪の秘密結社、ついに動き出す

 更に時は流れ、異世界に転移してから五日になろうとしていた。やはり私はぼんやりするばかりで何もしていない。

 辛うじて生命活動を継続できているのは、ミチがどっかから取ってくる謎のきのみや何かの肉のお陰である。


 私は最初それを口にする事を拒んでいた。それも当然である。詳細を聞いてもミチは首を傾げるばかりで、本人すらもそれがなんであるのか理解してはいないのだ。

 幾らお腹と背中がくっ付きそうといえど、人間として出所もわからぬ物を口にする事は沽券に関わってくる。


 しかし、二日目の夜に空腹に耐えかねて私はいよいよ食物を摂取した。

 飯さえあれば矜持なんてどうでもいいのだ。万事、生きてこそである。

 人間としての尊厳を放棄して食した肉塊の味は無類であった。


 異世界に孤立無援となる原因を作ったミチであるが彼女は思いの外高性能で、火を起こせたり、水を出したり、肉を切り分けたり、指先を光らせたり、目を光らせたりと破壊兵器とは思えぬ一家に一台の万能ぶりを発揮した。何やら本人も把握してない機能がまだまだ沢山あるようで、私は密かに胸を躍らせている。


「行動しよう」


 ミチは私の言葉にキョトンとしながらも、咥えた肉を頬張るのはやめなかった。


 破壊兵器でありながら、最新家電も顔負けな多機能を誇るミチは、異世界を生き残る為のマストアイテムと言えるだろう。彼女がいればこそ、この過酷な環境でも私は命を繋ぐことが叶っているのだ。


 しかし、私達はサバイバル生活をする為にわざわざ異世界へとやって来たのではない。


 一年経とうが、百年経とうが助けが来ることなどありえない。むしろ、音沙汰なく時間が経てば、我々の名前は社員名簿から削除されて、『異世界征服プロジェクト』なんていう突拍子のない企画と共になかったことにされるであろう。

 そういうところに関しては悪党っぷりを遺憾無く発揮するのが、グレートグレータの恐ろしいところである。


 再び日出る大地を踏み締める為には、どうにかこうにかこの世界をちょっこと征服して、次元の壁をぶち破る術を手に入れるしかない。

 組織の目的と自らの目的が見事に一致した瞬間であった。


 今や我々の双肩には、組織の未来と自分の未来と二つの重責がどっぷりと乗っかっている。しかし些か荷が重い。

 私の貧弱極まる肩は、もう二度と白球投げる事叶わぬ程に弱り切ってしまっている。正直肩の荷を投げ出したい。でもこんな肩じゃ投げ出せない。そもそも投げ出したところで、草原のど真ん中で詳細不明の肉を頬張るだけの人生を送る羽目になるだけだ。それはあまりにもあんまりである。


 だから私は、任を果たす体で現実世界に戻る方法を探しつつ、詳細不明の肉を食さなくてもよい生き方を求める事にした。


「ここでじっとしていても何も始まらない。取り敢えず任を果たす為にも、この世界の情報が欲しい。村や街を探そう。とにかく人が集まる場所だ」


 私がやる気満々に立ち上がるが、ミチは肉を頬張るのに忙しいようで立ち上がる気配がない。

 少しだけ気まずくなって私が「何か情報を持っていないか、ミチ?」と尋ねるとミチは「それなら心当たりがあります」と返事を返してくれた。


「本当か?」


「はい。食べ物を採りに森に入った時に、道を見つけました」


「では、早速向かうとしよう」


 そういう重要な情報はさっさと上司に報告しろ、と叱りそうになるのをグッと堪えた。

 ここでミチを叱責して、元々雀の涙程もないやる気が雲散霧消してしまったら目も当てられない。

 なので、ミチが頬張る肉を全て食べ終わるまで、一向に動く素振りをみせなかった事も不問に付した。


 ミチの食事が終わるまで待ってから、私達は東に広がる森へと足を運んだ。


 私は今まで何もしない事以外は何もしなかったので、当然森に入るのはこれが初めてだ。どんな恐ろしい生き物が生息しているか、気が気でなかった。

 それに対してミチはもう慣れてしまっているからか、臆する様子など一切なく邪魔な草木を薙ぎ倒しながらずいずい進んでいる。

 ふと、ミチが手で薙いだ草木に目をやると、鋭利な刃物で切られたように断裁されていた。


 彼女の四肢は歳相応に華奢で少女らしく肌はつるつや柔らかそうなのだが、その切れ味は触れるものみな傷つけるギザギザハートも丸くなる程ど鋭いものであった。ついうっかり己が劣情が赴くまま暴走でもしたら、気付いた時には細切れのサイコロステーキみたいに食べやすくなっていた事だろう。

 無論、真摯で紳士な私が年端もいかぬ少女に対して、そのような破廉恥極まりない所業に及ぶ訳がない。及ぶ訳がないのだが、注意しておく事に越した事はないだろう。私は実に慎重で考慮深い男なのだ。


 だいたい十分ほど自然破壊を続けたところで件の道に出た。

 もちろん道と言ってもコンクリートでしっかり舗装されたような立派なものではない。それでも周囲の草木が切り倒され、地面は往来を物語るように踏み固められている。


 よく見ると車輪めいた跡もついていた。ここを荷車などが通ったのだろう。それもつい最近のことのようだ。削れた地面は乾いておらず、柔らかいままである。これは期待できそうだ。


 どういった用途の車か知れないが、発着地と到着地がなければ運搬は成り立たない。どの方角にしろ荷物を扱う人間がいることは間違いないだろう。

 どちらに行こうかキョロキョロと見渡していると、ミチが北へと伸びる道筋を指差した。


「馬車がこちらに向かってますよ」


 私は指された方を凝視したが、それらしいシルエットすら見当たらない。道の先は少し霧がかったように朧げになっていて、そのせいで私の目には彼女が見たと言うものが映らないのだろうか。


「本当にそんなものが見えたのかね?」


 そう尋ねるとミチはゆっくりと首を縦に振った。私はミチを信頼して北の方へと足を踏み出した。彼女を先頭に置いて。


 彼女は超高性能高枝切り鋏であると同時に、超高性能戦闘兵器でもあるのだ。私の五億倍は強いとDr.メグロ氏のお墨付きなので、この非紳士的な振る舞いも批判の対象にはならないだろう。


 彼女の性格上、見えてもいない物を見えたなどと見栄を張ることはないだろう。おそらくこのまま道なりに進めば馬車なりと鉢合うことになる。問題はその後だ。


 しつこいようだが、私は何もしないことに徹底して時間を費やし、生産的なことは一つとして行っていない。この五日間で私が接触した人物はミチのみだ。

 そのミチも誰かとの親睦をやたらに深めるような人間ではないので、しばしば私の元を離れて自由に行動していたが、その時間を有意義な原住民とのコミュニケートに費やすなんてことは想像し難い。彼女は命令されなければ一生、得体の知れない肉で腹を満たすだけのイカれた肉食マシーンなのだ。


 となるとこの度行われるファーストコンタクトについて当然の疑問が湧いてくる訳だが、我々の言語は果たして原住民の皆々様に通じるのであろうか。

 私の生きてきた世界ですら、所狭しに様々な言語が飛び交っていたのだ。次元の壁という分厚いものに隔てられたこの世界の住人が、縦長の島国でのみ使用されるマイナー言語を理解できるとは到底思えない。


 ファーストコンタクトにしてワーストコンタクトになりかねない緊迫した状況であるが、全ての望みは頼れるほどの頼り甲斐がない、のほほんとした少女に託された。自動翻訳機能とかそういったものが搭載されている事を願うばかりだ。


 道なりに歩き始めて数十分ほどが経過したところでようやく私にもミチが見たと言う馬車の気配を感知することが出来た。重い何かを引きずるような音が聞こえてきたのだ。


 ゴリゴリと地面を削るような音は自然ばかりのこの世界では異質な不自然な音に思えた。

 何らかの人工物が迫ってくるその音が大きくなるにつれて、胸を中から叩く心臓の鼓動も強まってくる。いよいよ、第一村人とのご対面である。


 私は思わず息を呑んだ。

 今まで言葉が通じるかどうかなどと、矮小な悩みに頭を悩ませていたのが馬鹿らしくなってくる。異世界へ来たというスケールに未だ頭が追いついていなかったのだ。

 手遅れになることすら躊躇せずに物事の分析を重ねに重ね、重ねるだけ重ねた分析を今一度自ら崩して再度の分析を行うほどに慎重な私が、このような事態すら想像できなかったとは迂闊と言わざるを得ない。


 私達の目の前に現れたのは立派な馬車だった。

 黒い塗装の車体の至る所に豪奢な金飾りが施され、積まれている荷物が余程に価値あるものだと思わせる造りである。車を引く馬にも同じような装飾が施された鎧が着せられ、手綱を持っている鎧姿の人物もお揃いの格好をしている所を見るに意匠を統一することにただならぬ拘りを持っていることが窺い知れる。


 その風体にはこちらを容赦なくペシャンコにしようとしてくる凄まじい威圧感があるが、人にも馬にも首から上が存在しないこと以外は概ねツッコミどころもない典型的なファンタジー世界の住人といったところだろう。


「死の往く道を遮る貴公らは何者ぞ?」


 皆さん、聞いただろうか。驚くべきことに彼は日本語を喋ってくれた。

 顔もないのにどうやって発音しているのだろうか。まったく、異世界の魔術には驚かされるばかりである。


 私が驚愕に固まってる中、ミチもピクリとも動かない。その理由は私のそれとは異なり、命令もしていない会話を自ずから始めるようなコミュ力溢れる娘ではないからだ。化け物が目の前に現れようが自分の意志では行動しない指示待ち人間の鑑である。


「おい、ミチ。質問してらっしゃるぞ。答えてあげなさい」


 耳打ちしてやるとミチは小さく会釈して、首無し騎士様の方へと向き直った。


「こんにちは。いい天気ですね」


 バカか、コイツは。


 温厚な私も思わず心の中で罵声を飛ばしてしまった。

 それほどにミチの素っ頓狂な発言は危なっかしいものであった。


 相手は首から上がなくとも生命活動を維持できる妖怪変化の類である。しかもその状態で言葉を発するのだ。化生の輩の中でも上位の存在であることは疑い用がない。

 職業柄、この手の訳の分からんバケモノと会話する機会には一般人よりは富んでいる。そんな私に言わせればこういう奴らとの良好な関係を築くためには第一声を慎重に選ばなくてはならない。


 ミチのあまりにも的を外した発言は神経を逆撫でるばかりで、ともすればキツイ一撃がお見舞いされることになりかねない。


「死の往く道を遮る貴公らは何者ぞ?」


 しかし彼は見た目に反して存外、紳士的であるようだ。なかったことにしてくれた。


 仕方がない。こういう時のために私が派遣されたのだ。

 もはや社員名簿にその名が残っているかどうかも怪しいが、仕事である以上は責任を果たすのみだ。私が会話を試みよう。


「申し訳ありません。道を塞ぐつもりはなかったのです。今すぐ退きます。失礼しました」


「ならん。死を避ける事は何人にも赦されぬ」


 何言ってんだ、コイツ。


 温厚な私も思わず心の中で罵声を飛ばしてしまった。それほどにも首無し野郎の言ってる事は意味不明なものだった。


 私は奴の言葉を現代風に意訳して「邪魔なんだけど、どいてくんない?」と言っているのだと解釈したが、どうやらそうではないらしい。


 口振りからしてコイツは死の擬人化、いわゆる死神とかそういう類の闇属性の妖精さんなのだろう。

 生きとし生けるもの全てにいずれは訪れる死という結末。それは摂理とも言うべき干渉不能なものであり、高い技術力を誇る我らでさえそれを克服するには至っていないのだ。

 もしも、目の前に鎮座まします真っ黒野郎がそういう具合の悍ましい存在であったとしたら流石のミチでも手も足も出ないかもしれない。早々にこの場から退散した方が賢明だろうか。


「今、この世の理が冒されている」


 二択の"とうそう"のうち有効な算段はいずれか頭を回転させていたら、顔なし騎士が口を開いた。その声色はどこに声帯が存在しているか定かでないにも関わらず落ち着いたもので、敵意は感じられなかった。

 ひとまずは様子を見てもいいかもしれない。私はそう思い、余計な茶々はいれずに彼の次の言葉が紡がれるのを待った。


「慮外者が蔑ろにするべきではないものを踏みつけにし、秩序ある世界の形を自らの思うがままに歪めんとする。赦されぬことである。死の道を遮る者よ、貴公らがあの夜の星々の隙間を這う蛇供と同じか、あるいは血に惹かれた獣達と同じか、それとも汎ゆる埒の外の者か、その刻が来るまで死の淵にて観ていよう」


 言いたい事を言い終わって満足したのか、我々のことは無視して馬車がゆっくりと動き出した。私は急いでミチの手を引いて道を開けた。

 ゴリゴリと地面を削りながらゆっくりと首無し騎士は道なりに消えていった。


 犠牲者が出ずに一難去ったことは喜ばしいが、奴の正体にも発言にもまったく要領を得ない結末であった。

 なにやらそれっぽい事を言っていたが、この世界に関してなんら情報を持たない私にわかったことは、この世界はピンチらしいことと、蛇と獣がいるらしいことぐらいだ。


 まあ、世界征服を企む悪の秘密結社がのこのこ乗り込んできている時点で平穏無事という訳ではないが、私ども以外にもこの世界に牙を剥く不届き者がいるということだろうか。

 だとしたら異世界だけあって魔王とかがお座すに違いない。目的は似たようなものだし、話し合いで協力関係を築けないものだろうか。いざとなれば私の「異世界支部長」の肩書をプレゼントしてもよい。その時は代わりに魔王様から「魔王側近」の肩書を頂くつもりだ。


 しかし見た目の印象だけでいえばあの首のない不気味な風態はどう贔屓目に見たって魔王側の大幹部といった感じだが、彼はどうにもルール破りどもに厳しそうだった。

 

 人は見かけによらないと言うが、せめて良い人なら頭をつけてもらいたい。人間としての最低限のマナーだ。

 あとは道を教えてくれてもよかったと思う。迷った人間を導くのもまた、人間としての最低限のマナーだ。


「さてと。どうしたもんかな」


 ミチは私の指示を待っているのか、眠たげな瞳でこちらを見つめている。

 当初の目論見は外れたが、とりあえずこのまま道なりに進むことにした。

 

 おっかない首無しが『死の道』なんて言ってたが、この道のどん詰まりが阿鼻叫喚の地獄なんてことがないことを祈っておこう。

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