悪の秘密結社異世界支部

@ookam1

第1話 悪の秘密結社、異世界へと渡る

 任を受けてから、既に三日経過していた。


 その間に私が行った行動といえば、昼に太陽を見つめ夜に月を見つめる事のみ。とどのつまり日がな一日、呆然と時が経つのを何もせず実感していただけである。


 私は人生において、この様な窮地に追いやられて然るべき悪行を重ねてきた覚えはない。せいぜい悪の秘密結社にしたっぱ構成員として就職し、正義の味方の近くで「キー、キー」言ってたぐらいだ。


 その余りにも板に付いたしたっぱっぷりが幹部の目に留まり、『したっぱ構成員教育係』の役職を承ったのも三年ほど前の話で、新米構成員達にしたっぱらしさとは何かを熱弁したり、「キー」の正しい発音の仕方を教えたり、戦ってる様に見せかけて全く戦ってない振る舞い方を指導したりもしたが、それは懸命に仕事をこなしていただけで悪事などには含まれないはずだ。それこそ、そこらへんの悪童の方が私よりも悪行三昧の日々を送っているに違いない。


 几帳面に労働に従事し国に税を納める日本国民の鑑である私が、何故かくの如き状況に甘んじなければならないのか。上司の命令とはいえ、なんだか無性に腹が立ってきた。


 悪の秘密結社だからといって、社員にまで悪辣な対応をしなくても良いではないか。そういうのはあまねく善良なる市民に対してやってくれ。秘密結社に就職する事を決めた奇特で気の毒な連中にまで構わず牙を向けるのは、人の所業ではなく悪魔の所業である。私は悪に魂を売ったつもりはない。たまたま就職できたのが悪の秘密結社であっただけだ。

 私はこの処遇に対し、断固として異議を申し立てる所存である。私には無理だ、他に適任者がいるはずだ。お家に帰りたい。上司に直談判しよう。


 なので悪の秘密結社・グレートグレーター異世界支部の当面の目標は、元の世界へ帰ることとする。



 ◇



「今の世界も征服できてないのに異世界を征服できるのか?」


 という身も蓋もない疑問を軒並み無視して、『異世界征服プロジェクト』なる計画は堂々と開始される事に相成った。


 私の指導を受けるしたっぱ達にもその一大プロジェクトの事は耳に入った様で三者三様の反応を見せたが、結局皆んな「自分達には関係ない」という結論に至った。かく言う私もそう思っていた一人である。白羽の矢が私の頭部にぶっ刺さるその時までは。因みにその矢傷が致命傷であった事が判明したのは、もはや言うまでもないだろう。


「現世界で正義の味方との交戦が激化する中、異世界進出への足掛かりとしてのこのプロジェクトに多くの人員は割けない。そもそも異世界へ行ける人数は技術的な制約によりかなり限られている。


 それなのにも関わらずプロジェクトを強行するのは、これこそが針のむしろに座すが如き現状を打破することができる限られた可能性の一つであるからだ。


 文明レベルの低い異世界をまず先に征服し、そこから人員、資材、あるいは異世界の特異な技能を収集する事により現世界の征服を確実なものにできるのだ。


 立場上、多くの人間を仕切る事に慣れており、組織を形成する大半であるしたっぱ構成員の心情をよく理解する君は異世界進出への足掛かりを形成するこの任を担うに相応しい人材である。これは総統閣下が直に与えた任である。大変名誉な事である。


 なお、異世界へ転移する事が出来る人数は今の段階では二名だけだが、君の他に戦闘用の怪人を送るので戦闘面の心配は無用だ。

 最後に君の役職はこれより『異世界支部長』となる」


 長ったらしい上司の話を要するに、「これから危ない橋を渡る予定があるから、お前先に渡って確かめてこい」という事である。叩いても壊れそうにない橋ならば後々に大勢で渡り、壊れて崩れてしまう様なら見なかった事にする。そういう魂胆なのだ。


 半ば捨て駒扱いだが、その時の私は『異世界支部長』という響きに大いに感激していた。なんせこれは大出世である。

 したっぱ教育係と言っても所詮は平社員にちょろちょろっと毛が一本か二本生えた程度の役職だ。それが支部長ともなれば、平社員に毛がもっさり生えてマウンテンゴリラもかくやといった有様である。


 なので私は大変浮かれていた。早春を迎えた大学一回生ぐらいには浮かれに浮かれ、母親に昇進の事を自慢して大手広告代理店に勤めているというしょうもない見栄が嘘だった事をバラしてしまう程だ。だがそれも気にしないほどに、私の気持ちはふはふはの綿のように軽やかだった。

 そしてそのまま春一番に攫われて、異世界にまで飛ばされてしまう訳だ。おまけに異世界には春一番が吹かないし、そもそも私の心がかちんこちんの鉛に変わっていて飛べに飛べなくなってしまう始末。


 目の前に吊るされた人参を追いかけて走る間抜けなロバの様に、まんまとやる気満々になってしまったのだが、何も悪いのは私だけではない。


 自らが欲にまみれた醜い阿呆であった事を今更否定しまい。しかし、欲に眩んで契約書をまともに読んでいなかった私以上に、一緒にやってきた怪人の方に問題があったのだ。


 その怪人は女の子の様な見た目をしていた。てか女の子だった。名は星野ミチ、歳は十七歳、濃い紺色の制服に身を包んだ女子高生である。


 私がプロジェクトに同行する怪人として彼女と出会った時は、『異世界征服プロジェクト』も含めて出来の悪いジョークだと思ってしまった。少女は可愛らしい見た目と反して、『破壊兵器』という仰々しい肩書きを持っていたからだ。


 彼女は人工的に生み出された所謂人造人間と呼ばれる類の怪人だ。元々は高校生で正義の味方でもある赤羽アギトという少年の弱点を探るスパイとして、同じ高校に通わせ関係を持たせる作戦を遂行する為に作られた。その際、バレない様に自然さを追求し緻密な性格を与えたところ、一周回って大雑把で適当な性格になってしまったらしい。


 それでも少しは使えるだろうと試しに高校に通わせたところ、一ヶ月もしないうちに自らを悪の秘密結社で作られた怪人であると暴露して回収騒ぎとなる。一度赤羽アギトがそんな彼女を救うべく基地まで乗り込んできたが、本人が「勉強が嫌いなので学校には戻りません」と宣言した為、誰一人として怪我人が出ずに騒動は収まった。


 その後、彼女は仕事もなくなり基地内で悠々自適に暇を持て余していた。


 そんな彼女が『破壊兵器』などというおどろおどろしい称号を手に入れたのは、プロジェクトに参加する事になった少し前のことだ。仕事がなくなり暇そうにしていた彼女を見かねて、怪人開発部のDr.メグロ氏が彼女をとっても強く改造してあげたらしい。ついでに『破壊兵器』という肩書きもあげたらしい。それでもやっぱり暇そうだったらしい。


 平社員の隊長と適当な破壊兵器。関わる二名を見れば、あざとい読者諸賢ならばこのプロジェクトの顛末が、ハッピーなものにならなそうな事は想像つくだろう。「どうしてお前はこんな惨状なのに辞退しなかったのか」そう仰るのも無理はない。だが忘れてもらっては困る。馬鹿大学生すら比肩にならない程に、当時の私は浮かれていたのだ。

 その時の私は「こんな可愛い子と仕事できるなんてラッキー」程度に思っていた。ラッキーちゃうわ、殺すぞ。


 ミチもミチでやる気があるのかないのか微妙に判断つかないのほほんとした態度で、ぬらりくらり可愛らしさを振りまいていた。それがむやみに可愛らしかったので、私は更に浮かれてしまった。

 十歳も歳下の少女相手に鼻の下伸ばして、みっともない姿を晒していたのは私だけではなく、私よりも更に歳上の幹部たちも、ミチが放つ得も言われぬむやみな可愛さに骨抜きにされていた。


 片っ端から心身漲るやる気を搾取するミチだが、真に恐ろしいのは本人も端から骨抜きになっている所である。締める為の手綱がどこにも存在せず、やる気なく暴走する荒馬を止める方法は我らにはなかった。そもそもやる気がなかった。


 ありとあらゆる骨を容赦なく抜かれたまくったプロジェクトは、まるでナメクジがぬるぬる這うような速度で進行していく。極めて体たらくだが不思議と和気藹々としていたので、進行に遅れはあったものの作戦自体は滞りなく行われる事になった。



 ◇



 世界転移装置の欠点は三つある。


 一つは移動させられるものの量が少ない事。

 装置の大きさは縦180センチ程度、幅が90センチ強、大人の男がやっと入れる程度の大きさの円柱状の装置である。この中に入るだけしか異世界には転移させられない。


 二つ目の問題は転移時、転移装置ごと異世界に行ってしまう事である。転移装置はそれ単体で世界転移を行うことが出来るが、操作しないといけないので往復させる事を考えると最初に人間を転移させなければいけない。


 最後の問題は、エネルギーである。世界転移装置は起動に莫大なエネルギーを要するのだ。現実世界なら基地の潤沢な電源から供給すればいいのだが、異世界となるとそうはいかない。


 そこで問題解決の為にも同伴する怪人はミチになったのだ。身長が160センチ程度のミチであれば装置に余裕を持って入れるし、破壊兵器である彼女の体内には凄まじい電源が搭載されているようで、それを利用して装置を異世界側でも起動させられる。なんとも今回のプロジェクトにうってつけではないか。


 往復が可能なら時間はかかるだろうが、もっと異世界に人員を送るべきだろう。とは、浮かれていた私でも思いついたが、皆が盛り上がってる所に水を差す様な発言をできないのは、浮かれていようが落ち込んでいようが変わりようがない私の性分であった。


 それに装置さえあれば人を異世界に送り込むのは可能なので、このプロジェクトが軌道に乗りそうであれば人員の補充があるだろうし、コケて大事故になりそうならば帰ることだってできる訳だ。そういった保険が存在するところも事態がおおよそ手に負えない規模であるのにも関わらず私が楽観的でいられた理由である。


 穏やかな雰囲気に流されながら、私は言われるがまま巨大なボンベのような見た目の世界転移装置に身体を押し込んだ。

 最初に私とミチが異世界に転移する。その後ミチと空の転移装置を現実世界に戻して、再びミチと必要な道具類を詰め込んだ転移装置を異世界へ飛ばす。そしてそれが十分になるまで繰り返す。プロジェクトの進行は打ち合わせではそうなっていた。


 私は装置内で事前に穴が空くほど読んでいた異世界転移装置のマニュアルを何度も何度も読み返していた。ミチは破壊兵器らしく機械を壊すのは得意だが扱うのはてんで駄目らしいので、私が装置の操作や仕様についてしっかり把握していなければならなかった。スマートフォンぐらいならば仕様書を読まなくともフィーリングで扱えるが、異世界へ行けるようなスーパーマシンは流石にその限りではないだろう。


 そうこうしているうちに装置全体が震えだした。覚悟を決めようとけつの穴をグッと引き締めた途端に、より一層震えが強まった。けつの穴に込めた満腔の覚悟虚しく、私はあっさりと意識を飛ばした。



 ◇



 それがマニュアルにも書いてあった異世界転移に伴う強い衝撃であった事を理解していた。そうであっても気を失う程だとは思っていなかった為、私は些か焦った。


 外に出る為に装置の扉の開閉を行うスイッチを押す。何か空気でも抜ける様な音がどこからともなく聞こえてくる。これは現実世界でも装置の扉が開かれた時に聞いた音だった。

 だが、扉はうんともすんともいわない。代わりに何度かぷしゅーとはいった。


 まさかの故障かと思い、私は手にしていた皺くちゃのマニュアルを一から読み直した。どこかに緊急時の対応が載っているかと思ったからだ。そしてそれらしいものが見つからずに、思わず扉を蹴った。


「大丈夫ですか? 出られないんですか? 今出してあげます」


 立ったままの姿勢で、なんとか爪先を扉にぶつける程度しか出来なかったが、外に音は聞こえた様で、ミチが事態を察して助けに来てくれた。


 私は破壊音を立てながら目の前の扉が引き剥がされていくのに恐怖した。彼女が鋼鉄で出来た板を、まるでチーズでも裂くかのようにいとも容易く引き剥がしている事に怖がっているのではない。装置が破壊されている事に、この上ない戦慄を感じているのだ。


「ハイ、どうぞ」


 彼女はどこか紳士的にそう言った。私は半ば放心状態だったが、取り敢えず装置から出ることにした。


 辺りは広大な草原だった。やけに空が高く、雲は少ない。遮るものがないので、少しだけ肌寒い風が草を薙ぎ、私の髪を乱した。視界の向こうにミニチュアみたいな森が広がっているのが、酷く現実味に欠く。

 振り向くと後方にも似たような有様が広がっていたが、鉄の棺桶とかした世界転移装置が二つ転がっていたのが特徴的だった。


 私は再び気絶した。目覚めた時にはもう夕暮れ時だった。

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