第32話 いつかの記憶



「どうして、どうしてなんだっ」


 これは誰の叫びだろう。

 絶望した男が叫んでいる。


「あんなに愛してたのに。ずっとずっと」


 机に何度も拳を叩きつけているせいで、血がにじんでいた。

 そんなに叩いたら痛い。俺は止めてほしくて手を伸ばした。

 その手は、何故か小さい。

 必死に手を伸ばすが届かない。


「それなのに、どうして裏切ったんだ!」


 机を叩いているのとは反対の手には、何か紙が握られていた。

 原型が留めないぐらいにぐしゃぐしゃになっていて、それが怒りの原因だと察せられる。

 あの紙に何が書かれているのか。

 俺は知りたかった。


 だから覗いていた扉の隙間を、さらに開く。

 苦悩している男の顔が見えた。

 若い男性。よく知っている顔だ。


 怒っているけど、同時に悲しい顔をしている。

 泣かないでほしい。

 そう思って、俺は慰めようとした。

 その人が大好きだから。

 いつも怒られたり、無視されたりしたけど、笑っていてほしかった。


「……おと」


 呼ぼうとした。その名を。

 しかし口にする前に、怒りの声で遮られた。


「あれはやっぱりいらない存在だった! 頼まれていなければ、あんなのを見るのも嫌だ! どうして、どうしてこんなことに! あれが死ねば良かったのに!」


 あれとは、俺のことだ。

 名指しされたわけじゃないのに分かってしまった。


 慰めるなんて馬鹿みたいだ。

 死を望まれるぐらい、俺は嫌われているのに。


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