第7話

 喜びよりも、気まずさよりも、とにかく驚きが僕の心を支配した。


「えっ……あ、れ?」

 まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔になっていただろう。


 美咲は「偶然だね」と自嘲するみたいに軽く笑った。


 え、偶然? まさか。

 こんなこと、ある? 


 だって、本当にただたまたま、昼前にラーメン屋にきただけだ。

 なのに美咲も同じタイミングで同じラーメン屋に1人で来るなんてそんな奇跡みたいな話、あるわけがない。


 そんなことを考えて固まっている僕に美咲は言った。 

「まぁとにかく入ろうよ。陸もここのラーメン食べに来たんでしょ?」


 僕は頷きかけてから「……え、でもいいの?」と思わず言ってしまった。

 だって、この前フラれたばっかりだし、今の彼氏がいるだろうし。


 ところが美咲は不思議そうに「何が?」と尋ね返してくる。

 

「付き合ってた元カレとよりを戻したんじゃなかったの?」

「別に戻してないよ」


 さらっと言ってのけた美咲は、僕からそっと視線を外してラーメン屋の方を見た。


「え?」


「向こうから『よりを戻したいって連絡がきた』とは言ったけど『よりを戻す』とは一言も言ってないよ。別に」


 な……なんじゃそりゃ。


 いや、でも、そうか、そうだったのかぁ。と、頬が緩みそうになった途端。


「でも陸には『別れよう』とは言ったけどね」

 と急にその事実を叩きつけられた。


「で、どうする? 入る? まぁ私は1人でも入るけど」

「え、あ……いや、行きます、行きましょう。ぜひご一緒させていただきたいです」


 店内に入ると「らっしゃっせー」と店長の声が聞こえてきた。僕らはいつものように券売機で食券を買った。

 キッチンの奥にもうもうと湯気をあげている寸胴鍋があり、美咲はそれが目の前に見えるカウンター席に座った。

 

 僕もその隣の席につく。

 この美咲の隣に座る感覚がひどく懐かしくて、不意に少し泣きそうになった。


 注文を終え、なにから話したものか迷ってから僕は「実は昨夜、このラーメン屋の夢を見たんだ」と、さっきの夢の話をした。

 そしてそこから自分なりにずっと考えていたことを美咲に話した。


 つまりは美咲は僕の好みに合わせていろいろ我慢してくれてたんじゃないかということや、僕が美咲に興味のないような反応をし続けていたのが嫌だったんじゃないかという推測だ。


 懺悔のような話だったけど、美咲は真剣な顔で最後まで聞いてくれた。

「うーん、なるほどね。それは半分ぐらい合ってるかも」

「半分?」


「うん。私たちって本当に最初から好きなものとか興味があるものが一緒だったのも多いよ。それにさ、近くにいる人が好きなものがあれば、自分もそれに興味を持って好きになることもあるでしょ? だから無理に合わせてたわけじゃないよ」


 美咲は寸胴鍋から上がる湯気を眺める。それは窓から入ってくる光を受けていやにすがすがしく輝いていた。


 僕が残りの半分のことについて尋ねようと口を開きかけようとしたとき、店員さんがラーメンの乗ったお盆を持ってやってきて、僕と美咲の前に置いた。


 店員が去った後、唐突に美咲は僕にぎっしり詰まった割り箸立てから僕の分を取って渡してきた。

「ねぇ陸、これ割ってみてよ」


「え?」

「占いだよ。綺麗に割れたらいいことがあるんだよ」


 手渡されたその割り箸を、僕は怖くてすぐに割ることはできなかった。

 もし仮に今、美咲は僕と別れるかどうかで迷っているとして、この割り箸占いでそれが決定されるとしたら。


「もし、きれいに割れなかったら?」

「凶だね」


「き、凶……ってどういうこと?」

 美咲は何も答えなかった。

 しかしその目は「早く割って」と言っていた。


 僕の手は震えていた。

 麺が伸びるのもかまわずに恐る恐る割り箸の端っこを持って可能な限り慎重に広げていく。小さく、みしみしと木が軋む。


「固い? ちょっと手伝ってあげるね。はい」

 美咲は僕の両手を持って上下に開いた。


 めきっ、と鉛筆が折れたような音がした。


 不格好に分かれた割り箸には大きくささくれていて、上下の箸はそのささくれがケーブルのようになって繋がったままになってしまっている。


「な……ぁ……」


 僕は絶望した。

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