第3話

 いつの間にか年末が近づいてきていた。

 バイト先のサッカー台に貼ってあるチラシからクリスマスケーキが消え、代わりにおせちに使う伊達巻やかまぼこが載るようになった。


 その頃になってもまだ、僕はNPCのモンスターみたいに決められたシフトに沿ってバイト先へ向かい、ゾンビのようにレジを打っていた。


「ありがとうございましたー、またお越しくださいませー」

 頭の中のボタン1個で出てくるセリフを自動的に口から再生する。


 もし仮に客の代わりにツキノワグマがレジに並んでいようが、僕は同じことをしていたに違いなかった。


 その日、閉店後すぐにレジ部門の山口チーフがやってきてエプロン姿の僕の背中をバンッと叩いた。

「しょぼくれてんなー! おいー! 大丈夫かー」

 不意に背中を叩かれたせいでむせこんでしまった。


 チーフの腕にはレジ係にはいらないだろってツッコみたくなるぐらい鍛え上げられた筋肉がついていて、季節外れの七分袖の袖口から見えている。

 

「チーフ、そんなに叩いちゃだめじゃないですか」

 隣のレジのしめ作業をしていた女の先輩がチーフをたしなめる。

 この2人、年齢的にはチーフのほうが上なのに、先輩の落ち着いた雰囲気のせいで姉と弟のようにも見える。


「え、いや。軽く叩いただけだけどなぁ」

「チーフの”軽く”は軽くないんですよ」


 チーフは不満そうな顔をしたけれど、何も言い返さなかった。


「でもこの重症っぷりは末並くんのことを心配しない方が難しいだろう。このままじゃあそのうちお客様のアンケートに『レジに辛気臭い男の子がいて困っています』って投稿がくるぞ」

「そりゃそうかもしれませんけど」


 そりゃそうかもしれないのか?


「末並くんは何をそんなに落ち込んでるんだ? ……いや、やっぱり言わなくてもわかる、どうせ美咲ちゃんのことだろ」

「……」


 図星をつかれた僕はもう何も言えなかった。

 予想されてたってことは、やっぱり僕はふられても仕方ない接し方をしていたのかな。


「やっぱりか。さてはイケメンに奪われでもしたのか?」

「チーフ!」

 珍しく先輩が声を上げて注意する。

 

「なんだよ」

「あまりにも、デリカシーってものがないですよ」


「そんなものは母ちゃんの腹の中に置いてきた!」

「じゃあ今すぐ取ってきてください」

「……そりゃ無理だろ、さすがに」


 そんなやりとりは僕の耳には入っていなかった。

 僕の心のうちに、なんとかしまい込もうとしていた美咲の記憶が、外から引っ張り出されたことがきっかけで、自分では制御できないほど美咲への気持ちとともに溢れ出てきてしまっていた。


 僕はただ、そのどうしようもない感情に振り回されないように下を向いて足を踏ん張っていることしかできなかった。


 しばらくしてチーフが「陸くんさ、今日は俺が店の戸締まり当番なんだけどさ、ちょっとバックヤードでゆっくり話でもしようや、な?」と言って先輩に向けてヘタクソなウィンクをした。


「そうそう、話すだけでも楽になったりすることもあるよ」

 先輩もそれに合わせてくる。でも僕はどうしても今は人と話したいような気分じゃなかった。


「いや、僕は今日は……」

 帰ります、と言う前にチーフが「ちょっと待ってろ!」と走ってバックヤードへ行き、パックに入ったクリスマスケーキを持って帰ってきて僕に差し出した。

「ほら、これでもつつきながらさ」


「どうしたんですかそれ?」

 先輩が尋ねるとチーフは「廃棄用の冷蔵庫からパクってきた」と小声でいった。


 先輩は何も言わず、ただ道端の犬のフンを見るような目でチーフを見た。

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