こちら、事故物件ではなくなりました
島丘
こちら、事故物件ではなくなりました
午前十一時。昨晩、徹夜で作業したためぐっすり眠っていた俺は、扉が開く音で目を覚ました。
「こちらがお勧めの物件です!」
「わぁ、いいですね」
黒スーツの男に続いて、大学生くらいの若い女が入ってくる。
状況が掴めずにいる俺に構わず、部屋の中を案内し始めた。
「こちらがキッチンです! 包丁が出しっぱなしですね」
「こちらがお風呂場です! 匂いがキツイので換気が必要ですね」
「こちらがリビングです! とても汚いですね」
なに、なになになに。なに。
意味がわからない。人が住んでるところに勝手に入ってきて勝手に内見を始めている。
女も女で毎度お決まりのように「わぁ、いいですね」と答えていて気味が悪かった。
「そしてこちらが林ゴローです! 人を殺して解体した、恐ろしい殺人犯ですね」
「わぁ、いいですね」
ベッドから身を起こして固まる俺を指差して、黒スーツは言う。
「そしてこちらが、林ゴローが殺した元恋人のハルコです」
「わぁ、いいですね」
方向転換した人差し指の先には、部屋の隅に置いていた黒いビニール袋があった。
「如何でしょう? 気に入っていただけましたか」
「そうですね。まだ一つ目だけど、ここに決めました。駅からも近いし、家賃だって手頃だもの」
「ありがとうございます! それでは早速取りかかりましょう」
黒スーツはそう言うと、分厚そうな手袋を嵌めて、こちらに近付いてきた。
「は? なに、なになに。なんだよお前ら、ふざけんな」
これは夢だ。そのはずだ。なのに男の足音はどんどん大きくなっていて、掴まれた手首が痛くて仕方ない。骨が折れそうだ。
嫌だ、助けてほしい。死にたくない!
「あなたに殺されたハルコさんも、そう言っていたでしょう」
俺は昨晩のことを思い出していた。包丁を持った俺から逃げ惑い、「死にたくない!」と叫んでいたハルコのことを。
「ご安心ください。ここを事故物件にはさせません。綺麗さっぱり掃除します」
その言葉は、後ろの若い女に言っているようだった。
女はまた狂ったように「わぁ、いいですね」と繰り返す。
「この男がいなくなれば、ここは事故物件にはなりません」
「ふざけんな、ふざけんなよ! ふざけ、」
「お邪魔しま〜す。わっ、すごい綺麗な部屋だね」
「ふふ、ありがとうございます。さ、寛いでください」
後輩のミナが一人暮らしを始めたということで、私は遊びに来ていた。
初めてのお客さんだと言われて、少し嬉しくなる。お土産に持ってきたのは、地元で美味しいと評判のモンブランだ。
ミナは小さな口であっという間に平らげた。口元に付いたクリームを指摘すると、恥ずかしそうにティッシュで拭う。
「よく見つかったね、こんないいところ」
「タイミングがよかったんです。ちょうど前の住人の方が出て行ってくれて」
「へぇ」
部屋の中を見回す。うん、とてもいい部屋だ。
床に敷かれた白いカーペット、壁にたくさん飾られたポストカード。なかなかにセンスがいい。
「今度泊まらせてよ」
「もちろんいいんですが、お風呂だけはちょっと難しくて」
「壊れてるの?」
「いえ、浴槽が汚れていて。匂いはだいぶマシになったんですが」
お客様にはとても使わせられないと、遠慮がちに言う。
ちょっとくらい汚れていても気にしないけど、匂いというのが気になった。カビ臭いのだろうか。尋ねると、微笑を返されただけだった。
お茶を淹れてきますと、ミナが立ち上がる。きっとセンスのいいティーカップに、これまたセンスのいいお紅茶でも注いでくれるのだろう。
ミナを待ちながら部屋の中をきょろきょろしていると、カーペットからはみ出したフローリングに、黒い汚れが付いてるのが目に入った。
「お砂糖はどうしますか?」
「あー、欲しいかも」
気付いていないなら、わざわざ教えて嫌な気持ちにさせる必要もないだろう。私は汚れから目を逸らした。
「モンブラン、美味しかった?」
「はい、とても」
「よかった。この店さ、チーズケーキも美味しいんだよね。今度持ってくるよ」
二人分のティーカップをトレイに乗せて戻ってきたミナが、嬉しそうに目を細めた。
「わぁ、いいですね」
こちら、事故物件ではなくなりました 島丘 @AmAiKarAi
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