茅乃ノ家

 ゲームセンターに入って、休憩という名の娯楽に勤しんでから既に二時間が経とうとしていた。

 メダルゲーム、音楽ゲーム、クレーンゲームにプリクラ。

 流れる時間を忘れてしまうほどに夢中でゲームをしていたのだろう。どのゲームも茅乃は格段に上手で、何度も苦汁を飲まされたが楽しいひと時だった。


「ほんとに良かったのか? 折角、取ったのに勿体ない」


 俺たちは一通りのゲームをやり尽くし、ゲームセンターを後にする。その際に茅乃はクレーンゲームで大量に獲得した縫いぐるみやタオルを、荷物になると思ったのか店へ返却した。ただ一つを除いて——。


「いいの、別に欲しいわけじゃなかったし。これだけで十分だよ。アヤセくんが取ってくれたわけだし」

「そうかよ」


 茅乃の手から下がっているもの——それは、ゲームセンター入り口で最初に取り損ねたバイオリンのキーホルダーだった。

 茅乃の隙を見て落そうとしたのだが、これがなかなか難しい。結局、アドバイスをもらいながら、なんとか落とすことができたものだ。


 茅乃は手にした人形を見せびらかすようにそれを虚空に掲げると、ギターの橙とも茶色ともいえない中間色が陽の光で鮮やかに染まる。

 外はすでに日が暮れ始めていた。

 多少の喪失感を抱えながら、万世橋の真ん中に立って沈む夕日を眺めている。

 陽光による明滅を繰り返しながら水面に映った街の風景は鮮明で、二人をさらなる孤独に包んだ。


「それにしても茅乃、ゲーム上手すぎ。一体どれだけやり込めばあんなにスコア出せるんだ?」

「いやいや、アヤセくんが下手すぎなんだよ?」

「ぬっ」


 記憶喪失ということもあったが、それだけじゃ説明がつかないほどにミライのゲーミングテクは巧妙だった。果たしてどれだけのお金と時間を費やせば、あのレベルに達するのだろうか。俺は呆れ気味に小首をかしげた。


「ああ、そうだ」


 俺は思い出したように腕に下げていたレジ袋からレモンティーを取り出すと茅乃に手渡す。


「ほら、さっき買ったやつだ」

「あっ! ありがと、アヤセくん」

「やっぱコンビニとかも無料で使えるんだな」

「そうだよ、すごいでしょ?」

「なんで誇らしげなんだ」


 VIP待遇。茅乃の言葉に偽りはなく、一円たりとも支払わずに飲み物を購入できた。ちなみに、ゲームに負けた罰ゲームとして、レジ袋は俺が持たされている。

 俺のはピーチティーだ。


「初めてなんだよ、多分。ああやってゲームをするのは」

「あっ、そっかそっか。アヤセくんって、記憶ないもんね」


 あはは、と他人事のように笑って、茅乃は耳に髪をかける。

 茅乃のそんな何気ない振る舞い。吹き付ける風にさらわれる髪がばっと揺らいで、そんな立ち姿に目を奪われた。

 このままずっとここで、夕陽を眺めていたい。俺は湧き上がる独りよがりな感情を噛み殺して、そろそろ現実的な話を切り出す。


「それで、これからどうする?」

「これから、ね」


 茅乃は少しだけ嫌そうな顔をしたが、すぐに気持ちを切り替えたようだ。


「俺たちが生き延びていける環境はあるっぽいけど、正直なところ、どうすればいいか——わりと、お手上げかもしれない」

「それは元の世界に帰るために、ってことだよね?」


 茅乃の問いかけに首肯する。

 第一に俺たちがこの世界になぜ居るのか、だ。

 俺の予想では、かなりオカルトっぽい話だが、誰かに呼ばれた、なんてことも考えられた。尤も、ただの妄想だ。しかし、そんな使命感に似た何かを感じずにはいられない。

 こうやって『何かに意味を見出そうとする』のは人間の持つ厄介なとこなのだろう。だが、『何の意味も、意義もなく』俺と茅乃がこうして、ここにいるとすれば、それこそ完全にお手上げだ。


「んー、じゃあさ。とりあえず、私の家に来るのはどう?」

「な——っ」


 唐突な茅乃の発言にビクッと身体が反応を示す。持っていたピーチティーをぼろんと落として、茅乃の表情を確認する。至って真面目な様子だ。


「え?」

「だから、私の家で考えようってこと。君も野宿は嫌でしょ?」

「……——ああ、そういうことね」


 変な期待を抱いた俺を現実に引き戻すには十分な一言だった。

 情けない気持ちを堪えながら、空を仰ぐと東の方は闇に浸食されつつあった。あと数時間もすれば、日も暮れるだろう。

 ぽかんとした表情の俺に追撃を加えるように茅乃は訊ねる。


「ねぇ、アヤセくん——今さ、ドキってした・・・・・・?」

「いや、別に。決して」


 糠喜ぬかよろこびさせられたことを悟られぬように俺は無愛想に返事をする。


「そう? ま、いっか。それでどうするの?」

「まぁ、他に行くあてもないからな」


 俺はそれを承諾すると茅乃は「じゃあ、決まりっ!!」と嬉しそうに笑う。


「ほら、置いてくよ?」

「あ、おう」


 俺は歩き始めた茅乃の背を追った。


   ꕤ


 茅乃の家は秋葉原からさらに南方、千代田区周辺にあるようで、そこまでは電車を利用して移動した。

 茅乃がこの世界に来たときに最初に向かったのも家だったらしい。記憶さえあれば、俺だって真っ先に家に向かうのは自分の家か警察だろうな。


 駅からさらにしばらく歩いたところで、茅乃は足を静止させる。視線の先には立派な一軒家がどっしりと構えてあった。新築なのか小綺麗な見た目をしていて、驚き黙りこくる。かなりの圧迫感だ。


「お、お邪魔します」

「そんなそんな。遠慮なんかせずに、入っちゃって大丈夫だよ」


 茅乃は鍵をポケットから取り出すと、重い扉をあけて軽い口調で告げた。

 妙な緊張を全身に感じながら恐る恐る階段を上がり、家の玄関へと足を踏み入れる。玄関先から部屋に至るまで芳香剤のいい香りがした。


「ただいま」


 そう、茅乃は呟いていた。どこか澄ました横顔に見入ってしまう。

 家は隅々まで綺麗だった。きっと丁寧な性格なのあろう。個別の部屋は二階にあるようで、しわのないベットに茅乃は腰を下ろすと藪から棒に言った。


「アヤセくんはここを使ってよ」

「いいのか?」

「うん、この部屋はもともと客人用だからね」


 そんなものがあるのか、とどこか感心する。

 来客用の部屋があるということは、それだけ裕福なのだろう。インテリアや装飾品からも経済的余裕は感じられた。

 茅乃は立ち上がると「んーっ」とダイナミックな背伸びをした。


「それじゃあ、汗かいちゃったし、そろそろお風呂に入ろっか。ね? アヤセくん」

「なんで同意を求めるんだよ」


 何食わぬ顔でこちらに同調を求めてくる、茅乃。わざわざ俺の反応を窺うように、視線を向けているのは敢えてだろう。ニヤリと笑みを浮かべるその様は小悪魔だ。

 だが、俺も二度も同じ手には引っかかったりしない。俺は少しだけ身構えながら、これは罠だと自身に言い聞かせた。ついさっきも、これと似たような手口で糠喜びをしたので、今度は冷静だ。

 だから、冷静に、訊くことにした。


「それは茅乃と一緒に入るって、意味でいいのか?」


 訊いてから後悔した。何を馬鹿なことを、と思った。だけど、茅乃はそんな手がそう易々と通用する相手では無い。


「アヤセくんはどっちがいい?」

「え?」


 絶句、とはこういった場面で使うのだろう。戸惑いに思考がフリーズしていると、茅乃の方からその沈黙を破る。


「へへ、冗談だよ。今日は私から入っちゃうね」


 そう言い残して茅乃は部屋を去り、姿を消した。階段を降りていく音が遠ざっていくのが聞こえたところで、まんまとしてやられたと気付かされる。


「天然かと思ったら、とんだ策略家なのかもな」


 一人になったところで、手持ち無沙汰に一瞥してため息を溢した。


 緊張したせいもあり、妙な脱力感があった。布団に腰を掛けるとその衝撃が反撥して伝わってくる。凄まじい衝撃吸収性だ。思わず表情も綻んでしまう。


「——っと、そういえば」


 俺は途端に静かになった部屋で独り言を吐きながら、ポケットからスマホを取り出した。茅乃にはまだ話していないが、制服のポケットから発掘したものだ。

 スマホには顔認証や指紋認証、パスワード認証があり、幸いにも指紋で開くことができたので、俺は早速中身を確認する事にした。


 何か記憶の手掛かりになるものがあるかもしれない、淡い期待と共にホーム画面から画像のフォルダを開く。スマホには数百枚以上にもなる写真の数々があり、中には当然だが高校の友達と思われる写真もあった。


 液晶をスライドして過去に遡っていく中で、取り分け頻繁に現れる顔があった。背格好は俺よりひと回り大きく、やけに活発そうな存在感を放つ肉体派の男児といったところか。夏服の袖から窺える前腕の筋肉は木の幹のように逞しく、男前の極地といえる。

 記憶が失われているせいもあり全く実感が湧かないが、俺とそいつは相当、仲が良かったのだろう。


「あーもう、くっそ。名前すら思い出せねぇのになにが友達だ」


 スマホを枕元に放り出して俺は嘆くように言い放った。この押し寄せる感情に名前があるとしたら、喪失感なのだろうな、なんてことを考えていた。


 二十分ほどだろうか。

 茅乃がお風呂に行っている時間にLIMEと呼ばれるチャットアプリで、試しに仲の良さそうな数人に「なぁ」だの「おい」だのとメッセージを送ってみたが、ネット環境が不安定で、送れた様子はない。


 Googleで調べ物をしようとしても、「ネットワーク接続がありません」と表示されるだけだ。他にも試して分かったことだが、カメラなどのスマホ本来の機能は保持されているが、ネットなどに接続するアプリは使用できないらしい。


「アヤセくん、お風呂上がったよぉ。入るよね?」

「ああ、ありがと」


 俺はおよその制限を把握したところで、風呂上がりの茅乃と交代する形で浴室に入った。長かったのは、実際そこからで、残り湯とかいう煩悩との戦いを終えて、やっとのことでお湯に浸かった。

 声帯からは「はぅ」などという情けない声がもれる。

 湯船の端の方へと移動して、壁際に寄りかかると浴室の天井を見上げた。


「たった二人だけの世界、ね」


 橋上でのこと、ゲームセンターでのこと、珈琲店でのこと、駅でのこと。これまでの記憶を思い出せる順番で思い返して、状況を整理してみる。

 まず前提にあるのは、ここが元の世界ではないということだ。

 このことを裏付ける根拠として挙げられるのは、ニヒルだろう。

 他にも、俺たち以外の人が存在しないということも気になる。また、周囲には透明な壁があり、俺らはそれに囚われている。


「俺たちが目指すべきが『元の世界に戻ること』であるなら、何をすれば元の世界に戻れるのかを知る必要があるのは間違いないな」


 一言でまとめたけど、この世界にいる人間のうち片方は記憶喪失という始末。

 列挙すればするほど、この救いようのない状況に嫌気が差すようだ。隔靴掻痒かっかそうよう。痒いところに手が届かないどこか、掻きむしる手すらまともにない。

 いつかこの世界のことが明かされる日が来るのだろうか。俺にそれができるのか。深く考えてみる。


「あー。だめだ、いくら先のことを考えても埒が明かないよな」


 沈めていた手を顔に当てると、ちゃぷりと水音が浴槽に響いた。

 気負い過ぎは悪い傾向だ。まずは明日。もう一度だけ秋葉原に行ってみよう。


 ——如月駅——


 あそこには何かがあるんじゃないか。

 漠然としていて、だけどやっぱり確証があるような予感。それに、付随して湧き上がるやんわりとした不安感を消し去るため、勢いよく頭を湯船に沈めた。

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