観察者を捨てて
コンピューターゲームの歴史は長く百年以上にもわたって、プログラマーによる試行錯誤が行われてきた。
身近にあるゲームもそれらの賜物と言ってもいいだろう。
例にもれず、ゲームセンター内は、当然だがあらゆる機器のゲームが所狭しと置かれていた。そこには、縦に広がる限られた敷地内に余す事なくゲーム機を配置する工夫が幾つも見られる。
「やっぱいるよな」
店内にはゲームに興じるニヒルや店員のようなニヒルの姿もあり、やはり居心地の悪さは拭えない。
アニメキャラクターの描かれたポスターやらが貼られた外壁を横目に階段を上ると、二階にも同じようにゲーム機が姿を現した。
冷房の効いた室内は快適で体力を回復させるのに適した環境だ。今はUFOキャッチャーで遊んでいる最中だが、そのテクニックには目を見張るものがある。
「それにしても、上手いもんだな」
ゲーム機からの耳を擘くような甲高い音で自然と声量も上がっていた。
「こういうのはコツがあるんだけどね、それが分かれば、ちょちょいのちょいって感じでできるよ」
「そういうものなのか」
茅乃のテクニックを静観していたがその腕前はプロ並みだ。ちょちょいのちょいというノウハウはまるで理解できないが、先ほどから、いくつもの景品を
茅乃はその度に袋に詰めて持ち運んでいるが、俺の両手はすでに塞がっていた。これでは経営側も頭を抱えるのではないかという余計な配慮まで浮かぶ。
「あっ、次はアレをやろうよ!」
茅乃はくるりと身体の向きを回転させ、あるものを指差した。
青と赤の矢印がプリントされた特別な床。その前方に配置されたゲーム機本体は、目線ほどの高さにディスプレイ画面が設置されていた。
これまでのゲーム機とは一線を画し、異様な存在感を放っている。
「それは?」
「んー、音ゲーっていうのかな? こうやって足でパネルを操作してダンスするゲームなんだけどね、これがけっこう難しいんだよね」
「へぇ、そんなものまであるのか」
茅乃はその台の上に乗っかると足を捌いて、軽いステップを踏んだ。
身体を使ってやるゲームのようだ。足が絡れて転んでしまわないかが心配になるが茅乃のことだし心配はないだろう。UFOキャッチャーのようにそつなくこなすはずだ。手慣れた感じでディスプレイを操作する。
茅乃は途中で画面から目線を外すと、こちらに振り返った。
「このゲームって、二人でプレイまで一緒にできるから、アヤセくんもどう?」
「俺、も——?」
小首を傾げてこちらを窺う茅乃にどうにも口籠ってしまった。
「どうかな?」と、こちらを見つめる茅乃に返す言葉を考える。
「いや、いいかな。見てるだけで十分楽しいから」
ゲーム自体に気乗りしないわけではなく、見ているだけでも充分に楽しめているため、下手に参加して茅乃の邪魔にならない方がいいと思った。
「えぇ、そう? まぁ、アヤセくんがそう言うならいいんだけどさっ」
茅乃は残念そうに唇を尖らせたが、気を取り直して画面に向き直った。少しだけ申し訳ないことをしたなと感じつつも、これでよかったと思う。
そう、これで。
『お前は、本当にそう思っているのか?』
だが直後、予期せぬ声と脳の中から発せられるような強烈な耳鳴りに襲われて握っていた紙袋を落としてしまう。
茅乃が気づかなかったのは、周囲からの爆音のおかげか。
しかし、なんだったのか。今のは——。
治りはしたものの気分が優れているとは言い難い状態だ。幸いにも茅乃はゲームを始める前だったので一言、声を掛けることにした。
「悪い、茅乃。ちょっとだけ、トイレ行っていいか?」
「え、うん。いいよ」
俺は茅乃にそう言い残すと、ずきずきと痛む頭を抑えながら洗面所に向かう。
トイレの中は壁を一枚挟んでいるおかげでかなり静かだった。無音とはいかずとも世界がこんなにも静かだったのかと痛感させられる。
さっきまでの頭痛もどこかへと消えていた。
「なんだったんだ、さっきの」
シャーと流れる水の音を聞きながら、鏡に映る自分の姿を見つめる。
——誰かの声と急な耳鳴り。
後者の方はゲームセンターの大きな音で鼓膜がおかしくなったのだろう。だがそうだとして、誰かの声をどう説明すればいいのだろうか。
取り敢えず今は、あまり深く考えても仕方がないよな。
俺は記憶がないことを理由にこの件を一度忘れ、茅乃の元へと戻ることにした。濡れた手を拭く何かを探して、制服のズボンの中を弄ってみる。
ハンカチらしきものはなかったが、尻ポケ辺りで何か硬い物体に触れた。縦長の立体、薄いフォルム。
「これって」
俺は若干湿った手で取り出すとそれがスマートフォンである事に気づいた。中身をすぐに確認することもできたが、茅乃も待っていることだろう。
ポケットにもう一度しまうと、トイレを後にした。
「なんだ、あれ?」
洗面所をあとにして茅乃のところへ戻ると、多くのニヒルが取り囲んでいた。
「茅乃ッ」
悪い予感が脳裏をよぎり、咄嗟の判断で駆け寄るも、すぐにそれが誤解であることに気がついた。
「っ——」
ゲーム台だけを避けるようにぐるりと取り囲んで並ぶニヒル。中心にいたのは他でもない——茅乃だ。
ディスプレイに映し出されるステップに合わせて、茅乃は踊っていた。かろやかに、そして情緒的に。ニヒルが人と同じような生態を持つとするなら、これらが茅乃に見入るのも頷ける。華麗なステップだ。
ゲーム画面は茅乃の踊りに合わせて、色鮮やかに変化し続ける。
華やかな舞台のような茅乃の動きに、俺は息をする暇を忘れるほど見入っていた。
「はぁ、はぁ」
しばらくすると音楽が止まり、茅乃は頬に伝う汗を拭う。若干の息切れをしていたが、それでもその表情は明るかった。
振り返りこちらの視線に気づくと、茅乃は笑顔を見せながら手を伸ばす。
「ねぇ。やっぱり、アヤセくんもやろうよ。こういうゲームって、誰かと一緒にする方が何倍も楽しいしさ」
そんな言葉とともに差し伸べられた手——。
不思議だ、と。そう思った。
さっきまでは見ているだけで満足だと思っていた。だけど、今の俺は茅乃の手に自分のそれを重ねていて——茅乃の純粋な輝きに吸い寄せられるように、気づけば俺もステージ上の茅乃の隣に並んでいた。
胸が締め付けられるように熱く、激しく脈を打ち始める。
「うん、そう来ないとね」
「念のために言っておくけど、こっちは初心者だし易しい曲にしてくれよ」
「どうしよっかなぁ。私にとってはどの曲も簡単だし?」
茅乃はニマニマと、またしても小悪魔のような笑みを浮かべる。
誰かと一緒にゲームで遊ぶという、それだけのことが堪らなく嬉しいのか子供のように瞳を輝かせせながら、
「じゃあ、始めるよ」
茅乃の問いかけに静かに首肯する。二人の視線が交わって、すぐにゲーム画面へと逸れていく。流れ出したのは、乃木坂の曲だ。聴いたことがあるようなないような奇妙な感覚。
ドクンドクンッ、と。緊張のせいだろうか。
珈琲店のときよりも、さらに激しく心臓が動悸するのを感じていた。
もしかせずとも、茅乃の方もすごく高鳴っているのだろう。願望のような期待だけど、なぜだかそれだけは確信できて、
いつ以来だろうか、こんな気持ちになったのは——。
誰のかも分からない声が俺の脳裏によぎっていた。
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