肆頁目 最初の教え

 〜〜数日後・森の中〜〜



「……ねぇギド。これは何?」



 街を離れてからしばらく、

 ベリルとギドは森の中に潜伏していた。

 そして今現在、二人は森の中で発見した

 綺麗な池の前で休息を取っている所だった。



「何って、池です。水浴びをして汚れを落としますよ」


「水浴び……」



 明らかにキョトンとしながらも

 ベリルはギドに倣って水面に足を付けてみる。

 するとひんやりとした感触が鋭く肌を伝い、

 魔物の仔は小さな体を大きく揺らしてしまった。



「冷たい……お湯は出ないの?」


「いや池ですよ? 出る訳ないでしょ?」


「そうなの? 変なの……」


「変って、むしろ出ると思う方が――」



 そこまで言ってギドは口を閉ざす。

 何故ベリルがそんな事を言ったのか、

 やや遅まきながら理解したからだ。



(あぁそうか……彼はんだ)



 ベリルは産まれてからずっと、

 ほとんど屋内で隠されながら育ってきた。

 お湯を識っているところを見るに

 風呂についての知識はありそうだが、

 恐らく平均的な教育とは無縁だったのだろう。



(ならばまず私がするべき事は……)


「? どうしたの、ギド?」


「……フ、まずはちゃんと体を洗う事ですね」



 浮かんでいた構想を一旦仕舞って、

 ギドは池に半身を浸けたまま

 足だけを水面に垂らすベリルへと近付いていった。

 そして彼の両肩に優しく触れると――

 そのまま少年を雑に水の中へと叩き落とす。



「うば!? 何、ギド……!?」


「頭の先までちゃんと洗ってくださ〜い?」


「イヤだ! 翼濡れる! 飛べなくなっちゃう!」


「大変ですねー。よいしょー!」


「ミ゛ィ〜〜〜〜〜〜〜!!!!」



 荒れる猫のような絶叫が森の中で木霊した。



 〜〜〜〜



「冷たい、寒い……」


「そんなに冷水が嫌でしたか?」



 翼を湿らせ、ある意味濡れ鼠となった

 少年の頭をタオルで拭いながら、

 ギドは唇を尖らせたベリルに問い掛けた。

 同じ魔物であるというのに、

 自分とはかけ離れた感性をしているのだなと

 彼は興味を抱いていた。



「水を嫌がるのはやはり飛べなくなるからですか?

 それとも渇きにくくて不快、といった所ですか?」


「んーどっちも? ……でもお湯の方が好き」


「なるほど。では他属性への耐性はどうです?

 動き易い気候とか、他にも弱点となる要素とか?」


「んん……? 分かんない……

 というか何でそんなに質問してくるの?」



 急な質問攻めにベリルは不快感を示す。

 だがタオルを弾いて嫌な顔を見せる少年に向けて、

 ギドは謝るどころか逆に忠告のような教えを授ける。



「何事にも『情報』が必要だからです……」


「……ギド?」


「丁度良いですね――と行きましょう!」



 魔物の先達は明るくそう告げると

 いつの間にか手にしていた剣を抜く。

 そして近場の木々の一部を瞬く間に伐採すると

 切り株で出来た即席の教室を造り上げた。



(す、凄い……全く見えなかった……!)


「お! 流石ベリル君!

 もうとは修学意欲満点ですね!」


(!? いつの間にか……

 僕も切り株の上に移動させられてる!)


「では本日の授業を始めましょう。

 内容は『情報の重要性について』です!」



 少年が呆気にとられる間も無くギドの授業が始まった。



「まず一口に『情報は大事!』と言っても、

 中々それを実感する機会というのは少ないものです

 そこでまずは、一つイメージしてみましょうか」


「イメージ?」


「はい。ベリルは道端でいきなり、

 絶叫している大男と遭遇したらどう思いますか?」


「……怖い」


「ですね! 危ない人かと思って不安になりますよね!

 それは相手が喚く理由を我々が識らないから、

 もしかしたら襲われるのでは、等と思うからでしょう」


「あー」



 確かにそうかも、とベリルは幼いながらも納得した。

 そしてここまでの話を十分理解している賢い少年に

 ギドは満足気な笑みを浮かべつつ更に続ける。



「ベリルはその男と戦ったら勝てそうですか?」


「まだ分かんないけど……普通に負けもありそう……」


「ふむ。ではここに条件を一つ加えましょう」


「条件?」


「はいそうです。もしその男の足元に

 ――食べかけのアイスが落ちてたらどうですか?」


「あ」


「ね? 途端にでしょう?」



 追加された条件はあくまで状況の説明のみ。

 男の戦闘力とか、得意不得意の話は全く出ていない。

 なのにベリルはもう男に負ける気はしなかった。

 たった一つの『情報』が加わっただけで、

 それまで抱いていた人物像が一変した。



「一つ解像度が上がれば、敵は一つ弱くなる

 戦術的にも、そして何より精神的にもね?」


「……魔物は詳細不明の方が怖い、ってこと?」


「フッ、やはり君は聡いですね! そんな所です!

 そしてそれこそが――『情報の重要性』なのです」


「っ……!」



 ギドの授業は言い回しが少しばかり小難しかった。

 しかしそれ以上に納得感を与えてくれる授業内容は

 ベリルに対して中々の好感度を稼ぐ。

 初めての授業は抵抗無く少年の糧となり、

 人類への復讐を望むその小さな命に火を燈した。


 だが瞳の奥に炎を宿すベリルだったが、

 ギドはそんな彼の意欲を遮るように

 淡々と子供の嫌いなアレを告げる。



「では『宿題』です!

 一週間以内にこれから出す課題をクリアしてください!」



 その言葉でベリルの顔は氷のように硬直した。

 かつてモルガナが工房の仕事を持ち帰った際に

 よく宿題と表現して夜中遅くまで作業していたのだ。

 その背中を何度も見てきたベリルは

 人間って大変だなー、と他人事のように同情していた。

 それが今、我が事となって降り掛かってきた。



「ぅぅ……何をすれば?」


「ベリルの背中には立派な翼が生えていますよね?」


「あぁはい……僕の体で唯一魔物っぽい所ですね

 結構気に入ってて、僕の一番の自慢で――」


「その翼、消してください」


「……ん?」


「その自慢の翼。。消してください」


「えぇぇ!?」



 〜〜三日後〜〜


 情報は多く知られれば知られるほど

 それだけ相手に対策されるリスクが高まる。

 逆に必要な場面以外では一切情報を漏らさず、

 全ての相手に初見の対応を強制出来ればかなり強い。


 翼を消せというギドの命令は、

 そんな考えの下で出された宿題だった。


 曰く、ベリルの翼を構成しているのは

 純然たる彼自身の魔力のみ。

 早い話、彼の翼は突き出た魔力の結晶体であり、

 魔力操作を極めれば自在に出し入れが可能だという。


 そして仮に普段は翼を仕舞っておけるのなら、

 ベリルの見た目は幼い少年そのものとなり、

 何も知らない人間の警戒心を一瞬で解体出来る。

 これがどれほどのメリットなのか、

 聡いベリルはすぐに理解した。

 そしてその日から魔力操作の訓練が始まった。



「あー無理。出来ない!」



 ――が、どうやらその道は険しそうだ。

 魔力操作に必要なのは本人の高いであり、

 ギドから教えて貰える事が極端に少ない。

 日々の一般教養授業の傍らで訓練は継続しているが、

 やはりまだまだ習得までの時間は掛かりそうだった。



「……少し休憩しよっと」



 三日間特に成果を出せなかったベリルは、

 修練場である岩山を下って隠れ家の洞穴へと向かう。

 其処は蝋燭の仄かな光のみに照らされた薄暗い空間で、

 森の中に廃棄されていた机や椅子が乱雑に置かれていた。


 ただし今はギドが食料調達に行っているらしく、

 その洞穴の中にはこれっぽちの活気も無い。

 特に暇を潰すような代物も置いてはいないので、

 ベリルは何となく机の上に目を向ける。


 そこに置いてあったのはギドの私物。

 年代物の懐中時計や羽根ペン。

 そして偶に彼が手にしていた手帳があった。

 ベリルはそれが気になり手を伸ばす。

 だがちょうどその時、手記の持ち主が帰還する。



「おやベリル。休憩中ですか?」


「ギド。……うん。少しね?」


「この手記が気になりますか? 単なる記録帳ですよ」



 ギドはサッと記録帳を取り上げると、

 最新のページをパラパラと捲って見せた。

 だがベリルがもっと良く見ようと覗き込むと、

 途端に閉じて胸の中へと仕舞ってしまう。


 そうして彼は次々と私物を片付け始めたので、

 ベリルは仕方なく休憩を終える事にした。

 だが今度はギドが最後に仕舞おうとした物品が

 好奇心旺盛な魔物の仔の目に留まる。



「その懐中時計は?」


「あぁ、知人の形見です。壊れてますがね?」


「――直そうか?」


「!? ……出来るのですか?」


「分かんない。けどモルガナの手伝いをした事がある」



 その言葉でギドは「うぅむ……」と唸り始める。

 だが彼は自前で用意していた修理用具を取り出すと、

 ベリルに笑顔を向けてその提案を呑んだ。



「ではお願いしましょうか」



 少年を信頼してギドは懐中時計を手渡した。

 そして懐中時計は机の上に置かれ、

 ギドの手によってその蓋が開かれる。

 中には複雑に絡み合った歯車や、

 壊れた針などがみっちりと収められていた。


 そんな内部の機構を一目見て、

 ベリルは――



(あ、無理かも……)



 己の発言を少し後悔していた。



 ~~四日目~~


 この日もベリルはいつもの修練場にて

 魔力操作習得のための瞑想を積む。

 だがやはりいくら待てども手応えは無いので、

 やや飽きてきた少年は機械弄りを開始した。


 岩肌の上に直接解体したパーツを並べて、

 仕組みをその場で理解しながら

 故障の原因とその解決策を模索する。



(……ちょっと楽しいかも)



 ~~五日目~~


 今日も今日とて訓練は続く。

 だが進展は無いので休憩がてらに機械弄り。

 どっちの時間が長くなっているか、

 やっている本人には分からない。



「代用パーツが欲しいな……廃材漁ってみよ」



 ~~六日目~~


 さて訓練は放り出し、

 この日も順調に修理の作業が進んでいく。

 パーツは白い紙の上に広げられ、

 青空の下の工房で着々と組み立てが完了する。



「あとちょっと、あとちょっと!」



 ~~七日目~~


 最後のパーツを装着し、

 ベリルは表面の汚れをタオルで拭った。

 そして機能に沿って蓋を開けると

 その内部で正常に動く時計の針が見て取れた。



「……! 出来た……!」


「おや。出来ましたかベリル」


「ギド! そうなんだ! 遂に――」


「翼の収納に成功したのですね?」


「……あ゛」



 ようやく宿題を思い出した少年は

 全身からサーッと血の気を引かせていた。

 焦りから目は泳ぎ、台詞も辿々しくなるが、

 やがて彼はモルガナの教育を思い出し

 すぐに反省の態度を示す。



「ごめんなさいギド……すっかり忘れてた……」


「ん?」


「ずっと時計の修理に夢中で……それで……!」



 そこまで言うとベリルは懐中時計を手渡した。

 完全に修理されたそれを受け取るギドは、

 少しの間ベリルを見つめて何やら納得する。



「そうですか。では罰則ペナルティを与えるとしましょう」


「ひぃぃっ!?」


「着いてきてください。君の嫌いな水浴びの時間です」



 そうして二人は移動を始めた。

 しかしその進路にベリルは違和感を覚える。

 普段使っている近場の池とは

 真逆の方向へと進んでいたからだ。


 その事をギドに問うてみるが、

 彼は笑顔で「秘密です」としか答えない。

 やがて二人は森の中を抜け広い空間に出る。

 すると其処には――湯気を放つ別の水場が存在していた。



「これは……」


「魔法で熱してみました。寿命の短い温泉です」


「なん、で?」


「君がお湯の方が好きだと言ったからですよ

 さ、冷めない内に入りましょうか!」


「で、でも! 僕は宿題をやってなくて……!」


「そうですか。ではよいしょー!」


「ミ゛ィ!?」



 ギドに突き飛ばされる形で

 ベリルは湯の中に叩き込まれた。

 ぐっしょりと濡れた体はやはり不快で、

 少年は慌てて水面から顔を出す。



「ギド!? いくらなんでも罰が重いよ……!

 翼が濡れちゃうのは本当に気持ち悪くて――」


「おや? まだ気付いていませんか?」


「え?」


「自分の背中。よく見てください」



 言われるがまま少年は振り返った。

 しかし其処には何も無く、彼は一瞬首を傾げる。

 ――が、すぐにその意味を悟りベリルは顔を上げた。

 彼の背後には何も無い。自慢の翼は既に消えていた。



懐中時計コレの修理はそれほど集中出来たんでしょうね」


「――! じゃあ僕は!」


「はい。無事に課題クリアです」


「っ〜〜〜〜〜〜!!」



 少年は拳を突き上げ喜んだ。

 初めて自力でを解決した事を

 年相応の笑顔を見せて噛み締めていた。

 その肌を伝う水の感触は、何時になく温かかった。


 やがて二匹の魔物は並んで湯に浸かる。

 その光景は本当の親子のようだった。



「へぇー、これが温泉という物ですか」


「ギド、お風呂初めて?」


「ええ。基本は冷水の水浴びだけですね」


「ふふっ、そうなんだ」


「おや。楽しそうですねベリル?

 そんなにこのお湯が嬉しかったですか?」


「ううん。違うよ――」



 その丸みを帯びた幼い顔に

 心底満足気なニンマリ笑顔を浮かべながら、

 頬にお湯を滴らせるベリルが語る。



「今日の事でギドを少し知れた気がする!」


「――! ……おやおや。私の『情報』が抜かれましたか」



 あくまで冷静に、

 しかしそれでいてどこか嬉しそうな声で

 魔物は一段の弱体化を受け入れた。



 〜〜〜〜



「さてベリル。一つ目の課題をクリアした所で、

 もう一度我々の目的を確認しましょうか!」



 隠れ家に戻る道中で、

 自身の濡れた髪を拭いながらギドは語る。

 彼らの目的は人類への攻撃。

 特にベリルはモルガナを殺された怒りを

 魔導大国セグルアにぶつけたいと思っていた。



「その思いに今も変わりはありませんか?」


「……無いね。僕の怒りはまだ収まっていない

 人間との和解も、共存も、僕にはありえない……!」


「――宜しい。では次の行動に移りましょう」



 ギドは振り返り両手を広げた。

 そして魔力操作と翼の隠蔽を習得した教え子に、

 それを活かした新たな試練を授ける。



「人間の国で暮らしましょう!」


「うん! ……ぅん?」


「今から人類の文化圏に入ります!」


「うんんんんん!?」


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