参頁目 育成開始

 車両はタイヤを弾ませて乱暴に着地する。

 そしてそのまま大通りへ向けて爆走を開始した。

 ただしその道に車のための舗装は無く、

 ガタガタと車体は上下左右に揺れている。


 そんな衝撃に不快感を覚えつつも、

 ベリルは数年振りに浴びた直射日光に目を細め、

 次いで風に攫われた前髪と共に顔を上げた。



「……お外」



 見上げる顔は真ん丸で、

 もちもちとした頬を心地良い風が撫でる。

 そしてその深緑の瞳の奥は、

 青空を反射して綺羅星のように輝いていた。


 だがそんな彼をモルガナは咎めると、

 助手席に乗せていたボロ布を差し出した。



「それ被って伏せてなさい!」


「う、うん。分かったよモルガナ」


「あと私がと言うまでは絶対に出ない事!

 それだけは約束して頂戴! 良いわね!?」


「あ、今『良い』って言った」


「揚げ足取るなやクソガキぎゃぁ!!」



 怒号を上げるモルガナは

 小さな魔物の頭をボロ布で押さえ込んだ。

 と同時に彼女はアクセルを更に踏み込み加速する。


 それは仮に車の存在を知らない者が見ても

 一目で危険だと分かるほどのスピードと騒音で、

 逆に不意の接触を避ける効果をもたらした。

 またそれでもうっかり通行人を轢いてしまわぬように、

 モルガナ自身も常に怯えた顔でハンドルを回し続ける。



(怖~~ッ! けど今はこれで良い!)



 どの道正規の手段でベリルは亡命させられない。

 国境の突破はどう足掻いても強硬突破になる。


 ならばコソコソと逃げ隠れて

 無駄に時間を掛けてしまうよりも、

 誰もが呆気に取られている間に逃げ切った方が

 得策であるとモルガナは予め考えていた。



(都市圏突破……! ここまで来れば……!)



 周りの風景はすっかり荒野ばかりとなり、

 ここまで来ればあとは人気の少ない道を選んで

 真っ直ぐ国境を目指すだけで良い。

 休まず進み続ければきっと、

 夕刻にはセグルアからの亡命も達成されるだろう。


 しかしその先は? 脱出した後の計画は?

 僅かに安堵し生まれた隙間へ入り込むように、

 モルガナの脳裏には暗い色が滲み出す。



「……ねぇベリル、一つ聞いても良い?」


「その『良い』はどっち?」


「布被ったまま聞いてろクソガキ」


「ぅぃ。で、なに?」


「いや、だからその……アンタはさ?

 このまま私と一緒に居たい? それとも……」



 女は僅かばかりに振り向く事も無いままに、

 唇だけを動かすように呟いた。

 対するベリルは頭に被った布を少しズラして、

 彼女の後頭部を見上げて幼く答えた。



「うん。一緒に居たい」


「……あっそ」



 モルガナは結局振り返らなかった。

 そして彼女が今どんな顔をしているのか、

 幼いベリルには想像する事が出来なかった。

 そのまま数秒ほど無言の時間が流れ、

 車はどんどんと荒野を景気良く進んで行った。

 が、その時――



「「ッ!?」」



 ――車体が大きく揺れた。

 タイヤが大地を抉り、無数の砂が舞い上がる。

 やがて必死にハンドルを操るモルガナの奮闘も虚しく

 真横に傾いた車体は岩肌へと激突した。



「がぁ!? 痛っ……何が起きて……?」


「トラップ作動確認。対象車両、停止」


「!? そんなまさか……!」



 其処にいたのは鎧で完全武装する白衣の騎士団と

 その背後に並ぶ人型の自律戦闘魔導機構マシナキア

 即ち、魔導大国セグルアが誇る

 対魔物および国境警備の主力部隊であった。



(いくら何でもこれは……早すぎるし、多すぎる!)


「隊長。車両内から魔物の反応を検出」


「ふむ。そうですか」


(駄目っ……嫌っ、殺されるっ……!)



 モルガナは戦士では無い。

 少し頭が回るだけのただの一般女性だ。

 そんな彼女に戦死を誉れと思う気持ちも無ければ、

 ここで戦いを選択出来るような気概も無かった。


 そしてそんな彼女の心情を見透かしたのか、

 隊長と呼ばれた男が突然鉄仮面を外す。

 黒髪に糸目の比較的若い男性騎士であった。

 彼は貼り付けたような笑顔と共に、

 硬直するモルガナに向けて予想外の言葉を投げ掛ける。



「ご婦人、早くこちらへ! 我々がとも!」


「……え?」


「魔物にのでしょう? もう大丈夫です!」



 その『筋書き』はモルガナにとって救済に他ならない。

 同罪として極刑に処されるかと思っていたのに、

 恩赦される可能性が出てきたのだ。

 只人ならば一切の躊躇も無くその話に飛び付くだろう。

 そしてモルガナもこの話に目の色を変えていた。



「私は……赦されるの?」


「勿論。今まで辛かったでしょう? さあ、こちらへ」



 彼の言葉に、彼が差し伸べたその手に、

 モルガナは激しく動揺して俯いた。

 だが彼女の視線が外れたその瞬間、

 糸目の男は背後の部下に小声で告げる。



(車両から離れたら。魔物の手に堕ちた女だ)



 モルガナを生かす気など、最初から無かった。

 しかしそんな思惑を彼女は悟れる状況では無い。

 焦りと緊張、そして感じた事の無い恐怖を前に、

 彼女は自我の境界すら曖昧になっていた。



(助かる、助かるの? 私まだ、生きられるの……?)



 恐怖が、興奮が、困惑が、歓喜が、

 押し寄せ、渦巻き、逆巻き、乱れる。

 濁流のように流れ込む感情が思考を濁し、

 自然と口元に引き攣った笑みを浮かべさせた。


 そうして荒れ狂う情緒の波に流されるように、

 モルガナの足が一歩、弱々しく前に出た。

 が、その時――



「――モルガナ?」



 聞き慣れた幼い声が彼女の混乱を消した。

 ふと横目を向けてみると其処には、

 僅かに布を捲り不安そうに彼女を見上げる

 小さな生き物の顔があった。


 その深い緑色をした円らな瞳をしばらく見つめて

 女は決心したように彼のボロ布に手を伸ばす。



「……ごめんね、ベリル。」


「え?」



 彼女はそっと布を抑え再び少年を隠した。


 ――そして次の瞬間、

 彼女は助手席から機械仕掛けの銃を取り出し

 糸目の男へ向けて発砲する。


 生憎と弾丸は鎧によって弾かれたが、

 隊長と呼ばれていたその男は

 衝撃によって呻き声を上げ転倒した。



「っ……正気ですか?」


「ふぅーっ……! ふぅーッ!!

 『今まで辛かったでしょう』? 舐めないで……!」



 確かに其処に苦痛はあった。精神は削られた。

 しかし一つのやりがいも報酬も無い事を

 延々と続けられるほど人間は強くは無い。

 それでも彼女は魔物の仔を五年も育て続けた。

 其処に欠片ほどの愛情も無い、



に手を出すなッ!!」


「撃ち方」


「っ……!」



 隊長の酷く冷たい声が通り抜けた。

 それに呼応するように背後の軍団が動き出す。

 対するモルガナも慌ててシールド機構を準備した。

 そして――



「始め」



 ――冷酷な指令はいとも容易く下される。

 直後、満を持して発せられた轟音が大気を揺らし、

 目眩く閃光たちが荒野の上を駆けずり回る。


 だがやはり、モルガナは戦士ではない。

 お手製の魔導銃が敵の鎧や盾で弾かれるのに対し、

 その何倍の物量を誇る騎士団の一斉掃射は、

 彼女の展開したシールドを次々と破壊していった。



(火力も数も……違い過ぎる……!)


「モルガナ?」


「っ――出ちゃ駄目ッ! そのまま隠れてなさい……!」


「でも、凄い音が」


「大丈夫……! 私は大丈夫だからっ……!」



 銃撃音に負けぬ大声でモルガナは叫び続けた。

 やがてその声の合間にシールドの破損音が混じり、

 岩肌の崩壊音や肉が裂け血が噴き出す音も入り始めた。

 だがそれでもモルガナは「出てくるな」と必死に叫ぶ。

 聞き慣れたはずの声が、赤く染まって届き続けた。


 だが永遠に続くかと思われた銃撃戦にも終わりが訪れ、

 たった一つ「ドン」と何かが車体にぶつかる音がした。



「モル、ガナ?」



 取れる揚げ足もないままに、

 痺れを切らしたベリルは布を剥ぐ。

 すると其処には、虚ろな目で死ぬ女がいた。



「……モルガナ? ねぇ? ねぇ?」



 反応などある訳が無い。

 小さな手で何度擦ってみても、

 もうそれは物言わぬ死体でしかない。



「そっか。死んじゃったのか」



 ならばもう



 其れは魔物の発想。魔性の性。

 これぽっちの動揺の声も上げずに佇むソレを前に、

 魔物を知らない若い騎士たちは動揺する。

 だがそんな彼らを正気に戻すように

 糸目の隊長は「ふん」と大きく鼻を鳴らした。



「……皆さん。これが『魔物』というモノです」



 人の言葉を操るくせに人に対しての情など無い。

 元より彼らの主食は人間。融和の道など存在しない。

 ――

 人類側の防衛を担う隊長が発した言外の言葉に、

 騎士団は心の底から納得して武器を構える。


 そして彼らは子供の姿をした怪物を、

 壊れた車両ごと取り囲むようにして輪を描く。

 またその中でも隊長は率先して長剣を引き抜き、

 未だ女の傍を離れようとしない魔物に刃を向けた。

 だが次の瞬間、彼は自身の目を疑う事となる。



「小僧……貴様……!?」


「――――」


「何故、?」



 黒翼の少年は死体を凝視したまま、

 口も眉も鼻も人形のように平然を保った状態のまま、

 目から涙だけをツゥーっと流していた。

 そして潤んだ深緑色の瞳をギョロリと動かすと、

 少年は困惑する騎士の顔を見た。


 次の瞬間、その腹を鋭利な黒翼が貫通する。

 不意を突かれた男は一切反応する事が出来ず、

 口から血の塊を吐出し後方へと吹き飛んだ。



「がぁ!? な……にが……! え、何が!?」



 腹の風穴を開けられた隊長が上体を起こすと、

 其処には翼を広げて車両からフワリと浮かぶ魔物がいた。

 逆光で黒く染まったそのシルエットからは、

 決して表情には出ていないはずの怒りが見えた。


 其れは確かに人を喰らう魔物の仔。相容れない人類の敵。

 だが同時に――人が産み、人が育てた『人間の子』。



「くっ……撃ち方ァ!」



 致死量まで溢れる血を片手で抑えながら、

 糸目の男は唾を撒き散らし声を荒げる。

 しかしそれよりも前に魔力を帯びた黒翼が動き、

 深緑の旋風が騎士たちの合間を跳び回る。



「なんだこの力!? ガキの魔物じゃないのか!?」



 隊長の男は血反吐を吐きながら驚愕した。

 速度、パワー、魔力量。どれを取っても優秀。

 人体も、機械も、鎧も、盾も、皆均等に砕かれ、

 血飛沫が噴水のように勢い良く飛び散った。



「まさか我々は……とんでもないモノを……!」



 その言葉を最期に、

 隊長の首が黒い風に攫われ引き千切られた。



 ~~~~


 気付けば時刻は夕刻。

 太陽は地平線の彼方へと沈んでいき、

 反対側には青暗い空が迫っていた。


 そんな二面性の空の下、弾痕塗れの車両の上で、

 その少年は人肉を喰らいながら蠢いていた。

 バリ、ボリ、ぐしゃり、パキリと、

 肉や骨を喰らう咀嚼音が静寂の荒野に響き渡る。



「これはこれは、今時珍しい地獄があったものだ」



 そんな少年の所へ一人の男が歩み寄る。

 白いローブに身を包むその男性の腰には

 高価そうな装飾で塗れた剣が携えられていた。

 そして男は車両の前で立ち止まると、

 捕食を続ける少年に声を掛ける。



「君、名前は?」


「……ベリル。魔物だよ」


「それは見たら分かりますよ

 でも、そこの女性は食べないんですね?」


「……これはごはんじゃない」


「では他の騎士たちは何故食べるんですか?

 まさかこの量、君のでしょうに」


「こいつらは、殺したいから食べてる……!

 一度殺しただけじゃ『この感情』が収まらない……!」


「殺したくて人を食べる魔物はいません」



 挑発的な笑みと共に発せられた言葉が鬱陶しく、

 少年は殺意を持った横目で男を睨み付けた。

 そして同時に黒翼の刃を差し向ける。


 が――男はその攻撃を片腕で弾いた。


 籠手はない。弾いたのは素の肉体強度だ。

 鎧も盾も貫通してみせた攻撃を容易く防がれて、

 黒翼の少年はギョッと戦慄する。

 だがそんな彼に微笑みの顔を向けたまま、

 男は車両の前に片膝を突きそのフードを脱いだ。



「……魔物?」


「ええ、その通り。初めまして小さな同胞。」



 暗い赤と深い緑のオッドアイ。

 そしてローブと同じくらい白い長髪と、

 鋭利に尖った耳とツノ。

 彼は少年と同じ正真正銘の魔物であった。



「ギド・エルファス・ヌ・アレキサンダー。私の名です」


「ギド……エル……え?」


「呼びやすければどうぞお好きなように」


「……『ぬ』」


「君って結構図太いですね? ギドでお願いします」



 白衣の剣士、もといギドは苦笑を魅せるが、

 ベリルは彼が敵でないと分かると興味を無くし

 食事という形の死体損壊を継続した。

 だがしばらく無言で捕食を続けていると、

 今度はベリルの方から背中で語る。



「ギドは、この気持ちの収め方を知ってるの?」


「いいえ。私もその方法を探している途中です」


「……もっと殺せばさ。少しは収まるかな?」


「はい。例えばあの国を燃やせればさぞ爽快でしょう

 ただ君の大切な人間がいるとそうもいかないですが……」


「大丈夫、もういない」



 そう呟いて、ベリルは女の死体に布を被せた。

 そして食べかけの肉を車外に放り捨てると、

 真っ直ぐギドの方へと視線を向ける。



「ねぇギド。僕を強い魔物に育ててよ!

 人類に復讐出来るほどの、強い魔物に……!」


「承りました、ベリル」



 機械仕掛けの玉座に座る幼君に対し、

 白衣の魔物は深々と頭を垂れた。

 そして二人は女の遺体を乗せた車を燃やすと、

 そのまま手を繋ぎ、暗黒の世界へと歩み始める。



「君が次の『魔王』になるまで、私が見守り続けましょう」



 其の魔物は笑顔のまま約束した。

 懐から取り出した『記録帳』を握り締めながら。


 勇者が魔王に勝利し、人類が魔物を征服した。

 人々の世界は魔法と歯車で装飾された活気に満ち、

 世界は魔物の居ない安寧を獲得する。


 だがそんな世界に異を唱える者たちがいた。


 其れは魔王の腹心。或いは虐げられし血族。

 或いは文明への復讐者。或いは戦地に取憑く狂気。

 或いは――人と魔の狭間に産まれ堕ちた殺意。


 それはやがて集結し、群れを成し、

 いずれは一つの時代を砕く『ラスボス』となる。

 これはそんな宿命を背負う少年の育成観察録である。

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ラスボス育成観察録 不破焙 @fuwaaburu

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