弐頁目 白衣の剣士
~~五年前~~
魔物との間を子を成したのは、
彼女と交友関係のあった別の女性。
浮世離れしたとある一人の魔女だった。
しかし魔女はソレを産んだ直後に力尽き、
唯一の知人であったモルガナに彼を託して逝ってしまう。
我が子にベリルという名前だけを与えて、
その他には何も遺さずに一人勝手に死んでしまった。
(とんでもない貧乏くじ……)
ソレは自分が腹を痛めて産んだ子では無い。
そもそも、決して人の子などでは無い。
魔女の事は友人として好きではあったが、
モルガナにとってはこの上無いほどの厄ネタだった。
故に彼女は当初ソレを殺そうとした。
憲兵に見つかり社会的地位を失う前に、
魔物の本能によって喰い殺される前に、
何より自身の人間性が狂うよりも前に。
モルガナは手にしたナイフを赤子に突き立てる。
だが終ぞ、その凶刃が小さな命を断つ事は無かった。
「くっ……ぅぁ……! ヅッ!」
何よりも決心を鈍らせたのは赤子の瞳。
真っ直ぐとこちらを見つめるその深緑の眼が、
仲の良かった魔女を思い出させて彼女を狂わせる。
(なんでこんな事になっちゃったんだろ……)
「…………」
「何よ?」
「…………」
「赤子らしく、少しは泣きなさいよ。」
殺す事も逃れる事も出来なかったので、
モルガナは文字通り全てを諦めて魔物の仔を育て始める。
誰もが羨む高給取りの職場を辞めて、
新たに底辺層に位置する技師見習いとなったのだ。
既に飽和状態の
上位層と下位層とで待遇に天と地ほどの差があり、
街に見習いが一人増えても誰も気には留めない。
つまり低賃金である事にさえ目を瞑れば、
これ以上に無いほどの良き隠れ蓑となっていた。
そんな機械技師見習いとして彼女は
昼は雇ってくれた店主の下で僅かな日銭を稼ぎつつ、
夜は廃品回収の名目で自殺者の死体を漁る。
人しか食べられない魔物の仔を育てるためには
これしか方法は無かった。
しかしそれは理性と気力を削る日々。
日増しに厳しくなる憲兵たちの目。
どうしても耳に残る不快な人肉の咀嚼音。
そして貧困とプレッシャーから来る精神への負荷。
これら全てにモルガナは
「あぁ……今日も仕事に行かなくちゃ……」
〜〜現在・とある工房〜〜
「クロックギアの修理ね。五百ロキアだ」
石レンガの道には溢れんばかりの人集り。
活気ある通りの両側を挟んでいるのは
歯車の意匠が目立つ赤茶色の上品な建物たち。
そして雲一つ無い青空には鯨の如き飛行船。
魔導大国セグルアは今日も活気に満ち溢れ、
通りには人間の他にも接客に励む人型の機械や
蒸気を吹かす新製品の隣で浮遊する精霊の姿もある。
そんな街の一角にあるこの魔導工房こそ、
モルガナの働く
そして彼女が店へと出勤してきた丁度その時、
店長は一人の男性客を相手にしている所だった。
「ん? 旦那、悪いがこれじゃあ全く足りてないぜ?」
「そうなのですか? 困りましたね……値引き等は?」
「五百ロキアだ」
「そこを何とか、お願い出来ないでしょうか?」
「いいや五百ロキアだ。ほら頑張れー?」
「実は亡き妻が遺した形見の一つでして……」
「ん~泣かせるねぇ! 五百ロキア」
「……私の端正な顔立ちに免じて。イケメン割という事で」
「ははっ。千ロキア」
交渉失敗。
その男性客は渋々修理を諦めて
新たな懐中時計を購入しようと店内を観察し始めた。
またそれと同時に店主がモルガナの存在に気付き、
眉をギュッと窄めて怒声を上げる。
「遅ぇぞモルガナ! 何してた!?」
「すみません店長。すぐに作業場に入ります」
店員の証でもあるバンダナをキュッと結び、
モルガナは男性客の隣を通り抜けた。
だがその時、男性客はそんな彼女に対して、
たった一言「おや?」と意味深な反応を示す。
「……っ。あの……何か?」
後ろめたい事実があるモルガナにとって、
少しでも疑われるのは心臓に悪い。
故に彼女は安心を得たいがために聞き返すが、
客人はモルガナをジッと見つめて答えはしない。
(何なの……こいつ……?)
焦りを表情筋の下に押し隠しつつも、
足を硬直させたモルガナは男性客を凝視し続けた。
目深に被った白いローブのせいで表情こそ見えないが、
僅かに覗かせる輪郭とスラリてした細い体付きから
彼がかなりの美男である事だけは推察出来る。
だがそれより多くの情報は得られない。
身なりの良さから多少の気品は感じ取れるが、
それ以上に形容しがたいほどの悪寒が
モルガナの全身を震え上がらせた。
その光景は正に蛇に睨まれた蛙の様だった。
「おいモルガナ! 何してる、早くしろ!」
そんな緊迫の空気を断ち切ったのは店主の怒声だった。
彼のお陰で硬直から解き放たれたモルガナは
苛立つ店主の指示に便乗する形で
逃げるように店裏へと駆け込んでいった。
「ったく、どうしたんだ今日のあいつは?
不調なら偶には思い切って長めの休みでも……」
「もし? 少し宜しいですか店主?」
「へい旦那。何か?」
「先程の女性は?」
「はい? あれはウチの見習いのモルガナでさぁ
出世欲の無いわりに中々筋の良い奴で――」
「――
「へ?」
予期せぬ指摘を前に店主は素っ頓狂な声を上げる。
だがそんな彼の事を一切気に掛けず、
彼を押し退け男性客はカウンターを飛び越えた。
否、もう男性客などでは無い。
マントの下に隠した長剣に手を掛けるその人物は、
口元に薄っすらと笑みを浮かべる狩人だった。
そして店主の静止も無視してドアを蹴破ると、
白衣の剣士は路地裏に面した店裏の工房へと突入する。
しかしその場には既にモルガナの姿は無く、
捨てられたバンダナが溶鉱炉の上から垂れるのみ。
「ふむ? 逃げられましたか、勘が良いですね」
「だ、旦那、これは一体!? それに魔物って!
魔物はもう何年も前に『勇者様』が絶滅させたと……」
「ですね。その件は良く知っています」
白衣の剣士はニヤリと笑みを浮かべながら
不安と心配と混乱とで慌てふためく店主を突き放す。
またそれと同時に街中に警笛が鳴り響き、
遠くで憲兵たちが慌ただしく動き出す音が聞こえてきた。
そんな喧騒を耳から通して腹の中へと収めると、
白衣の剣士はスゥと深く息を吸い込み、また笑う。
「血が騒ぎますね」
〜〜〜〜
鳴り響く警笛に責め立てられ、
モルガナはまだ日も高い街中を駆ける。
路地裏から大通りへと飛び出して、
憲兵の姿を見つけてまた戻り、
長めの階段数段を跳躍一回で突破した。
(憲兵の動きが早い! まさかさっきの男……!?)
魔導大国セグルアの憲兵隊。
そのトレードマークは『白いローブ』だ。
先程の男性客が纏っていたソレは
少々デザインが違っているようにも見えたが、
モルガナはこの素早い警笛の発動を鑑みて
まず間違いなく彼も憲兵の一人だろうと推察した。
遠距離の通信機は魔王軍が健在だった頃から
既に人類側の技術として確立されている。
モルガナ自身はそれが実用されている場面は
まだ見た事は無かったが、状況からその存在を確信し、
人類の技術進化の速さにほとほと嫌気が差していた。
(って、思考まで魔物側になってるじゃない……)
自己嫌悪一歩手前の悪感情を抱きつつも
モルガナは決して足を止めずに走り続ける。
そして遂に彼女は見窄らしい我が家へと辿り着く。
昼間に帰るのは久方振りだという感想を抱きながら、
彼女は脇目も振らずドアを押し退け中へと入った。
「ベリル! どこ!? ベリル!」
「モルガナ……?」
「いた! 準備しなさい! この街を出るよ!」
そう言うとモルガナは荷物もベリルも乱雑に担ぎ、
全部合わせて地下室の機械の中に放り込む。
女は利口だった。いつも危機感を持っていた。
魔物の仔を育てるという前例無き大犯罪を犯す以上、
発覚した際の準備も怠ってはいなかった。
「ちゃんと乗った!? 乗ったね!?
乗ってなかったらもう知らないからね!」
「モルガナ、ひどい」
「ひどくない! あと舌丸める!
エネルギー装填済み……エンジン起動ッ……!」
直後、爆裂音の如き唸り声を上げて
暗いガレージの中で『ソレ』の目に光が宿る。
モルガナがベリルの食料確保ついでに
日々集め続けた廃材で造り上げた違法
国家亡命専用四輪駆動車、その名も――
「『
白い煙で不要な廃材を噴き飛ばし、
車両は屋内の坂を登って鉄の壁を突き破ると
そのまま陽光照らす世界へと踊り出た。
「この国から脱出するよ!」
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