弟、悠の場合 [KAC20242]

蒼井アリス

弟、悠の場合


 土曜日の午後、たけしゆうは久しぶりに実家に顔を出していた。


 兄のたけしは探偵業、弟のゆうは獣医。性格は正反対だが、この兄弟は妙に仲がいい。

 この二人、近所では長身イケメン兄弟で有名だった。手当り次第につまみ食いをしていた猛と奥手で浮いた噂のあまりなかった悠。同じ遺伝子を持っているとは思えないほど性格は違うのに、外見はよく似ている。

 野性的で精悍な猛と、猛の外見の線を少し細くして知的な雰囲気を足した悠は他校でもファンクラブができるほど人気者だった。ファンクラブの特性も二人の性格がよく出ていて、猛のファンクラブはワイルドで情熱的、悠のファンクラブは知的で控え目だった。


    ****


 実家での用事を済ませた兄弟は、駅へと続く道を二人並んで歩いていた。

「この道懐かしいね。兄さんのファンの子たちがいつもあそこの公園で待ち伏せしてて、僕の姿を見つけると『お兄さんに渡して』って手紙とかプレゼントを押し付けてきてたよ」と悠が笑いながら言うと、猛は「そうだったか、あんま覚えてねえな」と素っ気なく言う。

 今度は、「俺も同じ学校の優等生たちからお前へのプレゼントをよく押し付けられてたな。お前のファンの子は頭が良くて育ちが良さそうな子ばっかりだった」と猛が言うと、悠が「そうだった? じゃあお互い様だね」と返した。


 男兄弟の関係は素っ気ないようでいて根底では強い絆で繋がっているようなところがある。

 この兄弟も例に漏れず自分にないものを持っている相手を尊敬し、大切に思っている。


「お前この後何か予定あるか?」

 弟に予定がなければ久しぶりに飲みにでも行こうかと兄が訊く。

「今日は職場の近くで売りに出ている戸建て住宅の内見をする予定なんだ」

「お前、家買うのか?」

「中古だからそれほど高くはないんだけど、やっぱり不動産を購入するとなるとなかなか決心できないね……そうだ! もし時間あるなら内見付き合ってよ。兄さんの意見も聞きたい」

「お前が家をねぇ……大人になったなぁ、兄ちゃんは感動してるぞ、弟よ!」

「大げさなんだよ、兄さんは」

 からかうような言葉の中にも弟を思っている猛の本音はちゃんと悠に届いている。


「戸建てにするのはジョンのためか?」

「そうなんだ。大型犬だから走り回れる庭があればストレス発散になるだろうと思ってね。今の賃貸はジョンには少し窮屈になってきたしね」

「本当にそれだけか? 家を買うっていうのは定住場所と安定を手に入れるためだろ。お前結婚するのか? 恋人いたのかよ?」

「結婚はしないよ、でも大切に思っている人はいる。今は友達以上恋人未満って状態かな」

「お前が落とせないってことは手強い相手だな」

「そうだね、手強いね」

 そう言いながらも悠の笑顔はとても幸せそうに見える。

「結婚しないって言い切ることないだろ。そんなに望み薄なのか? それとも『しない』じゃなくて『できない』なのか?」

「まあね」

「お前、まさか不倫か?」

「そんな訳ないでしょ」

「じゃあ男か」

「そう」


 猛は心の中で「お前もか」と複雑な思いだった。猛の恋人も悠もよく知っている年上の幼馴染の男だからだ。


「その内見にジョンも連れて行こうぜ。ジョンが気に入るかどうかも見ておかないとな」

「それもそうだね。じゃあ一度家に寄ってジョンを連れて行こう。あっ、そうだ。前から兄さんに言っておこうと思ってたんだけど、ジョンを甘やかすの止めてよね。ジョンの奴、兄さんが来ると遊んでもらえると思ってはしゃぎ過ぎるし、兄さんが帰った後も興奮して手がつけられなくなるんだよ。普段は聞き分けのいい子なのに」

「お前が厳しすぎるから俺があいつのガス抜きをしてやってるんだよ」

 猛はそう言うが、ジョンを出しにしてガス抜きしているのは猛の方だと悠は思っている。



 一度、悠の家に寄りジョンを連れて内見の場所へと向かう二人と一匹。

 ジョンは千切れてしまいそうなくらい尻尾をブンブンと振り、全身で喜びを表している。猛の周りをグルグルと回ったり、思いっきり飛び付いたりしている。

 成人男性の平均よりもはるかに大柄な悠でさえも時々ジョンに飛びつかれて倒れることがあるのに、猛の身体は大きな体のジョンに飛びつかれてもびくともしない。ジョンも手加減せずに遊べる相手が嬉しいのだろう。


    ****


「兄さん、あの家どう思った?」

 内見からの帰り道、悠が猛に訊いてきた。

「前の持ち主は丁寧に生活してたんだな。傷みも少ないし広さも十分だ。何よりジョンは気に入ったみたいだぞ」

「そうだね。値段も相場より安いんだよ」

「でも一人で住むには広すぎないか? 想い人のためか?」

「うん。彼に揺るぎない居場所を用意してあげたくてね」

「お前がこんなに一途な男だとは知らなかったよ」

「洋ちゃんを三十年も想い続けてた兄さんに言われたくないよ」


 家を買う、それも想い人にいつでも帰ってこられる居場所を用意するために家を買う弟を猛は誇らしく思った。


「悠、お前いい男になったな」と猛が悠の髪の毛をわしゃわしゃしていると、ジョンが「ボクも、ボクも」とねだるように猛の身体に飛び付いてきた。


「よし、今日はお前んちで飲むぞ!」

 そう言うと、猛はジョンと一緒に走り出してしまった。

 猛に乱された髪を直していた悠も「兄さん、ちょっと待ってよ」と走り出した。



 End


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

弟、悠の場合 [KAC20242] 蒼井アリス @kaoruholly

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ