最終章

アンインストール

 翌日、学校で斗真に昨夜の出来事を全て話して家まで来てもらった。

 昨日あのあと姉貴は黙ったまま部屋に戻りドアに鍵をかけてしまった。

 僕がドア越しにいくら呼んでも返事をしてくれなかったから、仕方なく僕も自分の部屋へ戻ってベッドに潜り込んだんだ。


「じゃ~おまえはさ、死んだ兄貴に会ったんだな?」

「うん、いきなり後ろに現れてパソコンをいじりだしたんだよ」

「へー」


 家に着くまでの間も、僕は斗真に昨日の一部始終を何度も繰り返し説明していた。斗真は少し興奮気味に僕の話に耳を傾けていた。


 家の玄関の前に来ると斗真は立ち止まった。いきなりもう何かを察知したのだろうか、僕は斗真の後ろからおそるおそる声をかけた。


「どう? まだやっぱり兄貴が居る気配する?」


 斗真はしばらく2階の兄貴の部屋を見上げていたが真顔で振り返った。


「不思議だ。こないだ感じた気配は完全に消えているみたいだ」

「え? 兄貴はもういない?」

「おそらくな。だけど昨日確かにお兄さんの霊に会ったんだろ?」

「う、うん……霊って、やっぱ幽霊だよね……会ったのは本当だよ」

「前に死臭の話したろ。なのにその痕跡すら綺麗さっぱり消えてなくなっているようなんだ……なんでかなぁ」


 斗真にわからないことが僕にわかるわけがない。


「とにかく部屋をもう一度見せてくれよ」

「うん」


 斗真と二人で兄貴の部屋へ行くとドアが開いていた。中を覗くと姉貴が兄貴のパソコンデスクに座っていた。険しい顔でモニターを凝視している。


「姉貴?」

「あ、元輝……」


 僕たちに気づくと姉貴はうつろな視線を僕に向けた。


「兄貴のパソコンで何してるの?」


 姉貴はモニターに視線を戻した。


「変なのよ……全部消えてるの……何もかもが……」

「え? 消えてるって何が?」

「VLのアカウントもVL専用の兄貴のブログも、フェイ○ブックもミ○シも、それと兄貴の個人のブログも、エック○もインス○グラムも全部よ」

「え? どういうこと?」


 姉貴が何を言っているのかわからなかった。詳しく聞くと、兄貴が生前にやっていたSNSの類いが全て削除されていて、登録も抹消済みになっていたらしい。


「私が知っているのはこれだけだったけど、私が知らなかったアニメのファンサイトとか通販サイトとかも、全部登録を解除してあるの」

「誰がやったの?」

「知らないわよ! ……でも、IDとパスワードは本人しか知らないはずでしょ? だとしたら……」


 嘘だろ! 昨日みたいに幽霊になってこの部屋に戻り、ネット関連の後始末を兄貴が自分でやったというのか?


「まさか!」

「でも、そうとしか考えられないじゃない。だって兄貴以外に兄貴のアカウントを削除出来る人がいるわけないもの」


 姉貴は少し苛立ったようすでマウスを持ち上げるとパッドの上でスライドさせた。クリックしたりホイールをまわしたりしながらブラウザのウインドウをせわしなく切り替えている。


「誰か友達にさ、たとえば冗談半分にでも『もし俺に何かあったら全部消してくれ』とか頼んで、IDとパスワードを伝えてあったんじゃ?」

「それはないわ、これ見てよ」

「え?」


 姉貴はメーラーを開いた。今日の日付で明け方頃に、いろんなサイトからの登録解除の通知がたくさん届いていた。登録抹消の確認メールがここに届いているということだけでは、このパソコンを使って登録を抹消した証拠にはならない。ここのパソコンで処理をしたと断定できるのは、メールが単なる『アカウント削除のお知らせメール』だけでなく、記載されたURLをクリックするなどの操作を促すメールが何通か混じっていたからだ。それらのメールのURLは、このパソコンからでないと操作は難しい。

 しかも、そのあとで自分のメールアドレスも削除したみたいで、メーラーで受信をクリックしても受信不能のエラーメッセージが出る。


「お兄さんはきっと、ネット上に自分のサイトやブログが残ったまま放置されるのが気がかりだったんじゃないの?」

「え? そんな未練のために化けて出てきて削除したってわけ? そんなまさか!」


 斗真の分析にケチを付ける気はさらさらない。でも、そんな話、信じられない。他にもっと未練を持つような重要なことはなかったのかよ!


「うん……そうかもしれないわね」

「えー?」


 姉貴がしみじみと独り言のようにつぶやいた。

 驚いた! 僕が経験した奇妙な体験をまるで信じないでばかにしていた姉貴の口からそんな言葉が出てくるなんて……。

 昨日、目の前で兄貴が消えたそうだから、それを自分の目で見たからには信じざるをえないってことか?


「兄貴は……ナノはね、私たちのギルドが主催したイベントを、ものすごく楽しみにしていたのよ」

「イベント?」

「うん、ナノが企画した一大イベント。私たちもここまで大きなイベントを主催するのは初めてだったから、みんなはりきって頑張っていたの」


 兄貴が死んだ後に開催されたVL内のイベントで、なんでも、VL内で活躍してるヴァーチャル・ロック・バンドが一堂に会し、4つのリージョンを使って開催された音楽フェスティバルがあったらしい。通常は1つのリージョンの中で更に細かく区分けされた一つの土地で行われるイベントがほとんどなのに、リージョン全てを使ってしかも4つ繋がったリージョンで開催されるイベントなんて前代未聞! 日本中のVLユーザーが注目していたそうだ。


「なのにイベの直前に兄貴は死んじゃって、そのすぐあとに『なの実』が現れたのよ。イベントの立案者であり準備のためのスケジュール調整を全て一人でやっていた兄貴がいなくなったのに、何故かイベントの準備は問題なく進んでいたのね。私はきっとカシムさんとマドカさんが必死に頑張っているんだろうと思っていたわ。カシムさんはギルドのリーダーで4つのリージョンのオーナーだったし、マドカさんはカシムさんの恋人でオフィサー(オーナーの補佐をするためにそのリージョン内で多くの権限を持つ役職)だったから……でも、まさか死んだ兄貴がサブアカで居たなんて……」


 そのイベントを成功させるまでは死んでも死にきれなかったっていうのか? それで夜な夜な自分の部屋に現れてVLにサブ・アカでログインしていたのだろうか?


「それに、これ見て」


 姉貴はデスクトップ上にある4つのアイコンを次々にダブルクリックして開いていった。4つのウインドウが順番に開いたのだが、中身はすべて空っぽだった。


「ん? 何それ?」


 姉貴はモニターの横に並ぶ4つの外付けハードディスクを指さした。


「8TBのハードディスクが4つ。兄貴が空のまま置いとくなんて思えないでしょ。なのにこれ全部、32TBものデータが全て削除されているみたいなのよ」

「えー? なんで? そこに何のデータがあったの?」

「知らないわよ! ……本人はもういないんだから」


 結局わからない事だらけでこの一件は終止符を打つ。

 ただ、信じがたいことだけど、兄貴は死んだ後もこの世に留まってパソコンを使いVLにログインしてイベントを行い、最後にネット上にある自分の痕跡をすべて削除して、更に自分のハードディスクのデータも全部削除してから成仏したと、そう考えるしかないってことになる。


「やっぱりなにも気配は感じられないなぁ。この部屋には心霊現象や超常現象の類のものはひとつもない普通の部屋に戻っているよ」


 斗真は一通り部屋を見回すと、今度こそ本当に太鼓判を押してくれた。

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