2 最後の笑顔
兄貴がサブアカでVLにログインしていただなんて、絶対に嘘だ。そうでなければ何か勘違いをしているんだ。サブアカってサブ・アカウント……つまりメインに使っているアバター以外にもう一つ別にアカウントを取得してアバターを作り、その新しいアバターでログインしていたってことだろう?
だけどそんなわけない。死んだ人間がログインするわけない。そいつこそがなりすましだと声を大にして言いたい。でも初対面の人を相手にチャットで会話をする勇気が出てこない。
それでも『そんなことは絶対にない!』って、思い切って発言してみようかとキーボードに手を置いてみた……だめだ、いざ発言しようと思った瞬間に手がプルプル震え出してまともに文章を打てる気がしない。
僕がドギマギしながら考え込んでいるうちに、めぐがキーボードを打つ仕草。チャットテキストが繰り上がった。
『ありえません。兄のサブアカの事は知らなかったけど、兄はもう1ヶ月以上も前からいないんですよ』
姉貴がいるから僕の言いたいことはだいたい言ってくれそうだし、それでいいんだけど、ただ姉貴は今、僕が兄貴のなりすましだったと勘違いしているからなぁ、そこだけはなんとか誤解を解きたいのに……。
カシムがキーボードを打ちだした。チャットテキストが繰り上がる。
『めぐちゃん、黙っていてすみません。「なの実」ってアバターを覚えていますか? 彼女がナノのサブアカでした』
なの実だって? 僕たちの本名そのままじゃないか。
即座にめぐがキーボードを打つ仕草。
『嘘でしょ? あの子が「自分はナノだ」と言ったんですか? それこそなりすましです』
今度はマドカがキーボードを打つ仕草。
『ううん、なの実はナノくんだったよ。私とカシムの3人だけの時は普通に話していたから間違いない。ナノくんしか知らないギルドのイベント進行も全部わかってたし。みんなの前ではネカマ(男性が操作する女性アバター)を演じてて、それが見事に女の子にしか見えなくてカシムと「ナノクンって、本当はそっちの気があるんじゃないの?」とか言って笑ってたのw』
兄貴がネカマでログインしていたなんて嘘に決まっている。そうなると、いったいどこの誰が兄貴のなりすましを演じていたのだろうか?
それにしてもチャットって慣れないせいか疲れる。こういう重要な話はチャットなんかじゃなくて電話か実際に会って話した方がいいんじゃないの? なの実だって? そいつが兄貴のフリをしてみんなを騙していたんだと叫びたくてウズウズしてくる。
いきなり部屋の温度が急激に下がった気がした。
冷気にふわっと包まれてエアコンの風が吹いたみたいな感じ。ゾワッと寒気が襲う。
どうしたんだろう、突然風邪でもひいたみたいな気分。
なんとなくだけど、天井から重苦しい空気が下がってきて、なんだか見えない重圧に押しつぶされそうになる。
「元輝、替われ」
ぞくっと鳥肌が立った。
耳を疑った。
僕はおそるおそる声がした方を振り返った。
「ひぃぃぃ~~あ、あ、ああ、ああああ……兄貴???」
椅子から飛びのいて床に転げてしまった。
死んだはずの兄貴が、火葬場でたしかに骨を拾ってお骨を壺に収めたはずなのに。
その兄貴が青白い顔で無表情のままじっとパソコンのモニターを見ている。
僕は尻餅をついたまま床をズッて後ずさりする。
突然現れた兄貴は僕には目もくれずパソコンデスクに座るとキーボードを打ち出した。
『めぐ、黙っていてごめん。ナノでログインすると驚かすと思って『なの実』を作ったんだ』
マドカがキーボードを打つ仕草。続いてめぐもキーボードを打ち始めた。
『あはは、弟さんからバトンタッチ? ナノくん来たー、これってドッキリか何かなの~? wwwww』
『もう悪ふざけも大概にして! 兄になりすましていたのは弟なんです! 弟は今、兄の部屋にいて兄のパソコンからインしています』
『いや、めぐ、違うよ。俺はナノさ』
するとパソコンデスクに座っている兄貴がモニターを見つめたまま無表情に言った。
「元輝、今すぐめぐのところへ行け」
「え?!」
わけもわからず半ば叫び声で聞き返す。
すると兄貴が相変わらずの、あの、にこやかな笑顔を僕に向けたんだ!
「めぐの部屋へ行っておまえの顔を見せてこいよ」
2度と見ることが出来ないと思っていた。
あと一度だけでもいい!
兄貴の笑顔を見ながら兄貴と話がしたかったんだ。
どこがどうなって何が起きたのかわからない。
だけど、なんだかいきなり夢が叶ってしまった!
「兄貴ぃぃ~~!!!」
嬉しいのか?
驚いたのか?
僕の感情は嵐の海に浮かぶ小船のようだ!
今にもひっくりかえりそうになって大波に揺さぶられている。
兄貴が死んでから泣き虫になった。
そんなんじゃ兄貴が心配して成仏できないんじゃ無いかといらぬ心配までした。
でも今はもう溢れてくる涙をどうしようも出来ない。
「ほら、早く行ってこい」
「う、うん……わかった……」
僕は涙をこすって立ち上がると兄貴の部屋を飛び出して姉貴の部屋へ飛び込んだ。
「も~元輝どういうつもりよーーーー!」
「姉貴ー! 兄貴がいるよ!!」
パソコンの画面に向かって文句を言っていた姉貴は僕の声に目を見開いて振り返った。そしてものすごい形相で僕をにらむ。さっきよりも目を真っ赤に腫らしている。
「僕はここにいるから! 今VLにいるナノは兄貴だよ!」
「はぁ~~??? 何言ってんのよー?」
「画面見て! 兄貴がいるだろ」
姉貴はすぐにVLのビューワー画面に視線を戻す。
ナノがキーボードを打つ仕草。
チャットテキストが繰り上がった。
『めぐ、そっちに元輝が行ったろ? それじゃ、そろそろお別れだ。カシムにマドカ、今までありがとう……あとのことは申し訳ない、ギルドのことよろしくな^^』
姉貴は椅子から飛び跳ねるように立ち上がると僕を突き飛ばして部屋を出ていった。
姉貴のパソコンのVLビューワー画面を見るとログアウトしたナノがインワールドからパッと消えた瞬間だった。
僕も慌てて兄貴の部屋へ戻った。すると姉貴はパソコンデスクの前で両足を左右に投げ出して床に尻餅をついた格好で座り込んでいた。
「あれ? 兄貴は?」
姉貴はゆっくり振り返った。
「……兄貴、笑いかけてくれた……そして、消えちゃったの……」
姉貴の表情にはまるで精気がなく、うつろな目で僕を見ながらそう言った。
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