第3章 VLのアバターたち

1 VLの世界=インワールド

 どういうわけか? その日の夜もまた夜中に目が覚めてしまった。

 トイレに行きたいのだけど、斗真に部屋を見てもらって安心したはずなのに深夜の廊下へ出るのがなんだか怖い。消えたとは行っても、死者の影響によると考えられる不思議な光景を見てしまったのだから、これは多分、テレビで心霊関係の番組を見た日の夜中にトイレに行くのが怖いという、そんな単純な気持ちと同じ類いだと思う。

 それでも出る物は止められず奥の廊下を見ないようにして階段を降りてトイレに行った。


「うぁっ!」


 部屋に戻る途中、何気なしに兄貴の部屋の方を振り返って戦慄する!


「まただ! マジかよ……だって斗真は何もないって言ったのに……」


 また廊下がうっすら明るくなっていて、よくよく見ると昨夜と同じ、兄貴の部屋のドアの下の隙間から明かりがちらちらと漏れていた。


「ひっ!」


 ビクンと体がこわばった。昨日と同じようにキーボードを打つ音まで聞こえだしたのだ。

 振り返らなければよかった、気づかなければこのまま部屋に戻って、何も見なかったままぐっすり眠れたはずなのに。だけど、見てしまった以上無視は出来ない。無視してベッドに潜ってよからぬ想像を膨らませるほうがよっぽど怖い。


 昨日と同じだ。僕は警鐘のように打ちまくる心臓を片手で押さえ口をぱくぱくさせながら辛うじて息をしていた。

 震える足を踏み締めるように歩き、一歩、また一歩、時間をかけてようやく兄貴の部屋の前にたどり着いた。


 中から静かなピアノソロの音楽が流れてくる。

 なんだか今の僕の心境を煽るBGMのように感じて怖さマックス!

 気が遠くなって倒れそうになる思いだ。

 それでも勇気を振り絞ってドアノブに手をかけた。

 だけどすぐには開けられない、開けるのが怖すぎる。

 背筋がビーンと痺れてくるような感触。

 痺れを蹴散らすように肩をいからせて大きく深呼吸。

 ここまで来たらもう引き返せない。

 一気にドアを開けた。


「うわぁ!」


 電気はついていなかったのだが、27インチのパソコンモニターの明かりが煌々と部屋を照らしていた。向かいの棚に整然と並ぶDVDやコミックの背に不気味に照り返しが映り、ゲームのダンジョンの入り口にでも迷い込んだ気分になる。そしてやっぱり部屋には誰も居なかった。


(なんだ、ただの消し忘れか? だけどキーボードの音は確かに聞こえた)


 姉貴が兄貴のパソコンを使って消し忘れたと考えるのがもっとも妥当な推測だが、それだとキーボードを叩く音の説明がつかない。

 おそるおそる部屋に入ってパソコンデスクの前まで行った。


「姉貴? いるの?」


 どこかに姉貴が隠れているんじゃ無いかと思って小声で呼んでみても返事はない。


「あ? あれ? これってVL(ヴァーチャル・ライフ)のビューワー画面?」


 付けっぱなしのモニターを見ると懐かしい光景が。前に兄貴に無理矢理連れてこられたVLの世界が映し出されていた。


 VLは専用ビューワーを立ち上げて三次元世界を映し出し、その中で自身の分身であるアバターを操作してゲームを進めるのだが、普通のネトゲと違ってVLの世界にはシナリオがない。倒すべき敵もいなければ到達するゴールすら無い。用意されているのは広大な世界の土地と海だけ。その中でチャットをしたり、家を建てたり、商品を開発して店を持ったり、他のユーザーが企画したイベントに参加したり、全てがユーザーの意思と実行力によって創られていく世界なのだ!

 ……というような説明で兄貴は熱弁を振るうし、あまりにも熱心に勧められたので僕の方が折れて無料アカウントを作ったんだ。


 VLの世界=インワールドを兄貴に連れられて少し見て回ったが、僕はパソコンでチャットなんてしたことないし、スマホでメールは打ててもキーボードはあまり得意じゃない。それに目的がないゲームなんてどこにヤリ甲斐を見いだせばいいのか見当もつかなかった。


 結局兄貴の半ば強制と言えなくもない命令に従って3回ぐらいログインしたけれど、その後はなんだかんだ理由をつけて誘いを退けログインしなくなった。だからVLの世界を全く知らないというわけでもなかったので、画面を見たときに、ここがVLの世界であることがなんとなくわかったんだ。


 どこかのゴシック調のお城か何かかな? 広いバルコニーのような場所に洒落たソファーセットが置かれていて、男女二人のアバターが向かい合って座っている場面が映っていた。画面左下にチャットウインドウが開いている。

 女のアバターがキーボードを打つような仕草を始めた。するとチャットウインドウのテキストが1行繰り上がった。


『どういこと? それってつまり、もうナノでいることに疲れちゃったのかしら?w』


 女のアバターの頭上には『マドカ』と文字の書かれたタグが浮かび上がっていた。銀髪のストレートヘアが美しくミニスカートが似合っているヨーロピアン風な色白美人。僕の初期アバターとは大違いでとても美しい。

 ところが男のアバターを見て目を疑った。頭上のタグを見ると間違いない『ナノ』と書かれていた。


「あ、あれ? ……兄貴?……」


 兄貴のVLネームが『ナノ』だということは、前にインワールドに引っ張り込まれたときに知った。服装は違っていたけど顔とヘアスタイルはあの時のアバターのまま。今VLビューワーに映っているのは兄貴に間違いない。

 するとまた彼女がキーボードを叩く仕草をした。チャットテキストが1行繰り上がる。


『まさか本気で言ってるの? VLを辞めるなんて言わないで。このギルドはどうするのよ? あなたがいないとカシムと私だけじゃやってけないでしょw』


 しばしの沈黙。

 なんで兄貴がいるんだ? いや、考えるまでもなくすぐわかる。兄貴の姿をしたアバターでも兄貴とは別人だろう。そいつがVLを辞めると行ったから女が引き留めている? これって痴話喧嘩なんだろうか。でも名前までナノって兄貴のハンドルネームだし、いったいどういうことなんだ?

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