2 部屋が持つ記憶
授業が終わって放課後すぐに斗真を連れて帰宅した。
僕はこの手の怪奇現象は大嫌いだ。
テレビでよく心霊現象や心霊写真なんかの番組をやっているが僕は絶対に見ないようにしている。見てしまったが最後、その日の夜は寝付くまでなんだかゾクゾクと悪寒を感じるし、夜中に1階のトイレへ行くために勇気を振り絞るのに相当苦労する。しかし斗真は特殊な能力を持つだけのことはあって、この手の不思議な話には目がない。斗真が幽霊を見たときの話を始めると、どうしてこんなヤツと仲良くなったのかと後悔することもあるくらいだ。
「おい! やっぱりこの家……何かあるぞ」
玄関に入るなり斗真が嫌なことを口走った。
「な、何かって?」
「わからない。でもさ、死霊とか地縛霊とか、そういう類のヤバい雰囲気ではない気がするな」
なんだか斗真が優れた霊力を持つ陰陽師か何かに見えてきた。
「まぁ、とにかくあがれよ。今日は母さんは居ないみたいだ。姉貴も出かけてるのかな? 残念だったな」
「あはは、残念だよ……ん? お兄さんの部屋って2階だよな」
「そうだけど」
斗真は玄関の右にある2階へ登る階段を真剣な面持ちでじっと見つめだした。そのどことなく厳粛な雰囲気に呑まれ、僕は黙っていた。
すると斗真が振り返った。
「2階へ行っていいか?」
「あ……う、うん」
「お邪魔しまーす」
2階へ意気揚々と登っていく斗真の後ろについていった。日中でも家の中は薄暗い。斗真が変なことを言うもんだから普段そんなこと全く思いもしないのに、なんだか家の中が幽霊屋敷のたたずまいに見えてくる。かすかに漂っているような恐ろしい雰囲気にいたたまれなくなり、廊下の電気を付けようとすると、
「待った! 明かりは付けるな。このままでいい」
斗真に言われ、壁のスイッチに伸ばした手を引っ込めた。
「ここだな?」
兄貴の部屋の前に来た。僕が教えもしないのに斗真は兄貴の部屋がわかったようだ。
斗真は何度かウチに遊びに来ていて兄貴とは面識もあったのだが、階段を挟んで右側の廊下の左右にそれぞれ兄貴と姉貴の部屋があり、斗真は僕の部屋に続く左の廊下しか歩いたことが無いはずだし、右側の廊下の奥にある二つの部屋のどちらが兄貴の部屋かは知らないはずだった。
「開けるぞ」
ドアの取っ手を握った斗真が確認する。僕はこくりと頷いた。
昨夜はこのドアを開けただけで部屋に逃げ帰ってしまったので兄貴の部屋に入るのは久しぶり。亡くなってからは今が2度目か3度目だった。ここで兄貴と話し始めると例の『壊れたラジオ』が全開になってしまうから、生前も僕は滅多に寄りつかなかった。
兄貴の部屋は子供の頃から買い集めたコミックとDVDやBDが壁一面の本棚を埋め尽くしていて、それ以外には小さな洋服タンスとベッドとパソコンデスクしかない。
それだけ言うと殺風景なイメージが思い浮かぶだろうけど、DVDとBDは10000枚とは言わないけどそれくらいはゆうに有りそうだったし、コミックに至っては奥行きのある本棚に二重三重に格納されていて、もはや何冊あるのか検討すらつかない。さらに部屋の奥の棚はガラスの扉が開くショーケースになっていて中には数十体のフィギュアが飾られている。
部屋の半分くらいはそれらのアイテムが埋め尽くしているので、この部屋が8畳あるとは到底思えない。タンスの前とベッドの脇と奥のベランダへ出るサッシの周辺、それとパソコンデスクの前だけにわずかな空間があるだけだ。それも兄貴が死んだ後に母が整理したおかげで出来た空間に違いない。部屋中そこかしこに散らばっていたコミックやDVDは姿を消し、前に見たときよりもかなりきちんと棚に並べられていた。
「なるほど……」
コミックやアニメ関連アイテムに埋め尽くされている部屋を見渡して斗真はかすかに頷いた。
これだけのオタクアイテムを目にすれば誰でも呆れるだろうと思うが、斗真の場合、見るべき点がそこにないことは明らかだ。
部屋の物にはほとんど目もくれずに上を見上げ、天井をなめ回すような視線で見つめ続ける。
「何か……わかったの?」
「しーっ!」
斗真が唇に人差し指を添えた。視線は天井を見上げたままだ。
何か見えるのか? 僕は再び昨夜感じた恐ろしい悪寒に震え上がった。
しばらく斗真の返事を待っていたが、すぐに我慢できなくなった。
「おい斗真! どうしたんだよ? この部屋やっぱ……その……何かいるの??」
すると斗真はにこやかな笑顔で振り返った。
「安心しろ。何もないよ」
「え?」
拍子抜けだ。心底わき起こる安堵感。
だけど、同時に……兄貴の霊がもし居たのなら、もう一度あの笑顔に会ってみたかった的な? ある種の期待が失われた喪失感も感じる。なんだか複雑な気分だ。
「おまえが見たのは……もし本当にここでパソコンの音やネトゲで遊ぶ音、それに明かりがついていたとしたら、それは多分一時的なものだな」
「一時的?」
「そう、お兄さんはネトゲが大好きだったんだろ?」
「うん、毎晩欠かさず『ヴァーチャル・ライフ』とかいうネトゲにログインして遊んでいたようだし」
「そういう部屋の主の習慣を部屋が覚えている、って言うと言い方が変だけど、おそらく兄貴のネトゲへの思い入れが残留思念になってこの部屋に干渉した形跡が確かにあるよ。だけどそれも一時的なものだ。もっと前なら、たとえば死んだ直後とかならそれはもっと顕著に出ていたかもしれないが、今はもうだいぶ薄れていて消えかけている。っていうかすでに消えて無くなっているのかも」
不思議なこともあるもんだ。じゃ~昨日見た怪現象は、兄貴が残したネトゲに対する未練が放った残留思念とやらの断末魔の光景だったのか? とにかく斗真に完全に消えたと太鼓判を押された以上本当にもう平気なんだろう。
「1ヶ月以上経ってもこれだけ痕跡を残しているってことは、今までも他にいろいろと何かあったんじゃないの? 昨日見たのが初めてなの?」
斗真にそう聞かれて思い当たることといえば、たまに姉貴が「まだ隣の部屋に兄貴が居てネトゲしてるような気がしてならない」とぼやくように言っていたことぐらいか。
「お姉さんはもしかしたらその気配を感じ取っていたのかもね。とにかくもう今は気にしなくても大丈夫そうだよ」
笑ってそう言ってくれる斗真の顔を見て僕はまた複雑な気持ちになる。幽霊なんて居て欲しくない、でも兄貴の幽霊ならもう一度会ってみたい……。
「何してるのよ?!」
いきなりヒステリックに、だけどドスの効いた姉貴の声に飛び跳ねるように振り返った。
「びっくりするじゃない! 兄貴の部屋に誰か居るんだもん。ここで何してるのよ」
姉の菜野見恵(なのみめぐ)、いきなりの登場で面食らった。今日は大学へ行ってなかったのか? 相変わらずの目つきの悪さで僕をジロッとにらんだ。
ちなみに『恵』と書いて『めぐ』と読ませるのは『めぐみ』と読むと『なのみめぐみ』で苗字の『み』と被るから余計だということで『めぐ』になったらしい。
「あ、お姉さん! お邪魔してます!」
斗真は姿勢を正してうやうやしくお辞儀をした。
「あら、えーっと、有賀君、だっけ? 久しぶりね。元気してた?」
いきなり性格が急転直下で180度ひっくり返る姉貴。僕には絶対に見せないヨソ行きの笑顔が炸裂した。姉貴のこの笑顔しか見た事が無い斗真は「上品で可愛い系の美人だ!」と言っている。
「覚えていてくれたんですか? 嬉しいです」
「えっと、最後に会ったのは……」
「お兄さんのお葬式のとき…… ですね」
斗真は顔を赤らめてまじまじと姉貴の顔を見つめていた。そのときの斗真の顔のだらしなさと言ったら見てるこっちが恥ずかしくなるほどデレデレしちゃって。
姉貴の本性を知らない誇大妄想を解くために普段の姉貴の話をいくらしても「姉弟なんてそんなもんだよ」と言ってまるで取り合わない。相当姉貴に惚れ込んでいるのだろうか。
斗真に兄貴のことを言われた途端に姉貴の顔が曇った。というより普段の素の顔に戻った。
「勝手に友達を連れ込んで何してるの? 兄貴の遺品を持ち出したりしたらただじゃおかないわよ」
「そんな事しないよ。ただ……」
「ただ? 何よ?」
姉貴に昨夜の事を話した。
斗真が霊感の強いヤツだということは姉貴もおそらく知っているはずだから、それで連れてきて部屋を見てもらったと言ったんだけど、
「ばかばかしい! あんた寝ぼけて夢でも見たのよ。さ、早く自分の部屋に行きなさい。有賀君、ごゆっくりね」
まるで取り合ってもらえなかった。斗真は「はい!」と嬉しそうに返事をした。
結局その後、僕の部屋で取るに足らない世間話をして斗真は帰っていった。
昨夜の怪奇現象は兄貴のネトゲに対する思い入れが残留していた残り香だと解釈した斗真の分析を僕は信じた。そしてそれがすでに消えていると聞いて、とりあえずは納得したのだが……。
ずっと後日になってからだけど、斗真が言った言葉を思い出すと今でもゾッとする。
「だって、あの時もし正直に部屋の状況を説明したら、おまえ怖くなってもうあの家に居られなくなっちゃうと思ったからさ。嘘も方便とか言うだろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます