2 部屋に誰かがいる?
兄貴が死んで1ヶ月半ぐらいが過ぎたある日の真夜中、多分午前2時ごろ、僕はトイレに行きたくなって目が覚めた。寝る直前にコーヒーやジュースを飲んだ時は大抵この時間に目を覚ましてしまう。
2階の自室から1階のトイレに行って部屋へ戻ろうと階段を上って、自室とは反対側の廊下の奥にある兄貴の部屋の方を見た。以前は無到着な兄貴の部屋はドアが開けっぱなしになっていて、真夜中だというのに部屋からキーボードを打つ音やネトゲのBGMが漏れていたものだ。
向かいの部屋から姉貴がものすごい形相で飛び出してきて、これ見よがしにバタン! と大きな音をたてて兄貴の部屋のドアを閉める姿を何度か目撃したことがある。
そんな事を思い出しながら何気なしに見ていると、兄貴の部屋の前の廊下がぼんやりと明るいことに気づいた。不思議に思ってさらによく見ると兄貴の部屋のドアの隙間から、注意深く見ないと気づかない程度、わずかに明かりが漏れていて暗い廊下をかすかに照らしているようだった。
部屋の中の電気がついている? ということは中に誰かいるのかな?
(こんな時間に誰だろう? 姉貴かそれとも母さんかな?)
兄貴の部屋は生前のまま手付かずで残してある。正確には散らかっていた部屋を母が綺麗に片付けて掃除してあるのだが、でもこんな時間に掃除なんかするわけないだろうし。だとしたら姉貴が何か物色でもしているのだろうか?
どちらにせよ僕には関係なさそうだし誰がいるのか確かめる気力もないほどに眠かったし、それ以上の詮索はやめて部屋へ戻ろうとした。泥棒が侵入しているなんて考えられないし、家族の誰がそこにいて何をしていようがさほど興味もわかなかった。
するとかすかにカチャカチャとキーボードを叩くような音が聞こえた。聞き間違いかと思えるほどのかすかな音だったけど、聞き耳をたてると、それは確かにパソコンのキーを叩く音に間違いない。母はパソコンには触れない。父も仕事でパソコンを使ってはいるのだろうけど、いつも操作が難しくて面倒だと文句ばかり言っている。だとすると……今聞こえている流暢なキータッチの音から推測して姉貴以外にはありえない。
(姉貴のやつ、兄貴のパソコンを使っていったい何をしているんだろう? しかもこんな夜中に)
それにしたって僕にとってはどうでもいいことだ。僕が何を言ったって不機嫌そうな顔でジロッと睨むだけだし触らぬ神に祟りなし、姉貴に対しては、何か天変地異にも似たよほどの重大事でも起こらない限りこちらから話しかける気にはなれない。
それでもわずかばかり興味をそそられないこともない。普段から兄貴を毛嫌いしていた姉貴が、しかもこんな真夜中に兄貴のパソコンをいじるなんて、よほど重大かつ早急な理由でもない限りありえないだろうと思えるのだ。その早急な理由ってなんなんだろうか?
僕は姉貴に気づかれないようにしのび足で部屋の前まで行った。別にばれても構わないとは思うけど、なんとなくだ。ドアの下のわずかな隙間から部屋の明かりが漏れている。音はしなくなった。しばらく中の様子をうかがっていると、またしてもキーを叩く音がした。ブラインドタッチさながらの素早いキータッチの音がカチャカチャとはっきり聞こえてくる。すると「シュゥ~」と、そして「タン」と、その直後「カーン」と? さらにユーロビート系のダンスミュージックのような音楽まで鳴り出した。それに被って例の流暢なキータッチの音がカチャカチャと交錯する。
これは聞き覚えのある音だ。「シュゥ~」という音はアバターがテレポートをして飛ぶときの効果音。「タン」という音は空を飛んでいたアバターが着地した時の効果音。「カーン」という鐘のような音は、何かアイテムを操作した時の効果音に違いない。これって、亡くなる少し前に兄貴にしつこく誘われて、仕方なくしぶしぶアカウントを作っていやいやログインさせられたことがある「バーチャル・ライフ」というネトゲをプレイしている時の音に間違いない。
(姉貴も兄貴に誘われてバーチャル・ライフ……えっと略してVL(ヴイエル)だっけ? それのユーザーなのかな? でもどうして兄貴のパソコンでプレイしているんだろう)
とにかく音の正体は突き止めた。人を頭ごなしに見下して必要があれは顎でこき使う姉貴とはあまり仲が良くなかったし、ここで覗きみたいなことをしているのがばれたら何を言われるかわかったもんじゃない。僕はまた忍び足で廊下を歩き部屋に戻ろうとした。
「クシュン!」
姉貴がくしゃみをする声が聞こえた。
僕はそのくしゃみに反応して全身に鳥肌がたち微弱な電流が頭から尾骨にかけて走り抜けるのを感じた。
同時に手足が硬直し思わず息を飲む。
たかがくしゃみくらいで? なんでそこまでビビる? って?
これはビビらずにはいられない。
なぜなら、そのくしゃみは兄貴の部屋の向かいにある姉貴の部屋から聞こえたんだ。
確かにあのくしゃみは姉貴の声だった。それはつまり姉貴は今自分の部屋にいて兄貴の部屋にはいないことを意味する。だとすると今兄貴の部屋にいるのは誰だ?
パソコン音痴の母なわけはない。
パソコン嫌いの父親がネトゲなんかするわけがない。
それ以外うちの家族に誰がいる?
僕か? でも僕はここにいる。
……いやいや待て待て冷静に……でも、いったい誰なんだ?
とたんに心臓がバクバクと、まるで警鐘をならして身の危険を暗示するように見境無く弾み出した。
まさかで泥棒?
いやいや、泥棒が人んちのパソコンでネトゲするか?
え? まさかで兄貴?
いやいや兄貴は死んだ。棺が燃えて骨を拾ったわけだからそれは紛れもない事実でこの目で確認済みだ。それとも、兄貴がネトゲしたくて化けて戻ってきたのか?
そう思った途端、さっきよりもさらに激しい電流が全身を駆け抜ける。背筋がゾッとする悪寒なんてレベルじゃない。立っているのが辛いほど体がこわばってきた。気のせいか目がくらんできてフラフラする。
非常事態だ!
姉貴を呼ぼう!
僕一人じゃ怖くて何もできない。
でも、今ここで兄貴の部屋のドアに背を向けて姉貴の部屋を向いた途端、なんだか後ろから得体の知れない何かに襲われそうな気がして怖すぎる。心なしか廊下の空気が重くよどんでのしかかってくるような気配すら感じてきた。
僕は兄貴の部屋のドアをじっと見つめたまま嫌な汗が額や背中にツーと流れるのを感じていた。
僕が固まって口をパクパクさせながら辛うじて息をしているその間も、中からは相変わらずダンスミュージックが流れキーボードを叩く音が聞こえていた。
(うぅぅ……どうする、どうしよう、叫ぶか? ……あぅっ! 声も出せない)
震える手にしっかり力を入れて僕は右手を前にじりじりと差し出す。
指先がドアの取っ手に触れた。
反射的に取っ手を握りしめる。
そこで肩をいからせて大きく深呼吸をした。
足元を見ると、ドアの隙間から漏れている明かりがチラチラと揺れている。
思い切ってドアを開けた!
「わぅっ!」
声ともため息ともつかぬうめき声をあげてしまった。そして今まで以上に体が凍りついた。
兄貴の部屋の中は真っ暗で誰もいなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます