第2話 本編
「どう? 夜だけど映ってる? 映ってるみたいだね。はいはい、どうも。《ナツメちゃんねる》の夏目まなみです。初配信です。
見るのはいっぱいやってるけど、発信は初めて。小学六年生です!
今からあたしと大西研治とが、夏休みの自由研究で心霊ハントをしにいくんですよ。準備OKとなりました。研治は自称心霊ハンターなんです。お、コメントきたーッ。ええっ、自己紹介してだって。ほらどうぞ」
「おれは撮すので手いっぱいだ」
「べーだ。せっかく心霊退治を発表しようって言い出したんでしょう。そのついでに映像を撮って、イイネを稼ぐ。あたしって天才だと思わない?」
「思わない」
「むかつくー。学校の子からコメント来てるから見てみよう」
《クールだ》《髪の毛ボサボサの心霊ハンターかよ》《まなみの方は美少女だな》
「ほめられた」
「カメラが異常なんだろ」
「研治! ひどいよそれっ。でも美少女かあ、いいなそれ」
「まなみ、宿題をするのかしないのか」
「やります、やりますよ! むぅ。さてと。いま、あたしらは、広島市内からチンチン電車で三〇分のところの井口にある、『首なし地蔵』の祠にいます。あたしらがこの祠を選んだのは、ここに身の毛もよだつような伝承があるからです。研治くん、お話をどうぞ」
「伝承によると『ある時、通りかかりの三人の若い武士の内の一人が、「この首を斬ってみようか」と言ったので連れの二人は「硬い首が切れるわけがない。地蔵尊を傷つけたら罰が当たるぞ」と止めたが、
忠告を聞く事もなく首を斬り落とした。と同時に、その若武者がバッタリ倒れた。見ると折れた刀の先が首につき刺さっていた。
それ以降誰言うとなく「首なし地蔵」と云われるようになったという』」。
《いい配信だった》「待って! この首なし地蔵とツーショットを撮った人は、遠からず自殺するっていうの!」
《あ、そうなの? たとえば?》
「え。た、たとえば?」
《まさかアクセス数めあてのウソ情報じゃないだろうな》《近頃のガキは、悪知恵が発達してるよな》
「言いたい放題じゃん。えとね、その自殺の話の前に、じっくり首なし地蔵を撮ってみましょう」
《逃げたな》《詳しくはCMの後で、かよ》《まあ、美少女を眺められるだけでよしとしよう》
「首なし地蔵を撮してみます。手前の、赤いちゃんちゃんこを着たのが新しいヤツですね。首があります。この暑いのに、しっかり体が布で覆われてる。右端の奥が首なし地蔵です。えーと、やっぱり首がありません」
《そりゃそうだろ、見りゃ分かるよ》《自殺の話を聞かせろー》
「研治ーッ」
「しょうがないな。あくまで噂話だぞ。
この地蔵を斬った若武者の呪いのために、地蔵に敬意を払わない人間にはたたりがあると言われている。面白がって写真に撮った人の中には、夫の暴力が続き、耐えかねて室内で自殺したものもいるし、
大金持ちだったのが急に借金が増えて自殺したものもいる。夜中に起き出してフラフラ自転車で道路を走り、事故死したものもいるし、
近くの
「へえ……研治、オジサンみたい」
《さすが心霊ハンター》《ほんとに小学生かよ》《ハッ。もしかしてこれ撮してヤバいやつ?》《ヤバいかも!》《地蔵ってなにかの隠語だっけ》
「隠語じゃない。マジ怒るぞ」
《きゃー、クール!》《地蔵とツーショット撮れよ》《そうだそうだ、夏休みの宿題なんだろ、ちゃんと研究の成果を見せろよ》
「よし、宿題を済ませてしまおうぜ。おれたちはいま、首なし地蔵の前にいる。首がないから当然、表情は見えない」
「そうね。こうして空を撮してみると、雲が重く垂れ込めてる。月明かりさえない夏休みの最後の日です。どうしてかわからないけど、ここに来るなり、背筋がゾクッとしました。あたしらは、この正面に座って動画を撮っています」
スマホ電灯の下では、ただの首なし地蔵にしか見えない。風の音がさあっと、さえかえっている。雨が降ってきた。アスファルトに、ぽろん、ぽたんと落ちていく。
祠はアスファルトの道の脇にあって、草木は一本もない。だんだん、こころが冷たく凍えていく。さっきまでウキウキしていたのがウソみたいになってきた。地蔵に首がないから、こんなものがなしい気分になるのかな。
「いま、スマホの懐中電灯で地蔵を照らしてみるね。なおさらゾッとしてきた。ほら……ボンヤリ、青白く光ってる」
《見える見える。首なし地蔵だけが光ってみる》《ふしぎ!》
「まなみ! この地蔵は邪気に満ちている。むやみに近づくんじゃない」
「近づくなったって、向こうがすり寄ってくるんだもの。ねえ研治、そんなことあるの?」
「波動を感じる。心の奥まで凍り付くような冷気だ。邪気にまみれ、よこしまに満ちた怨霊のにおいがする。この動画を撮るのは、もうやめにしたほうがいいんじゃ」
「ダメ! せっかくアクセスも増えてきたのに。地蔵がすり寄ったっていうのは、あたしのウソ情報です! アクセスを増やすためにウソ言いました、ごめんなさい!」
「まったく。この先危険なことが起こるかもしれんぞ。まなみを危険にさらすわけにはいかない。今からおれは、動画カメラと自分のスマホをまなみに渡し、スマホの懐中電灯で地蔵とツーショットを撮ってみる。
おい、カメラを落とすなよ。あと、スマホの懐中電灯もしっかり構えておけ。おれが怨霊を呼んだときに、現れたならしっかり撮るんだぜ」
「あ、研治が祠の中に入っていきました。あんなに狭いのに。明かりが祠の中から漏れています。だいじょうぶ、研治がついてる。こんなの研治にはたいしたことじゃない」
あたしは、周りをみまわした。
この祠やまわりには、祠の灰色の壁や、ひっそりしたアスファルトなどから立ちのぼる空気。
あたしは、いやな予感がしてくるのを感じた。
どんよりした、鈍い鉛色の雨が一面に降り注いでくる。
ぶるるる。
首元に雨。寒気が、急に襲って来た。
息苦しいはずがないのに、なにかに圧されている気持ちになる。わけもなく、心臓がドキドキする。地蔵に供えられた花が、異様なほど気持ち悪い。
もし、首なし地蔵の伝承がホントだったらどうしよう。ツーショットを撮った人は遠からず自殺する……。アレがほんとなら。でも、あたしは、あたしは関係ないんだし。
ひあ。
明かりが、消えた。
「研治?」
あたしは、祠に目をやった。
……だれもいない!
《フハハハハハハハ》
なにそれ。ふざけてるの?
研治の気配がしない。い、いなくなった!? 代わりに、めちゃくちゃ濃い気配が祠から漂ってきている。
ま、まさかね。これは気のせい。さっきまでちゃんといたのに、消えるわけないじゃん。
スマホの明かりを入れよう。入れたらきっと、気のせいだと分かる。研治のいどころだって分かる。あたしはスマホのスイッチに手を伸ばそうとした。
《首をくれ……首を……》
首元にザラリとなにかが触ってきた。ジトリ。冷たい。からだじゅうの毛が逆立ち、背中に泡ができてきた。すぐ前の気配が強くなってくる。顔をあげちゃダメだ。ダメだ。う、触らないで。
まわりを見てみよう。
研治はここにもいない。
あっちには?
灰色のアスファルトがあるだけ。
「研治ぃ。なにしてるのぉ。待ってるんだよお。あ、やっと来た! けんじぃ! 研治ってば、イジワルッ」
あたしは、目の前の人影に飛びついた。だが、相手はすうっと消えていく。雷鳴がする。
《首をくれ……首を……》
「ふざけないでよ。研治、どうしたの? ねえってば」
見えないなにかが『がしゃん』と花瓶を蹴飛ばした。アスファルトにシミがじんわりと広がる。肉がくさったみたいなすえた臭いが、からだをなでまわす。
溶けるような空気があたしを包んでいる。がさごそ、がさごそと小さな音がしてきた。すうっと首を触る感触。
指で払ってみた。気のせい……? それとも。
「きゃあっ」
あたしは悲鳴を上げた。首元を、ゴキブリみたいなのが駆けて行ったからだ。
いやだ。やめて。もう、やめて!
こっちに来ないで!
あっち、行って!
もぅ、首を触るなってば!
「研治ッ」
人影がまったく見当たらない。クスクス忍び笑いが聞こえてくるだけだ。
「からかうのは、もうやめてッ。もう怨霊はお腹いっぱいよ」
閃く光が一瞬、祠をぼうっと浮かび上がらせる。あたしは、だれともなく願っていた。
「おねがいだから、もうやめて……。研治もなにが心霊ハンターよ。ううっ、雨が降ってきた」
青白く、耳もつんざく雷光の中で、アスファルトに横たわるからだが見えた。うめき声をあげている。あれは……あれは、研治!
「研治、研治ッ」
駆け寄ってかがみ込んだ。息があがってしまった。冷汗がどっと出る。冷たい雨と交じって、身体中が冷え切っていた。正座して研治の頭を膝の上に載せる。見ると唇から血が出ている。
「敵は強い。おれのスマホを貸してくれ」
「どうするの」
「仲間の心霊ハンターサイトからダウンロードした『退魔封印アプリ』がある。それを起動させて、怨霊を退治する」
「そんなの、うまくいくの?!」
「やってみなければわからん」
「もうっ。だいたいあんた、さっきまでどこにいたのよ!」
「霊界だ」
「なんですって!」
「異次元空間に位相したら、邪霊に追い詰められたんだ。仲間を呼ぶ、いいから、スマホを貸せ」
あたしが、預かっていたスマホを渡すと、研治はアプリを起動させた。
雷鳴が、空をぜんぶ砕いたみたいだ。胸の奥まで、金属線のように突き刺さる。ごうと雨が降る。その雷鳴の中、スマホが輝いた。地蔵が光る。同時に、邪悪なささやき声が、脳内にこだました。
あは、あははは。あたし、夢中になって逃げようとしたが、足がよろめいて進めない。
「地蔵の呪いが降りかかる、とおれは前に言ったろう? 地蔵を斬った若武者の霊が、すぐそばに立っている!」
急に吹いた風が嵐のようにあたしをもみくちゃにした。
「アプリよ、退魔せよ!」
研治が叫ぶ。
なにも、返事がない。
「効かない」
研治は冷静に言ったが、あたしは胃が痛くなってきた。
「リスナーのみなさん、動画配信を終了します」
あたしはカメラをいじった、が。
「う、切れない」
「なにを、馬鹿な!」
「うううう。あたしの伯母は、飛び降り自殺をしたのよ。ああ、なぜこんなときに、思いだしてるんだろ」
研治の目はじっと前を向いていて、からだは石のようにこわばっていた。あたしがやっと起きあがって研治の手に触れると、研治の目はカッと見開かれ、大きく息をついていた。
「スマホの再起動をかけてみる」
「そんな時間があるの?」
「やるしかない!」
ぴたん、ぽたん。ぴたん、ぽたん。スマホからはただ、アプリの音がこだまするだけ。
「もう、ダメだ。おれでは太刀打ちできない」
「そ、そんな!」
そのとき、坂を駆け上って1人のGパン姿の青年が現れた。雨の中、髪の毛がぐちゃぐちゃになっている。
「怨霊よ、退散せよ!」
青年は、叫んだ。
答えは風だけだった。
「研治、いっしょに真言を唱えろ! おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばらはらばりたやうん」
ふたりがいっしょにそう唱えたとたん、邪悪な空気は「ぎゃあああ」という叫びと共に消え去った。
助かった。
助かったんだ。
あたしは、上げていた研治の頭を固く抱きしめた。
「助かったのよ、研治!」
「……むぐ?」
あたしは、彼の頭を放り出して立ち上がった。服はすでに雨で重くなっていた。
「ありがとうございます! えーと、あなたは……」
「蒼太という。研治の緊急救難信号を受信した」
青年は、こともなげに言った。片手にスマホを持っている。
「ひとりで強い邪霊と戦うなんて、無茶をする」
「アニキ……」
道路に転がっている研治は脱力したようにつぶやいた。
「アニキ?」
あたしはポカンとしてしまった。青年は、さっと服を脱いであたしにかけてくれた。
「自己紹介するよ、心霊ハンター仲間の蒼太だ」
アニキがあたしの手を握った。温かい手だ。雨がザアザア降っていたが、心の中に灯がともった。激しい動悸が耳元でこだましている。
「――ど、どういうこと」
「手に負えない邪霊と戦うんでね、あらかじめスマホから兄に救難信号を送っておいたんだ」
「もぉ。早く言ってよぉ!」
「帰ろう」
あたしたちは動画配信を終了し、家に帰った。(了)
心霊ハンター研治と首なし地蔵 田島絵里子 @hatoule
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