第3話
教室に入ると、10人ほどの目が僕の方に向いた。
3グループに分かれて談笑していた会話が一瞬止まる。哲哉くんは興味が無さそうに後ろの端の席に座って窓から外の景色を見ていた。
「東京から来たって本当?!」
快活そうな男のグループがこちらに来て訊いてきた。
「うん」
「いいなあー、東京」
同調する声。違う子が口を開いた。
「芸能人とか見た?」
「たまに見かけたよ。俳優のー、名前忘れたけどドラマの主演やってる人とか芸人も何人か」
「うわー、引っ越したいわー。こっちマジで何もないもん」
彼らは口々にこの地域の悪い点を並べた。夏なのに雨が多い。コンビニやスーパーは車を出さないと行けない。潮風で自転車が錆びる。冬は重たい雪と時化で釣りができない。等、止まらなかった。
「でも、なんで引っ越してきたの」
それは、訊かない方が。空気読めよ。声には出てないがそんな感じの間があって、数人が彼を咎めるような目を向けた。
噂だろうが、事情を知っている人たちは苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
「母親が、こっちで働きたいんだって」
そうか、田舎って噂広まるの早いって聞いてたけどこれほどとは思っていなかった。
「お父さん居ないんだっけ?」
「おい、やめろって」
正義感の強そうな子が、先程の警告がありながらも空気を読まない彼を睨んだ。
言わないほうが良い気がした。片親の理由。離婚の原因は父と母、双方にあった。父は同期の女性に心が傾き始めていて、母は父への興味を無くしつつあり、父が帰らない日は知らない男を連れ込んだ。僕は自室に籠り粘着質な音を聞きながら宿題をしていた。「絶対に出てこないで、音を立てないで」母はその日にはそうやって懇願した。玄関の僕の靴は隠されていた。つまり、僕は居ない人間だった。
リップで艶やかになっている赤い唇は蛭のようで、桜色のチーク、安っぽい香水、髪をヘアアイロンでカールさせて若い女を演出する母は最早誰か分からなかったのを覚えている。
嫌な記憶の断片が、浮かれていた僕を暗所に引っ張る。言葉を思い出す。「うまくやりなさいね。あなたくらいの年に体験する別れは辛いから」
そうだった。また引っ越すか、僕をもう一度殺しに来るんだった。じゃあ、言いたくないことは言わなくて良いか。
「ああ、気にしないで。そうだよね、純粋に疑問だよね。えっとね、離婚してるんだ。大きい理由は多分何人かは知ってるでしょ。そう、君とか」
正義感の強そうな、彼を見ると凄く気まずそうで
「え、ええと」
口ごもるだけ。「ほら、言えば良いじゃん。でもさ、さっきの正義感を示したのってなんなの?僕を救ったつもりなの?どうせ仲のいい人たちには言ってるんでしょ。両親が2人とも浮気してたらしいって。薄いよね君の正義とやらは」言わないし、言えるわけがない。
ふと、哲哉君を見る。視線に気付いたのか一瞬僕と目が合った。すると、微笑を浮かべて窓のほうに顔を向けた。
戸が横に開く音。若い男の先生が教室に入ってきた。彼はこの空気を察したようでー。
「はよ席に着けー。あと、藤田くんはこっち来て」
先生の指示に従ってみんな席に着いた。僕は、教壇の前に立たされた。
「名前と自己紹介して」チョークを渡された。これをさっきの空気を読まなかった彼と、薄い正義感のある彼とどちらに投げたら面白いか。下らないことを考えながら黒板に向かい合う。
藤田徹と書いて、黒板を背にした。
「東京から来ました。藤田徹です。趣味は音楽鑑賞とアニメを見ることです。今日からよろしくお願いします」
頭を下げた。
「そういうわけやから、みんな仲良うせえよ。席はー」
哲哉くんの横の席が空いている。教室に入ったときには分からなかったが、恐らく昨日には用意されていたのだろう。
「あっこ、大野の隣」
指し示された席に歩き出した。薄い正義感の彼の横を通ったが、彼は僕を視界にいれまいとそっぽを向いている。席に座った。ランドセルを開けて教科書やノートを取り出して机の下に設けられた空間に入れて、最後に筆箱を取り出して机の上に置いた。
「また会ったね、よろしく」
「ああ、よろしゅうな」
彼は先生の目を盗んで、ノートの切れ端に何か書いていた。それを丸めて僕に放って渡した。
「おもろい遊び教えたるから、17時に漁港の裏に来い」
彼を見ると、突っ伏すようにして寝ていた。右腕を枕のようにしている。
朝の会で授業は始まってないから問題ないのかもしれない。半袖のTシャツから伸びる薄茶色に焼けた腕、脇がチラリと見えたときに息を飲んだ。
タバコが押し付けられたような火傷の痕があった。
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