第5話 脅迫
畑中は、病院のベッドの上にいた。手術を受けて、麻酔が効いていることもあって、医者からは、
「2、3日は、絶対安静状態です」
と言われていたので、4日目に刑事がやってきて、事情を聴くことになった。
それまでは、とりあえず、捜査員を一人張りこませておいた。殺害未遂だといっても、犯人が、病院を狙わないとも限らない。
もし、この状態で、病院に犯人が忍び込んで、
「本懐を遂げた」
などということになると、警察の面目は丸つぶれだからである。
殺人未遂とはいえ、人をナイフで刺すという事件は社会的にも影響が大きい。犯人が通り魔だったとすれば、
「市民はおちおち表を歩いてはいられない」
というわけである。
K警察から、迫田刑事が四日目にやってきて、先生に、
「事情を聴ける状態ですか?」
と聞いてみると、
「そうですね。20分が限度でしょうね?」
と言われた。
先生の方も、ギリギリのラインでの指摘なのだろう。
「だけど、患者が興奮するような話になれば、私が即座に中止にいたします」
と言ったということで、その時点で、
「先生が立ち合う」
ということは決定事項だったのだ。
時間としての20分というと、人によって感じ方はまちまち、だが、刑事のように、
「取り調べや、事情聴取」
などというものは、えてして、
「時間の制約を受ける」
ということがあったりする。だから、刑事は絶えず時間というものを意識しておく必要がある、
特に考えられることとして、今回のように、
「被害者が、重体の状態である場合」
など、医者の許可が必要だったりする。
さらに、今度は、容疑者の取り調べともなると、シビアである。
「命に係わる」
ということではないのだが、容疑者として、逮捕状を裁判所に申請し、それが下りたことで、
「犯人逮捕」
ということになるのだが、
「起訴するまでに許される逮捕交流は、基本、48時間ということになる」
ということであり、しかも、そこに弁護士が入ってくることになったりすると、厄介になってくる。
かといって、昔のように、
「自白の強要」
などをしてしまうと、それこそ、弁護士から、つるし上げの対象になるだろう。
もし、この時つるし上げに遭うことはなくとも、実際に起訴されて、裁判ともなれば、
「警察の脅迫を受けて、自白を強要された」
と言えば、すべてがひっくりかえることになる。
昔の刑事事件というと、取調室の灰皿の上には、タバコが積み上げられていて、密室の中で、容疑者は、白状するまで、拷問のようなものを受けているというのがイメージとしてあった。
昭和の刑事ドラマなどでも、警察がチンピラのようば連中を、
「別件逮捕」
しておいて、
「知っていることを、拘留時間ギリギリまでに白状させる」
ということで、今から思えば、
「一発でアウト」
というような捜査を行っていたのだった。
今では取調室を密室にすることは許されなかったり、昔のように、
「かつ丼」
などを使っての、自白に追い込むなどということもしてはいけない。
何といっても、取調室には食事や飲み物は持ち込めないのだろう。
さすがに、水やお茶くらいはいいが、それ以外は基本的にダメである。
要するに、昔の取り調べというと、
「アメとムチ」
だったのだ。
かつ丼などを使っての、利益供述を引き出すための、
「アメ」
と、恫喝や相手を心理的に追い詰めるような、犯罪や量刑などの話と言った、
「ムチ」
とを使い分けていたのだろうが、さすがに、
「冤罪かも知れない」
という状況で、無理な取り調べもできないだろう。
しかし、事件が凶悪であればあるほど、刑事の中にある、
「勧善懲悪」
な気持ちというものが、
「いかに犯人を追い詰めるか?」
ということに繋がっていくのではないだろうか?
それを考えると、畑中は被害者なのである。医者の言葉にあった、
「20分」
という時間でも、もらえただけで、よかったのではないだろうか?
迫田刑事が、部屋に入ると、被害者である畑中は、ベッドで点滴を打たれていた。
隣には担当看護婦が、液の調節をしていて、さすがいナース、てきぱきと動いていた。
「すみません。警察の者ですが」
といって、中に入ると、ベッドの上で仰向けになっている被害者が、こちらを向いた。
頭には、包帯がまかれていて、医者の話では、
「頭の怪我をしている」
ということだったので、そういう意味でも、変なショックは与えないようにというように、言われたのだった。
「少し、お話を伺えれば」
と、相手は被害者なので、そのあたりの注意は十分にしておく必要があるというものだ。
迫田刑事が話しかけると、畑中は、まるで、
「まな板の鯉状態」
であった。
といっても、苦しんでいる様子もなく、こちらを見つめる目に、迷いや不安のようなものはなかった。意識がしっかりしている証拠であろう。
「僕は刺されたんですよね?」
と、畑中が力なく言った。
普段の本人がどんな人なのか分からないから何とも言えないが、明らかに憔悴状体であるということだけは分かる。
「あなたが、刺された時のことを知りたいと思いまして」
と、迫田がいうと、
「それが、あまりにも突然のことだったので、いきなり現れたやつがいたと思うと、横っ腹が、急に熱くなって、抑えると、手が濡れてるじゃないですか。しかも、べとべとに。僕はとっさに、血だということは分かったんですが、どんどん、熱くなってきているところが、ドックンドックンという脈が打つのを感じると、傷口の感覚がマヒしてくるのを感じたんです」
というのだった。
迫田刑事も、以前、犯人に刺されたことがあり、似たような感覚があったので、
「彼はまんざら嘘を言っているわけではないな」
ということを考え、それよりも、
「何ともこれだけ的確な意識があったのであれば、刺された瞬間は冷静だったのかも知れないな」
と感じた。
しかし、それでも、それが瞬時に感じたことであったら、
「錯覚だったのかも知れない」
と思い、
「幻だったような気がする」
と後から思ったとしても、時間が経てば、記憶は元通りのような気がしていたのであった。
「君は、その時の犯人を見たのかな?」
と聴いてみると、
「いえ、そんな余裕はなかったですね。横っ腹が痛くて、顔を上げることができなかったですからね。とにかく痛いところを抑えて、これ以上、出血のないようにということを無意識に考えていたように思えてならないんですよ」
というのだった。
「じゃあ、誰かに刺されるという心当たりもないですか?」
と聞くと、
「いいえ、そんなものありませんよ。分かっていれば、苦労はしません」
と、少しヒステリックに言った。
しかし、これは
「犯人が憎い」
というよりも、
「何か、喋れないことがあり、それを警察に探られるのは困る」
と思っているように思えてならないのだった。
ただ、何かに怯えているという様子は相変わらずない。
「本当に、心当たりがないのかもしれない」
と思ったが、それならそれで、自分が狙われたことに変わりはない。
本当に通り魔だったとしても、
「本当に溜まったものではない」
ということになるのだろう。
「だが、もし、この男が何かを隠しているとすれば、何を隠しているというのだろう?」
迫田刑事は、考えてみた。
襲われる覚えが本当にないのだとすれば、
「通り魔」
ということになるだろう。
だとすれば、通り魔殺人のウワサを知らなかったということだろうか?
それを考えて、
「畑中さんは、このあたりには、最近越してこられたんですか?」
と聞いてみると、
「いいえ、そんなことはありません。もう二十年近くは住んでいます」
ということだ。
「じゃあ、あのあたりで、通り魔事件が頻発していることはご存じなかったんですか?」
と聞かれたが、
「いいえ、そんなウワサがあったんですが? 私は知りませんでした」
と、平気な顔をしていう。
男なので、それほど気にしていないだけなのかも知れないが、もし、畑中の言う通り、本当に誰かに狙われる覚えがないのであれば、普通なら、
「うわっ、怖い」
とばかりに、恐怖を感じるはずではないだろうか?
それがないということになれば、何か他に、隠していることがあると考えるのも、無理もないことなのかも知れない。
「私は一体、どうしたんですか?」
と、どうやら、畑中という男は、何があったのか、理解していないようだ。
ただ。
「自分が、誰かに刺された」
ということだけは分かっているのだろう。
もっとも、運ばれてから、先日までは、面会謝絶の状態で、今日も20分という時間制限があるのだから、それまでに誰から聞くことなどないだろう。
聞いたとしても、医者や看護婦に分かるわけもなく、ひょっとすると、
「刑事である迫田のような人間」
を待ちわびていたのかも知れない。
そう思うと、迫田はかいつまんで話してあげた。
「そうですか、じゃあ、僕を刺した人間は、そのまま立ち去ったんですね?」
というと、少し憔悴したようだった。
ただ、複雑な表情を垣間見た時、
「捕まってほしいのは、やまやまだけど、犯人が誰なのか? というのが分かるというのも嫌だ」
という感覚なのではないかと感じたのだ。
「ということは、彼は、犯人に心当たりがあるということか?」
と考えていると
「じゃあ、僕が襲われたところを、偶然見つけて、警察に通報してくれた方がいたということで、僕は大事に至らずに済んだということですね?」
と聞くので、
「ええ、そういうことです」
「その人はどういう人なんですか?」
と聞いてきたので、
「ああ、今のところは、それは言えませんが、その人も、ちょうどあの場所でバスを降りてから、自宅に帰る途中だったということです」
というと、
「ああ、そうですか。分かりました。今度、お礼を言っておかなければいけませんね。でも、その人が何かを目撃してくれていなかったんですかね?」
と聞かれたので、
「少し事情は聴きましたが、犯人の顔は見なかったということです。先ほども申しましたように、影からいきなり飛び出してきて。両手で持ったナイフをあなたに突き付けて、撮るものも取り合えずに、逃げていったということでした」
というと、
「それにしても大胆ですね。目撃者に見られていても、襲ってくるなんて、そもそも、目撃者がいるのに、ひるまなかったということなんだろうか? もし、計画的だとすれば、何か、ずさんな気がするな」
と、畑中は言った。
確かにその通りだと、迫田刑事も感じた。
ただ、この時、目撃者がいても、犯人は容赦なく襲っている。そもそも、この時間に、被害者がここを通りかかるなど、日ごろの被害者の行動パターンを熟知していなければできることではないだろう。
そんな人物がいるとすれば、被害者にも察しがつきそうな気がするが、被害者の方では、口でも、雰囲気としても、分かっているという様子は見えない。
そんな状態なので、今回の話の中から、犯人に結び付くということはないだろう。
それを迫田刑事の方が考え、少し様子を見るしかないと考えていたので、迫田刑事は、もう一度、目撃者を訪れてみることにした。
もちろん、事件の方は、未遂ではあっても、最近の連続している事件に絡んでいることとはいえ、同じ日に発生した痴漢事件と、別々の視点で調べられることになった。
まあ、どちらも未遂だったとはいえ、一歩間違えれば、実に悲惨なことになっているわけで、それを思うと、
「本当に偶然なのだろうか?」
と思えてくるが、この時点では、何とも判断のつかないところであった。
迫田刑事は、目撃者の渡会を訪ねてみた。この男とは、犯行があった当日に、少し話を聴いただけであったが、その時には、何も事件に絡むような情報が得られたわけではなかった。
「渡会さん、何か思い出したことでもありましたか?」
と気軽に迫田刑事が聴いたので、どうも渡会は、ムッときたようで、
「いいえ」
と、言葉少なに感じた。
実はこれは、迫田刑事のやり方で、本来なら、警察は、目撃者には、へりくだった形で話を聴くのが当たり前であり、普通なら迫田もそうするのだろうが、今回の事件では、今のところ、何も得られることはなかったので、ちょっと揺さぶりのようなものを掛けることにしようと思ったのだった。
だが、普段から、こんな手段をとっているわけではなく、被害者である畑中が、
「何かを隠しているかも知れない」
と思ったのは、
「目撃者が何か影響しているのではないか?」
と感じたからだった。
あの場面において、犯人と目撃者と、被害者しかいなかったとすれば、犯人が本当に分からないということであれば、
「目撃者に何か気になったところがあったのだろうか?」
ということであった。
だが、被害者の方では、目撃者のことを気にしているようだった。
というのも、最近の事件では、個人情報保護の観点から、
「目撃者が誰か?」
ということを、普通であれば、被害者や、ましては、犯人であるだろう、容疑者に話すなどということはありえない。
もちろん、犯人だと警察や検察が確定し、起訴したことで、裁判となる場合、法廷に連れてこられた証人を、被告の見えないようにして、裁判を行うなどということはできないだろう。
だから、なかなか、法廷の証言台に立ってくれる人が少ないというのもうなずける。
もし、本当に殺害現場などを目撃して、
「犯人が憎い」
と思ったとしても、被告が有罪となって刑に服するということになった場合、数年で出所してくれば、逆恨みをされて、殺されないとも限らない。
なぜなら、
「罪を償う形で刑期を終えて出所してきたとしても、警察からは解放されても、今度は戻るところがない。もし、前科者だということがバレてしまうと、せっかく出所してやり直そうとしても、雇ってくれるところがない」
というものだ。
「俺はどこまで行っても、犯罪者」
と思い、せっかく罪を償ってもいくところがないと考えれば、逆恨みくらいするというものだ。
「あいつを殺してやる」
などと思ってもしょうがないとはいえ、殺されたら、何にもならない。
「目撃者になんかなるもんじゃない」
と思っても、後の祭りである。
だから、目撃者というのは、下手なことは言わないだろう。目撃したとしても、犯人に直接つながるようなことをいうと、それこそ逆恨みされてしま。それが恐ろしいといえるのではないか。
ただ、裁判では、
「虚偽の証言をすれば、罰せられる」
ということであった。
しかし、逆に黙秘権というのもあるわけで、それが被告であろうと、不利になるようなことは言わなくてもいい。下手に口走れば、証拠として取り上げられるという、一種、公平をモットーとする裁判における、
「矛盾」
のようなものではないかと、思うのだった。
だから、目撃者と言えども、
「余計なことを言わない」
ということが考えられ、そして、そのために、証言に矛盾が生じてくれば、一歩間違うと、
「まったく違う人物が、事件に浮かび上がってくる可能性だってないとも限らない」
ともいえるのだ。
今回の目撃者である、
「渡会」
という男も、何を言っているのか、よくわからない。
ただ、話をしていて、確かに渡会は、ウソを言っているわけではないが、どうも何か、
「いってはならない」
ということがあるようで、それも、
「誰かの指示で、動いているようにも思える」
のだった。
それを感じたのは、たまに、矛盾したことを言っているのを、迫田は感じたからだ。
「他の人では感じないことで、どうしてそれを自分が分かったのか?」
ということであるが、それが、
「誰かに、指示されているのではないか?」
と感じたのだ。
そこで、渡会と話をしてから、帰ってきてから、自分の感じた違和感を、桜井刑事に話すと。
「そうか、じゃあ、その矛盾に対しての捜査を、このまま続けてもらおうか?」
と言われたのだ。
桜井刑事は、迫田刑事をある程度信じている。だから、迫田刑事が、感じた違和感であれば、捜査の過程で支障をきたしてくる前に、矛盾となる違和感を取り除く必要がある、しかも、その違和感を無視して捜査を行うと、間違った方行為進んでしまい、袋小路に迷い込んで、抜けられなくなるだろう、
それだけならまだいいが、間違った捜査を行ったことが、冤罪を生んでしまったりなどすると、取り返しのつかないことになってしまい、
桜井刑事と迫田刑事が、捜査するうえで一番気を付けているのは、
「思い込み」
であった。
「それが、直接冤罪に繋がることになる」
と思っているのだった。
そんなことを考えていると、迫田刑事は、
「目撃者の渡会という人物が、故意に何かを隠そうとしている」
と思えてきた。
しかも、それは自分の意思からというよりも、外部の何者かによる指示ではないかと思えたのだ。
ただ、渡会が犯人、あるいは犯人グループということも考えにくい。
となると、
「犯人は渡会の知っている人物で、渡会を脅迫しているのではないか?」
と思えてきた。
そうなると、渡会という人物が、クローズアップされてきたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます