第4話 異常性癖

 どうやら、それは、出生の頃にさかのぼることであり、ある意味気の毒なことでもあった。

 というのは、

「先輩が生まれた時、家族は、女の子がほしいと思っていたようなのだ。特に母親の気持ちは強かったようで、男の子なのに、幼少の頃から、させる格好が、女の子の恰好が多かった」

 ということであった。

 近所の人たちからは、

「まあ、可愛い女の子だこと」

 といって、褒められるのを、母親は至高の悦びとして感じていた。

 成長するにしたがって、それでも、女の子のような恰好をさせていた。小学生の頃までは、おかっぱ頭の少年で、見方によっては、

「可愛い」

 という人もいただろうが、本人は、まわりから、

「気持ち悪いと見られている」

 と感じていたのだ。

 実際に、ほとんどの人が気持ち悪いと感じていたようだ。

 女の子の恰好は、本当に女の子に見えなくもないくらいの男子がやって初めて似合うわけで、そうでもなければ、気持ち悪い以外の何者でもない。

 まるで、嫌らしいものを見るような目を浴びせられ、しかめた顔をされてしまうと、最初は、

「どうして、そんな目で見るんだ」

 と子供の頃のいつかまで、そう思っていた。

 しかし、途中で、その考えが変わってきたのだ。

 それは、

「どこかのある一瞬」

 であって、その一瞬が訪れたことは分かっていたが、その一瞬が、自分が生きてきた中のいつだったのかということまで分からなかったのだ。

 つまり、

「人生の中の時系列という意味でのいつ頃の出来事だったのか?」

 ということである。

 小学生の低学年のいつかの瞬間だったのか、それとも、高学年だったのか、分からないまでも、間違いなくその瞬間は存在し、意識したという感覚は残っていたのだ。

 そんな気持ちの変化を知ってか知らずか、いや、知っていれば、もう少し違っただろうが、母親は、まだ、その恰好を変えようとしなかった。

 結局、小学生の頃までは、終始その恰好に徹底させられた。

 しかし、今度、中学に入ると、皆、一律の制服を着ることになる。そうなると、

「さすがに女性的な恰好はさせないだろう」

 と思っていたが、母親は、

「一筋縄ではいかない」

 という性格のようであり、あくまでも、子供に、

「今まで通りを徹底させよう」

 としていたのだ。

 だが、そんなことが通用するはずもなく、今回は、ハッキリ、

「こんな格好ができるはずなどない」

 という思いが頭をもたげ、完全に母親に逆らったのだ。

 その逆らいという感覚に、母親は、非常に驚いた。

「今まで自分に逆らったことのない息子が、頑なに拒否るなんて」

 という思いだったのだ。

 だが、もっと驚いたのは、息子の方で、

「何だ、この感覚は?」

 と感じたのだ。

「あれだけ、母親に逆らうことを恐怖のように感じていたのに、実際に逆らってみると、何とも言えない快感に陥っていた」

 のであった。

 母親に逆らうというよりも、

「毛嫌いしている自分がいる」

 ということを自覚した。

 しかし、それがその時、

「思春期に自分が立っているからだ」

 と感じたのだということに、すぐには、気付かなかったのだ。

 思春期というのは、半分は、

「反抗期」

 といってもいい時期で、名前は知っていたが、そんなものなのか、想像もつかなかった。

 そもそも、親に逆らうという感覚がなかった。

「親には逆らってはいけない」

 という自分の中に戒律のようなものがあったといっても過言ではないだろう。

 そんな反抗期において、

「こんなに爽快なものなのだ」

 と感じるとは思わなかった。

 子供に逆らわれて、地団駄を踏んで、まるで駄々っ子のような雰囲気になるのかと思ったのだが、もし、そういう態度を取られると、きっと、

「こんな人は、親ではない」

 といって、呆れかえってしまうのではなかっただろうか。

 しかし、実際には、息子を見るその目が、まるで、

「捨てられたネコ」

 のように、何かにすがるような視線だったのだ。

 普通であれば、この顔の方が呆れかえるのではないかと思ったが、そうではないというところが、

「思春期の思春期たるゆえん」

 といってもいいだろう。

 お母さんというのが、

「オンナだったんだ」

 と感じた瞬間だったのかも知れない。

 しかし、それは当たり前のことで、

「思春期というものが、異性を異性として感じる時期だ」

 ということなので、至極当然のことであり、却って、

「こんな格好をずっとさせられてきた自分に、異性、つまり、女性を異性として感じることができるのだろうか?」

 という一抹の不安を抱いていたのだった。

 だが、おかげさまで、

「異性を異性として感じることができた」

 というのは、ありがたいことではあったが、そのために、見たくもなかった母親の、

「オンナとしての部分」

 を見る羽目に陥ったというのは、あまりありがたいということではなかったのだった。

 ただ、それまで女の子の恰好をさせられていたことへの、羞恥と、さらに、その恰好を、「まわりの女の子がどのような目で見ていたのか?」

 ということを考えると、

「こんな僕に、彼女なんかできるんだろうか?」

 ということであった。

 実際に、彼を意識する女の子は現れなかった。

 だが、それでも、思春期をすごしている間に、

「どんどん自分が男になっていっている」

 という意識が感じられた。

 そして、その中で感じたのが、

「女性には優しくしないといけない」

 ということであった。

 女性に優しいということは、男性として当たり前だということで、ある意味、

「女性に対して」

 ということよりも、

「男性として」

 という思いの方が強く感じているのであった。

 だから、自分がマウントをとったり、

「主導権を握ろう」

 という意識ではなく。相手中心というわけではなく、

「自分がこうありたい」

 と考えているだけだということを、意識はしていただろうが、自覚までしていたのかどうか、怪しいところであった。

 だから、

「もし、女性を好きになったとして、本当に自分が好きになれるのか?」

 と思ったほどだった。

「自分を男として見られたい」

 という考えであれば、そのために利用された女の子は可愛そうだというものだ。

 それはまるで、

「偽装結婚」

 というものと同じではないか。

 その頃の先輩は、

「偽装結婚とは、何ぞや?」

 ということは分かっているようだった。

 世の中には、異常性癖の人がいるものだということを、まだ思春期の先輩は。

「自分のことを棚に上げて」

 分かっていたようだった。

 ここでいう、

「異常性癖」

 というのは、

「同性愛者」

 ということであった。

 まだ思春期の先輩に、

「同性愛」

 ということは理屈では分かっても、その存在を理解することはできなかった。

 つまり、

「同性愛者というのは、ただただ気持ち悪い」

 という感覚だったのだ。

 もし、自分が、母親の思い通りの恰好をさせられている間に、女性としての心を持つようになっていれば、思春期になって、男性を好きになったかも知れないという意識はなかったのだ。

 ただ、今から思えば、

「女の子の恰好なんかさせやがって、自分でも気持ち悪いという思いを抱いているだけで、俺は、あんたのおもちゃじゃないんだぞ」

 という思いが、想像以上に強かったのだろう。

 だから逆らうことのできない自分の感覚が、

「母親に対してどう感じているか?」

 ということを考えさせることに繋がり、

「ずっと自分が女性というものを見る時、母親の姿を通して、その先にいる女性だけを見ているのかも知れない」

 と感じていたのだった。

「自分は男なんだ」

 ということを強く思わないと、女性に興味を持ったとしても、

「どうしても母親の呪縛から逃れられない」

 という思いを払しょくすることはできないと思えてならないのだった。

 自分が、誰を好きになるかということよりも、

「いかに母親の呪縛から、自分を解放させられるか?」

 ということの方が大変だったのだ。

 そこで考えたのが、

「とにかく、自分が、女性を好きになるか?」

 ということであった。

 普通に考えれば、この考え方は、本末転倒なもので、

「相手を好きになったから、好きになる」

 というのが、当たり前のことであり、そもそもいうまでもないことなのだ。

 しかし、そこに、母親の存在があるということは、忌々しさが感じられることであり、

「母親が子離れできないせいで、子供が母親に気を遣泣分ければならないなど、やはり、本末転倒でしかない」

 ということであった。

 好かれた女性も、迷惑千万だといってもいいだろう。

 中学時代に、同じ感覚で、告白した女の子がいたが、その時は、

「私はあなたが、好きじゃないわ。だって、あなたは私のことを好きじゃないもん」

 といって、袖に引っ掛けるくらいもせず、電光石火で、断られたのであった。

「訳が分からない」

 というのが、先輩の考えだった。

 罵倒されたことで、頭に血が上ったというのも、しょうがないことなのだろうが、彼女の言葉があまりにも的を得ていたことを分かっていたのかも知れない。

 だから、金縛りにでもあったかのように、何も言えなくなり、相手に対して嫌悪感を持つことで、何とか、自分の意識を保たせていたのだろう。

「同性愛者の偽装結婚」

 ということがまた頭をもたげてきた。

「どうやら、俺は母親の呪縛のせいで、この感覚と、切っても切り離せない考えを抱いてしまうことになりそうだ」

 と思っていた。

 同性愛というのが、どういうものなのか分からなかったが、どうも母親が、自分に対っして抱いている愛情が、

「本当に子供としての感覚なのか?」

 と思えてならない時があった。

 そんな時、友達から、

「お前お父さんにあまり似ていないな」

 と言われたことがあった。

 もちろん、

「罪もない」

 言葉だったのだろうが、先輩の頭には、それが疑惑として残ったのだ。

「まさか、俺は、父親の息子ではないということか?」

 ということであり、

「母親の不倫の末の子供」

 と思うようになると、両親を同時に毛嫌いするようになってしまったのだった。

 父親に対しては、

「可愛そうだと思うが、実際に血が繋がっていないのであれば、単純に可哀そうだと思いうだけで、尊敬の念を抱くことはないだろう」

 と思ったが、

「言われてみれば」

 というふしがないわけでもなかった。

 具体的に分かることではないのだが、

「なるほど、そういうことであれば、納得がいくことも少なくはない」

 と思うのだった。

 母親に対しては、憎しみ、嫌悪、さらには、憎悪といろいろ渦巻いてくる。

「俺をオンナとして育てようとしたのは、次第に男親に似ない男の子というものから、不倫がバレるというのを何とかごまかそうとするためだったのだろうか?

 と感じた。

 しかし、

「次第に子供が大きくなってくると、余計に目立つのでは?」

 と思ったが、

 さすがに十年以上も経てば、もし不倫がバレたとしても、ある程度時効的な気持ちもあったのかも知れないと思ったが、母親の最初に考えた、カモフラージュの方法が、次第に呪縛に変わっていったのだとすれば、本当の被害者は、

「この俺でしかない」

 ということであろう。

 母親はそのことを分かっているようで、

「このことは、墓場まで持っていこう」

 と思うようになったようだ。

 だから、母親は頑なに、息子の先輩への呪縛をやめなかったのだろう。

 ただ、それが、

「子供としての愛情なのか」

 それとも、

「男として見てしまったことで、呪縛が愛情の裏返しのようなものなのではないだろうか?」

 と考えているのかも知れない。

 だが、先輩は、その思いを感じたことで、

「自分が女性を好きになると、今度は自分が、その子に対しての呪縛になるのかも知れない」

 と感じた。

 そこで、女性に対しての態度は、

「適度な距離」「

 として、

「つかず離れず」

 という微妙な距離を保つことが大切だということなのであろう。

 確かに、女の子への距離を皆等間隔にしておくことで、

「余計な気を遣わせない」

 と思っていたのだ。

 ただ、

「相手が俺を好きになってくれるのであれば、それはありではないだろうか?」

 と考えていた。

 相手から近づいてくれたら、こっちに責任はないということであるから、

「誰にでも、平等に優しくする」

 ということを大切にしようと考えたのだった。

 そういう意味で、凛子の考えは間違っているわけではない。

 ただ、先輩がそう思うようになった理由が、

「想像以上に重たいことだ」

 ということを失念していたのだ。

「まさか、こんなに重たいなんて」

 と、もし知ることがあれば、当然のことながら、凛子にとって、

「予想が当たっていた」

 ということと、

「少し虚しいな」

 という思いとの二つが交錯することになると思っていた。

 そんなことを考えていると、凛子も、

「大学生になって先輩と再会すると、どんな気持ちになるだろう?」

 と思えてならなかった。

 もちろん、こんな込み入った理由などしるわけもない、凛子は、何か、自分がお花畑を表から見ているような感覚だった。

「そこに先輩はいるのだろうか?」

 と思うのだった。

 先輩が、異常性癖に見えてきた時期があった。

 凛子には、そんな先輩の事情など分かるはずがなかったので、親の話が絡んでいるわけではない。

 それなのに、どこか変な気がしたのは、凛子という女の、持って生まれた予知能力のようなものであろうか?

 ただ、猜疑心の強さが、

「そこには関係しているのではないか?」

 と感じたのだ。

 猜疑心にしても、自己顕示欲にしても、承認欲求にしても、

「あまり言葉にいいイメージを持つことはできない」

 ということは分かっているのだった。

 ただ、それが詳しくどういうことなのかということが分かっているわけではないので、「どこまで先輩のことが気になっているのか?」

 ということになると、分からないのだった。

 ただ、

「先輩が、異常性癖ではないか?」

 と思うことで、何か納得のいくことがあるのだった。

 先輩が、

「異常性癖だ」

 ということを、何がきっかけで気づいたのだろう?

 そもそも、先輩から少し距離を置いているのは、自分の方のくせに、相手を勝手に想像し、しかも、あまつさえ、

「異常性癖だ」

 と決めつけるのも、何とも失礼なことではないだろうか?

 先輩は高校時代、

「本当に優しい」

 と感じさせてくれたのは、先輩だけだった。

 他の人にも、

「この人は優しい」

 と思うことはあったが、おれはあくまでも、漠然と自分が感じただけだ。

 それも、

「他の人に比べれば、この人は優しい先輩なんだ」

 という思いに至るわけであって、何を基準に優しいと考えるのかというのは、単純なことであり、あくまでも、

「他の誰かに比べて」

 というものであった。

 しかし、先輩に限っては、こちらから、比較するとういう意識はなかった。

「優しいと、感じさせてくれる」

 というところの、

「相手の雰囲気に滲み出るものから、与えられる感情」

 というものが、

「先輩の性格であり、優しさなのだ」

 ということであった。

 言葉にすれば、高圧的に感じるのだろうが、実際には、そうでもなく、

「結局最後、感じるのは自分なんだ」

 ということになるのだ。

 そう、最後の決定は自分であり、その自分は、周りと関係で、非の打ち所がないということを感じるのだから、これほど自分に対しての説得力というのもあるというものであろう。

「先輩は、こんな私のことをどう思っているんだろうな?」

 と思った時、頭をよぎったのが、

「異常性癖」

 であった。

 ただ、その性癖が何なのか、よくわからなかった。

 凛子が感じる以上性癖というと、

「同性愛」

「SMの関係」

「近親相姦」

 などであった。

 もっとも、同性愛や、SMの関係というと、基本的に、

「あまりいい関係というわけではない」

 というイメージはあるが、それを異常性癖と呼んでもいいかというと、疑問い思うところである。

 というのは、

「性癖が異常というと、もしそこに問題があったとすれば、解決にはならないだろう」

 という考えであった。

「同性愛」

 などというものは、

「性癖の一種」

 ではあるが、

「異常性癖」

 というわけにはいかないだろう。

 というのは、基本的には遺伝によるものではなく、

「生まれてからの環境によるものだ」

 と言われることが多いという。

 つまり、性を取り巻く社会環境が、多様化してきたことで起こる現象とでもいえばいいのだろうか?

 また、

「SMの関係」

 と言われるものは、一種の

「異常性癖」

 というよりも、

「性的行為の表現」

 といってもいいのではないだろうか?

 性癖というものが根底にあるということは間違いないだろうが、昔であれば、

「紳士淑女の遊び」

 とまで言われていたほどで、しかも、

「その行為には、危険が伴っている」

 とも言われている。

 過激になってしまうと、興奮が抑えられなくなり、

「誤って、相手を殺してしまう」

 ということになりかねないといえるだろう。

 つまりは、

「相手との信頼関係がなければ、SMの関係というのは、成り立たない」

 と言えるのではないだろうか?

 だから、一歩間違えると、SMというのは、

「命がけの遊び」

 といっても過言ではない。

 命をかけるということが、どういうことなのかもわからずに、

「SM関係のことを語るな」

 と言われれば、言い返しようがないのだが、中には、相手のことは関係なく、

「自己の欲求を満たすためだけの、プレイ」

 というのもあったりするだろう。

 ただ、ニュースであまり聞かないのは、社会的な影響を考慮して、緘口令が敷かれているということなのだろうか?

 それを考えると、

「マスゴミであったり、マスゴミに代表される世間というものが、SMを、完全に異常性癖だと決めつけている」

 ということが問題なのではないだろうか?

 煽るだけ煽っておいて、実際には、タブーなこと、だから、マスゴミで騒ぐということが、どれだけの反響を生むのか分からない。

 それで、政府は警察が批判でも受けるとすれば、

「本末転倒も甚だしい」

 と思っているのだろう。

 しかし、もし、これをマスゴミにしても政府などが、ただ、

「本末転倒だ」

 といって何も解決しようとしないのであれば、余計なことをしないでほしいと思う。

 自分たちの都合が悪くなるから、

「社会に影響を与える」

 ということを理由にして、拡散させないようにしたのだろう。

 そんな社会において、

「近親相姦」

 というものがある。

 似た言葉に、

「近親結婚」

 というものがあるが、こちらの場合は、モラルの問題なのか、時代の影響なのか、近親婚というのは、昔は平気で行われていたという。

 今の時代であれば、

「三親等まではダメだ」

 ということで、叔父、叔母はだめだが、いとこ同士というのは禁止されているわけではない。

「○親等」

 というのは、まずは、自分からさかのぼって、

「どこから別れたか?」

 ということから、親等が決まってくる。

 だから、叔父の場合は、まず、自分の父親までで、一親等、そして、祖父に至って、二親等、そこから息子に至って、三親等となるのだ。

「叔父というのが、父親(母親)の兄弟だから、一親等ということではない」

 ということだ。

 つまりは、

「横にずれることはないわけで、血のつながりというものは、兄妹よりも、親子の方が濃い」

 ということになるのだった。

 そのことを考えると、いとこというのは、お爺さんまでさかのぼって、そこから降りてくることになるので、叔父の息子となるので、

「四親等だ」

 ということになる。

 だから、三親等以上の結婚を許されるいるわけだから、

「いとこ同士での結婚は法律的に許される」

 ということであった。

 しかし、昔は、もう少しややこしいようだった。

「兄妹、姉弟であっても、結婚できる場合がある」

 ということだ。

 ここでミソなのは、

「場合がある」

 ということで、

「腹違いであればいいが、父親違いであれば、ダメだ」

 ということだ。

 言葉の言い回しであるが、

「場合がある」

 という言い方が、」

 とは言えないだろうか?

 というのも、」

「実に曖昧なものだ」

 と言えるのではないだろうか?

 というのも、

「場合がある」

 というのは、

「どちらに重きを置くか?」

 ということであり、基本的に場合があるという時の、

「場合」

 というのは、少数派ということを示している。

 つまり、

「少数派に重きを置いているのか、多数派に重きを置いているのか?」

 ということであり、この、

「近親婚」

 の場合では、結婚ができるという稀なケースが問題なのだろう。

「本当は結婚してはいけないのに、できる場合がある」

 というのと、

「結婚できる場合があるが、基本的にはダメである」

 という言い方は、まったく正反対の解釈になるのだろうが、それを一言で説明しようとすると、

「結婚できる場合がある」

 ということになるのだ。

 前述の二つの言葉は、間違いというわけではないが、

「言い方が違う。それによって、受け取り方も違うので、正反対の解釈というものができる」

 という考え方である。

 ただ、この場合の解釈は、昔の事情を考え、

「家の存続などを考えると、モラルというよりも、尊属が重要だと思えば、まったく結婚できないというよりも、結婚できるという方にその重きは移行するに違いない」

 それを考えると、昔の人は、近親婚が多かった。

「万世一系」

 と言われる天皇家でも、そうやって途切れることなく、2,600年という時代を乗り越えてきたのだろう。

 世界でも類を見ない、

「天皇家」

 の万世一系の家系は、実際には守られるべきものなのだろう。

 それを、異常性癖というのは、お門違いというもので、それこそ、

「本末転倒である」

 と言えるのではないだろうか?

 究極の言い方であるが、ここまで上げてきた、

「異常性癖」

 と呼ばれるものは、果たして、異常なのだろうか?

 ということであった。

 それぞれに、それぞれの事情があり、

「ひょっとすると、時代にそぐわない発想」

 ということになるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、凛子は、早く先輩に会いたいと思うようになっていた。

 その先輩というのが、実は名前を、

「畑中修三」

 というのだが、それが、まさか、同じ日に起きた

「殺人蜜事件の被害者」

 であるということを、この時はまだ、誰も知らないことだったのだ。

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