2時間目 いいとこ見せなきゃ!!

「…じゃあ、このあと下人はどこへ走り去ったのか…というわけだ」

5限、昼休憩の直後でなおかつ現国、しかも担当は斎木ときた。


居眠り3段活用が揃っているだけあってずいぶんと多くの生徒が眠っている。

教室は静かで、開けた窓からカーテンをめくって入ってくるそよ風の音と、斎木が黒板にチョークで文字を刻むコンコン…という心地の良い音だけが響いている。


7秒に一度くらいのペースで、天井で回っている扇風機から気持ちのいい風が届く。

久しぶりに黒板に意識を向けた矢口 小太郎こたろうは、そこに自分の知らない登場人物が出てきていることに気づいて理解を諦めた。


小太郎の知る羅生門には、まだ老婆すら出てきていなかった。


時間と授業が流れている間、小太郎の視線は斜め前の席の中西 あやへと向いていた。

綾はこの、2年1組の中でもかなり容姿端麗な類の女子であり、人望も厚い。

いわゆる『1軍女子』というやつだった。


窓から入ってきた風によって綾の髪がふわっと持ち上がり、柔軟剤の微かで、それでいてはなやかな匂いが小太郎の鼻をくすぐった。


そんな些細なことでさえも、小太郎はえもいわれぬような幸せに包まれるのだった。


「きゃっ!!まってまってなんか入ってきた…!!」

「うわ!まじじゃん!ちょ…誰か」

5限の、平穏に包まれていた教室の空気は突如として窓から入り込んだ小さな侵入者によって破られた。


見てみるとやや大きいサイズのだった。

そこまで騒ぐ必要があるのか?とも思ったが、女子という生き物はどうやら想像以上に虫に対して過敏に反応してしまうらしい。


悲鳴は教室中に伝染し、一瞬にしてがやがやとした落ち着きのない空間になってしまった。


もはや騒がれたいのかと思ってしまうほど見事なまでに、侵入した蛾は女子の間だけを縫って飛行し、ついに小太郎の目の前までやってきた。


そこで小太郎は周りを見渡した。

周りには、怯えている男子、そして女子、そしてなにより怯えている綾がいた。


チャンスだと、そう思った。


おとこになる時がきたのだ。

千載一遇の好機が、今目の前で羽を休めている。


小太郎は迷うことなく両手で蛾を覆った。

教室から歓声が上がる。なんと気持ちがいいことか。

役にたつ、そして目立つということがこんなにも気持ちのいいことだとは知らなかった。


あぁ…陽の光がまるでスポットライトのようだ。

今、俺はこの教室の中心にいるのだ、俺はこれからかっこよくて、頼りになる男として扱われるのか…と得意になった。

今吹き抜けた風は、確実に俺のことを祝福する追い風だった。



そしていつもより心を弾ませながら登校した翌日。

その日から、小太郎に『虫キング』というあだ名がついた。

下人による追い剥ぎよりもよほど衝撃的な、ほろ苦いあだ名であった。




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