第五章 6
怒りの炎は留まるところを知らず、周囲にまで飛び火を始めました。
ハムレットも目を吊り上げて、怒っています。
「おい、思い出したぞ! てめえは他人の恋文を盗み取って、それを音読するのが仕事か!」
「父上に向かって何たる侮辱!」
隙を見たハムレットがレイアーティーズの肘を思いきり剣で叩くと、剣を落とされたレイアーティーズはさらに激高し、
「この野郎、卑怯者!」
ハムレットの足を足で払い、倒れたところへ馬乗りになって、顔を二度、三度と殴りつけました。ハムレットも剣を失い、
「うるせえ、ドブ鼠の馬鹿息子が!」
叫びながら殴り返します。
試合どころか殴り合いとなった二人の様子にオフィーリアも腹を立て、我を忘れて誰かの髪を背後から引っ張り、同時に引っ張られながら叫んでいます。
「喧嘩をやめてってば! やめろ! 痛いわよ、バカ!」
ポローニアスもまた、
「髭を引っ張るな、やめろ!」
と叫びながら踏んづけられ、クローディアスも、
「侍女の分際で決闘の邪魔をするな! 命令だ!」
と喚きながら右も左も殴り、蹴り、突き飛ばします。誰かが後ろからハムレットの首を締めつけ、別の誰かがレイアーティーズの腹を蹴り上げ、何かのついでとばかりに、ポローニアスを殴ろうとしている者もいました。
傍で試合を見物している周囲の人々にも怒りの輪が広がり、
「さっきから試合の様子が見えないんだよ、頭が邪魔だろ!」
「勝手に飲み物を取って飲むな!」
「大臣は引っ込め、クソおべんちゃら野郎!」
さらに大きくなりました。
「鼻を削ぎ落とせ!」
「殺ってやる!」
「刺しちまえ!」
「殺るぞ!」
「死ね!」
「殺れ!」
とうとう大広間のうち、中央近くの人々はほとんど罵り合い、叫び合い、殴り合いの乱闘となりました。
それでも猪八戒は三蔵を庇うようにして隣に立っています。ふらふらと歩き回り、あっちこっちに手と顔を出していたようですが、それなりにお師匠様を守ろうという気はあるので、
「止めに入るべきか、お師匠様をお守りするべきか」
それが問題だ、と悩んでいたのです。
と、その時でした。
「分かったぞ、あれは毒の塗ってある剣だったのだ!」
三蔵法師が鋭く言い放ちました。
「いけない、このままでは毒のついた剣の奪い合いになるぞ! 悟空よ!」
と叫びます。
すかさず悟空はよろめきながらも頭の毛を抜き、前のめりに倒れながら、
「増えろーっ!」
フーッ! と強く吹いた勢いで、蝋燭の炎のほとんどが消え、燭台や剣立てが突き飛ばされて倒れました。
同時に、数本の剣は数十本となって大広間の床、皆の足下へと落ちて散らばり、金属のぶつかり合う音が響きました。
「剣がたくさん落ちる音がしたぞ!」
「いいぞ、やっちまえ!」
「拾え、拾って刺しちまえ!」
「殺してやる!」
「やめてくれ、やめないと刺すぞ!」
「地獄へ行け!」
「前から気に入らねえんだ、お前のことがよ!」
「刺してやる!」
人びとは暗がりで手探りになり、誰が誰に怒っているのか、誰が誰を刺そうとしているのかすら判然としません。
それでも怒りは冷めやらず、憎い相手を探り当て、それぞれが手近な相手を、あるいは積年の恨みを晴らすために、
「うむ! 覚悟しろ!」
「えーい! 人でなし!」
「やあ! 思い知るがいい!」
「ああ! 痛い!」
「おう! 刺してやった!」
「それっ!」
口々に叫びつつ思いきり刺した、――つもりでしたが、見かけも音も、そして重さも確かに短剣のようだったものは、ふにゃりと刃先が曲がってしまったのでした。まるで猿の長い毛のように。
しかし、ハムレットの拾った本物の短剣のみはクローディアスを貫き、刃先に塗られていたその毒によって死へと至らしめたのでした。
悟空は腹這いになったまま、うめくように言いました。
「駄目だ……、まだ……、本来の力は出せやしません。ただし……、あの、悪い王だけはくたばったようですが……」
「うむ、この結果は……」
三蔵法師は良いとも悪いとも言えないようでした。
人びとは長く、そして悪い夢から覚めたように、髪は乱れ、汗は流れ、息はまだ整わないままです。
「何だったのだろう、……ついさっきまで、罵り合っていたような気がする」
「いったい何を、突き刺そうとしていたのだ……」
「追いかけていたのは何故だったのか、そして、誰だったのだろう……」
「あの蝋燭の火に吸い込まれたようになって、目がくらんだような……」
広間はまだ薄暗く、誰も彼もが自分を取り戻しながらも動揺し、顔も体も火照っているようでした。
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