第五章 5

「では、始めい!」

 試合が再開し、またもやレイアーティーズは声を張り上げ、

「そりゃアア! ソリャあ!」

 酔った大型獣のように剣を振るいます。ハムレットは剣を交わして払いつつ、一歩また一歩と押されるばかりです。

「死ね! ろくでなし! 人殺しめ!」

「おい、汚い言葉を使うな!」

 ハムレットも次第に怒りを感じてきました。怒りの芽が胃のあたりからいくつも生えて、ぐんぐん成長を遂げたようでした。

「おい、父を返せ、殺人鬼!」

「違う、誤解だ! うるさい! 黙れ!」

「妹を返せ、人でなし!」

「それも誤解だ、濡れ衣だ! 今に分かる!」


 これを遠巻きに、人影から首を出して眺めていた掃除婦は、大喜びでほくそ笑んでおりました。

「怒りっぽくなっているねえ、ああやって憎み合って、どちらかが刺し殺されちまえばこの城もましになるだろうねえ」

 すると突然、オフィーリアを背負った沙悟浄が、大広間の西側の扉から入ってきました。

 ホレイショ―が、わざとらしく声をあげます。

「あっ、あれは川に流されて行方不明だったオフィーリア、なんと! 無事だったのか!」

 試合中の二人も足を止め、見物の皆も、いっせいにそちらへ視線を向けました。

「お前……」

 レイアーティーズはその姿を目の当たりにして、驚きのあまり声も出ません。ただ立ち尽くしているばかりでした。

「生きていたのか!」

 そうハムレットが言うと、

「ええ、生きていたわ! この方に助けていただいたの!」

 オフィーリアが叫びます。

 沙悟浄は遠慮がちに、説明しました。

「あっしは動物劇団の端役と裏方を兼ねておる者ですがね、川のほとりでこの方が意識を失っているのを見つけて、そりゃあ驚きましたです。ほんで、介抱して差し上げて、やっとここにお連れしたもので」

「もう、すっかり良くなったわ」

 と言いつつも、一応は劇的効果のために沙悟浄に背負われて登場したのでした。

 クローディアスも、予想外の展開にすっかり驚いているようです。

 オフィーリアは静まり返った大広間の中央で、二人の間に割って入りながら、

「こんな風に、罵り合いながら決闘をするのは止めて!」

 と叫びました。

「もう憎しみ合う必要も、試合をする必要もないのよ! お兄さん、私、生きているのよ!」

 やや芝居がかっている調子でしたが、大広間の一同は、試合が中断されたことに落胆しながらも、どこかホッとした空気が流れました。


 少し離れた玉座の隣でこの成り行きを見ていたガートルードは、

「それもそうよねえ、どちらを応援している訳でもなし」

 と考えを巡らせつつ、盆に乗った杯に手を出しかけたところ、背後から、

「いただきまーす」

 と声がして、先に八戒の手がチョイと伸びて杯を取り、オリーブの実の入った葡萄酒をひと口で飲み干してしまいました。それでは物足りないとばかりに、二杯、三杯、四杯、五杯と、残りもたちまち飲み干し、

「ごちそうさまー」

 すっかり空になった杯を並べて置くなり、このあほんだらは再びどこかへふらふらと、遠慮もへったくれもなく酔った足どりで歩いてゆきました。大広間で何が起きていようとこの調子で、かくしてハムレットの毒殺計画は水の泡となり、ガートルードもまた、危うい所で一命を取り留めたのでした。

 一方、ハムレットは計画した通りの事態の流れにすっかり満足しており、

「今こそ、この試合の中止を宣言する時だぞ」

 と考えました。


 ところが、そこへ大広間の正面扉からひょっこりと姿を現した老人がおりました。

「いま、戻りましたぞ。すっかりこの城を留守にしてしまい、申し訳ない」

 ポローニアスです。

「ポローニアスが……」

「ポローニアスだ……」

「ポローニアスか……?」

 誰もが驚き、囁き合うばかりでそれ以上の言葉を継げないのでした。このエルシノア城にいる誰ひとりとして、この宰相がこのタイミングで元気よく戻ってくるとは、夢にも思っておりませんでした。

 それどころか、

「死んだはずではなかったのか」

 という疑念が大広間には渦を巻き、あたかも地獄から笑顔で帰ってきた霊魂を見るかのように皆がポカンと口を開けております。

「王様、お妃様、皆さん、おひさしゅうございます。ところで……、この試合は?」

 事態を把握できないのは、ポローニアスも同じでした。

 オフィーリアが助け舟を出しました。

「お兄様はね、父上と妹を殺されたと思い込んでいるのよ」

「はあ、お前、生きているのに……? そりゃまた、どうしてそんなことに?」

 素朴な疑問でした。

「つまり、決闘のつもりでいるの」

「何でまた、ハムレット様が?」

「ハムレット様が、恨みを持ってお父様を殺したという噂になっているから」

「そんな噂が?」

 その会話もほとんど耳に入らず、食べかけの餌を取り上げられた猛犬のようにレアーティーズは叫びます。

「今さら何で戻ってきてるんだ! くそ爺い!」

 ようやく再会を果たした父親を、毒を塗った剣で即座に刺し殺しかねない勢いです。

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