第一章 1

 星が凍りそうな夜空に、真夜中を告げる鐘の音が響き渡ります。

 エルシノア城の最上層の壁には銃眼が並び、狭い歩廊を見張りが歩いています。敵国の兵隊が襲ってくるおそれがあるので、この時間になっても、ぬかりなく目を凝らしておりました。

 するとそこに、階段の暗がりから足音とともに現れる影がひとつ。

「だ~れだ?」

 と闇から問いかけてきます。

 見張りは、

「そんな風にふざけるのは、バーナードーだろう?」

 難なく当ててみせました。

「そうだよ、幽霊だと思ったか?」

「この目で見てしまうと、それが冗談にも聞こえなくなるな」

「今夜はもうすぐ、ホレイショーも来るはずだ」

「大学から戻られたホレイショー殿にもあれが見えるとしたら……、一体どうなるんだろう、この国は」

「デンマークに栄光あれ! どこか別の国とまるごと交代になるかもしれないからな、我々もぬかりなく見張り役の交代といこう」

 話していると、さらに二人が到着しました。

「誰だ?」

 見張りが問うと、

「マーセラスだ」

「この国を愛する者、ホレイショ―だ」

 と応じます。

「よし、こちらは今、交代して戻るところだ。では、明け方までよろしく頼んだぞ」

 前の見張りは足早に立ち去りました。

 その姿が消えてすぐ、

「あーあ、あいつ、見張りのくせに例のあれが怖いらしいぞ」

 とバーナードーが言います。

 ホレイショ―は、

「そんなもの、いるかどうか。夢か幻のたぐい、この目でしかと見てみなければわからない」

 と、ほとんど真に受けていない様子です。マーセラスは残念そうに、

「ホレイショーは少しも信じてくれないのだ、われわれは二度も目撃したというのにな。バーナードー、例のその、あ、あれの話を……、詳しくしてやってくれないか」

「ああ、そう怖がるな。昨夜も今ごろの時刻、同じ星の位置だった。マーセラスと二人でここにいたんだよ。すると……」

 あたかもその声を聞きつけたかのように、今夜もまた鎧に身を固め、手にりっぱな杖を持った亡霊が薄ぼんやりと、離れた歩廊の暗がりに現れました。

 マーセラスは亡霊よりも青い顔色になって、震えながら訴えます。

「ホレイショ―、あ、あ、あそこのあれに話しかけてみてくれよ。学者と呼ばれるほど、ご、ご、語学に長けているんだからな」

「まだよく見えないな、あれは誰の姿だろう?」

「ま、前のハムレット王にそっくりだ。な、亡くなられたばかりの……」

「よく見えないな、こっちに来るまで待ってみよう。おい!」

 すると、亡霊は消えてしまいました。

「なあ、本当だったろう?」

 バーナードーが尋ねると、

「確かに本当だ、夢でも幻でもない。それに、あのお姿はノルウェーと一戦をまじえた時のご様子そのまま。一騎打ちでノルウェー王のフォーティンブラスを負かし、領地まで得た時のものだったぞ」

「さすがホレイショ―先生、歴史にもお詳しい」

 マーセラスが感心します。

「なぜ、こんな所に現れたんだろうな?」

 バーナードーが首をひねると、またもや先生の推理が入ります。

「おそらく、場所よりもタイミングがその理由ではないだろうか。

 このところ、ノルウェー王の息子のフォーティンブラスが、逆恨みのようにして虎視眈々と、この国を睨みつけているという噂がある。

 そのため、見張りを頻繁に立たせ、他国から武器を買い、大砲の準備に夢中になり、船大工を集めて働かせる。人心は乱れ、不安が増し、先王の死因については毒蛇説と別の説が同時に流れている。街では大人の芝居でもなく、子供の芝居でもなく、物を言う動物による芝居が人気だとか。

 大きな声では言えないが、これは国が亡びる兆しとしか思えないのだ。大昔のローマも同じ、蘇った死者が群れをなし、叫びながら歩き回ったという。星は炎の尾を引き、血の露を降らせ、月は病んだ色に染まったという。天と地が示し合わせて、やがて訪れるであろう暗い運命を予言している」

 その時、ふたたび亡霊が姿を現しました。

「ま、また出た」

「おい、待て! 悪魔かそれとも、先の王であるなら、思いを告げてくれ! 言いたいことがあるのなら、こちらも聞くし、そちらも浮かばれるはず。そして、王子にお伝えもするぞ」

 亡霊は何かを言いたげに口を動かしました。しかし、かすかな一番鶏の鳴き声が届くと、怯えたような表情を見せて、消えてしまいました。

 バーナードーは、

「あーあ、せっかく近くに寄ってきそうだったのに。朝の光に照らされると、魔女も妖怪も消え失せるというからな」

 と、残念がります。

 ホレイショーは驚きながらも満足げに、

「しかとこの目で見たぞ。それに、つい先ほど真夜中の鐘が鳴ったばかりだというのに、あの亡霊を前にすると、星の動きまで歩みを早め、こちらは体の芯まで疲労困憊する。あたかも亡霊が現れるや否や、時の流れが急になり、命の時間が吸い取られたかのよう、ただ事ではない。必ずやハムレット様にお伝えしなければ」

「そ、そうしよう。今朝なら、ハムレット様にお会いできる」

 言いながら、まだマーセラスは震えていました。

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