いい家の条件

くる ひなた

第1話

 扉を押し開けてリビングに入った瞬間、私は思わず感嘆の声を漏らしていた。


「わあ……」

「いい家でしょう?」


 目を糸のようにした案内役の彼の問いには答えず、私はぐるりと首を巡らせる。

 吹き抜けのあるリビングは明るく開放的で、風通しもいい。

 頭上には太い梁が何本も渡されており、真新しい木の匂いがした。

 ふんふんと鼻を鳴らす私の顔を覗き込み、案内役が繰り返す。


「いい家でしょう?」


 彼との出会いは半年前。

 この町に引っ越してきて早々迷子になっていたのを、私がきまぐれに助けたのが始まりだった。

 その時のお返しのつもりだろう。長年暮らした住まいの解体が始まり途方に暮れていた私に、彼はいい物件を紹介すると申し出た。それが、この家だ。

 確かにいい家だと思う。

 だが、判断を下すにはまだ時期尚早だし──何より、ちょろいと思われては沽券に関わる。

 案内役の彼は私よりずっと年下で、初めて遭遇した時など、家がわからないとぴいぴい泣いていたのだ。

 私のつれない態度に気を悪くする風もなく、彼はトントンと足先で床を叩いて続けた。


「僕のおすすめはこの床ですね。柔らかい質感で足腰にも優しく、何より走っても滑らないのがいいのですよ」

「ふうん……確かに、ツルツルはしないけど」

「いい家でしょう?」

「まだわからないよ」


 などと会話を交わしつつ、私は自分にまとわりつく視線を煩わしく感じていた。

 薄く開いた扉の向こうから、何者かが息を呑んでこちらを窺っている気配がする。

 相手をするつもりがないため、私は気付かぬふりをした。

 それよりも、案内役ご自慢の床材の感触を満喫すべく、その場で足踏みをしてみる。

 足の裏が温かく感じるのは、床暖房が設置されているかららしい。


「一階にはこのリビングを中心として、ダイニングキッチン、主寝室、洗面所、浴室、トイレがあります。いい家でしょう?」


 いい家でしょう、いい家でしょう、と押し付けがましいのは気に入らないが、ここがいい家であることは認めざるを得ないだろう。

 特に、トイレが奥まった静かな場所にあり、落ち着いて用を足せるのがいい。


「二階には、洋室が三つと和室が一つ──それから、秘密基地があります」

「秘密基地って、なに」

「いい家でしょう?」

「秘密基地を見せろ。いい家かどうかはそれから判断する」


 かくして、私と案内役は二階に向かう。

 リビングイン階段もあるが、私達は壁に作り付けられたステップを利用した。

 この他、ジャングルジムみたいに組まれた本棚を通っても上階に行けるようになっていて、実におもしろい家だ。

 視線はまだ追いかけてくるが、私は引き続きそれを無視した。

 二階建てだと聞いてきたが、広めのロフトがあるため実質三階建てみたいなものだ。

 案内役が秘密基地と言ったのは、このロフトのことだった。

 天井は低いが、私達が歩き回るには十分な高さだし、大きな出窓からは外の景色を楽しめるようになっている。


「ここからの眺めは最高ですよ。向かいのお宅の屋根にはよく小鳥が集まってきましてね、退屈はいたしません。いい家でしょう?」

「まあ……退屈しないのは、いいね」


 さっきの視線のやつがロフトの下まで追いかけてきている気配がした。

 私は極力それを気にしないようにしつつ、出窓の前に腰を下ろして外を眺める。

 この家は高台にあるため、町を見下ろす形になった。

 解体中の元我が家を見つけてしまって、何とも切ない気持ちを覚える。

 一方、すぐ側に腰を落ち着けた案内役は、窓の外ではなく私の横顔ばかり見つめてきた。

 ロフトの下でうろうろしているやつのように無視することができず、私はしかたなく視線を返す。

 すると彼は、満面の笑みを浮かべて言った。

 


「一番のおすすめポイントは──この家には僕が住んでいる、ということですよ」


 

 ゆらゆらと、私の視界で揺れているものがある。

 案内役の彼の、しっぽだ。

 私のとは違って、随分と長い。


「ここに住めば、寝ても覚めても僕と一緒です。絶対に、確実に、毎日楽しいですよ。ね、いい家でしょう?」

「お前のその自信は、いったいどこからくるんだよ」


 肩がくっ付くくらいまでにじり寄ってきた相手を、私はじとりと睨む。

 半年前は自分の足下でぴいぴい泣いていたちびすけに、あっという間に体長を追い抜かれ、今では見下ろされてしまっているこちらの気持ちなど、彼にはわかるまい。

 そうこうしているうちに、下でうろうろしていたやつがついにロフトに上がってきた。

 そして、窓辺に並んで座った私達を見ると、安堵の表情を浮かべる。

 案内役はそいつに向かい、ニャー、とかわい子ぶった声で鳴いてみせた。


「あの人間は、よく働きよく尽くす、いい下僕ですよ。この家は、僕ら猫が過ごしやすいように考えて建てられているのです」

「……人間は嫌いだ。私の住処を断りもなく解体しやがった」

「人間もいろいろです。猫だって、いろいろでしょう? 迷子になった僕に牙を立てようとした猫も、あなたみたいに助けてくれる猫もいたように」

「ふん……」


 私が鳴らした鼻に、案内役が自分のそれをくっ付けてくる。

 わあ! と歓声を上げる下僕に目を糸のようにした彼は、相変わらず自信満々で宣った。

 

「あの人間は、あなたの下僕にもなりたがっていますよ。大丈夫。ここは、いい家です」


 こうして、私は野良生活に終止符を打った。

 代わりに、いい同居猫と、いい下僕と──それから、いい家を手に入れたのである。

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