♰Chapter 39:迷わない

「聞かせてくれ」


彼女は彼女自身の秘密は打ち明けてくれた。

しかしその来歴については聞く時間がなかった。

長い人生のその一部分でも知れたら――そんな思いから向き合う。


「前にわたしは数百年を生きる人間と吸血鬼のハーフだって言ったよね。寿命に関して言えばハーフでも吸血鬼の方が優先されるみたい。吸血鬼の成り方は一つ、人間から吸血鬼になる方法、もう一つ、生まれつきの吸血鬼がある。後者は外見も中身も成長が遅いんだ」

「だから中高生くらいの雰囲気なんだな」

「そうそう。いくつもの時代を過ごしてきて変化に適応するのにも慣れた。人は革新的だよね。次々に新しい技術を生み出して豊かさを求めていく。でも同時に人は未知なる存在には拒否反応を示すんだ。新しい理論、新しい技術、新しい存在。全部、最初に実践した人は人々の罵詈雑言、拒絶を叩きつけられ、否定されてきた」

「それは当然のことだ。多くの人間は変化を嫌う。分からないこと、予測できないことに本能的な恐怖は植え付けられてる。自らその道を選択し、突き進もうとするのは才能に溢れた人間か、あるいはネジの跳んだ大馬鹿だけだろうな」

「あはは……!」


オレがあえて大袈裟に言ったことを楽しそうに笑う。


「大馬鹿か。おかーさんもおとーさんに似たようなことを言ってたな」


ちゃり、と銀製の十字架が握られる。


「それには意味があるのか?」

「ん? えっとこれは教えをくれた神父様がおかーさんとわたしにって一つだけくれたものよ。……おかーさんの肩身でもあるんだ」

「その十字架。ずっと持っているのか?」

「うん。普段は服の中に入れてるけど、今は薄着だしね」

「……もしかしてお前が話そうとすることにはその十字架や両親とも関係があるのか?」

「うん。今夜は満月の手前だから話そうかな――全部、月のせいにできるから」


姫咲はバルコニーに置かれたもう一つの席に座ると都心に近いとは思えないほどはっきりと見える星空を見上げる。

それでもきっと田舎には及ばないほど弱々しい星空だ。


「わたしはね、おにーさん。最初から吸血鬼だったわけじゃないんだ。最初はただの女の子だった。ううん、そう思っていた。でも、そうね。わたしのおとーさんは東欧の人で、おかーさんは日本の人だった。小さい頃は東欧に住んでいたんだ。わたしがいたところはその中でも田舎町だった。オレンジ色の屋根が並んでいて、木々に囲まれていて、運河も流れてた。牧歌的とでも言うのかな」

「長閑でいい場所だったんだな」

「うん。すごく平和できっとわたしはここで育って、漠然とこの時間がずっと続くと思ってた。でも変わらないものなんてないんだよね。ある日突然、わたしのおとーさんは死んでしまった。町で唯一の教会でお葬式をしたんだ。その時に気付いたの。参列した人の中にすごく怖い人――ううん、吸血鬼が混じっていた」


きゅっと両手を握りしめる彼女。


「土の中に埋める棺をじっと見つめていた。そしてわたしとおかーさんを見て口が動いたの。”裏切者と人間、混血の子は赦さない”って」

「今都内で暴れている吸血鬼も確かそんなことを言っていたな。裏切りとはなんだ?」

「わたしにも分からなかった。……ううん分からないふりをしてた。でも向き合わなければいけないって。おにーさんたちが何度も手を伸ばしてくれた時にそう思ったんだ」


月に手を伸ばす姫咲。

その瞳は紅に変わり、爪と牙は鋭く伸びる。

だがオレに襲い掛かる気配はなく、ただ月に釘付けになっている。


「わたしは吸血鬼と人間のハーフ。どちらにもなり切れない中途半端者。わたしのおかーさんはあの吸血鬼に殺されていなくなっちゃった。言葉じゃ言い表せないほどの拷問を受けた後で……わたしの、目の前でね」


ぐっと拳が握られる。


「そのときにあの吸血鬼は言ったよ。『貴様の父親は裏切者の吸血鬼。貴様の母親は全てを狂わせた醜女。貴様は混ざりものの半人半鬼だ。今はまだ真実すら理解できぬ齢だがいずれ理解させてやる』ってね。おとーさんとおかーさん、そしてあの吸血鬼の間に何があったのかは知らない。わたしの記憶も小さい頃のもので霞んできてることも多いんだ。でも今わたしが狙われている状況は多分そういうこと。そうすればすべての意味は通じると思うんだ。どう? 引いたかな、おにーさん」


ししし、と年相応の少女の笑顔。

笑顔の形は取っていても、隠し切れない破れかぶれの笑顔。


子は親を選べない。

同様に親も子を選べない。

だが少なくとも彼女の両親は姫咲のことを望んだからここに彼女がいる。


吸血鬼のいう裏切りとは何なのか。

それを知る必要がある。


「今はもう、わたしひとり。おかーさんの生まれ故郷のことはよく聞いてたんだ。春には桜っていう小さなピンクの花が綻んで、夏には太陽みたいに眩しい向日葵が咲く。秋には色とりどりに木々が紅葉して、冬には真っ白な銀世界が広がるの。だからここに来た。それでもやっぱりひとり」


銀の十字架が月明かりを受けて輝いている。


「でもおにーさんやおねーさんたちがわたしを見つけて、吸血鬼から守ってくれようとしている。生きる意味を喪ったわたしに生きることの悦びを見せてくれようとしている。だから――」


「諦めきれなくなっちゃったよ」


その一言は彼女の生きる意志を再び灯したことを示している。

オレは静かに彼女と同じ夜空を見上げる。


「オレはお前じゃない。事実として理解できても心情的に本当の意味でお前に寄り添うことはできない。どんな言葉を掛けようにも薄っぺらさしか感じないだろうしな」

「おにーさんらしいね。モールで見ず知らずの人をできるだけ助けようとしたときと同じ、不器用な優しさだ」

「オレは優しくない」

「優しい人は優しいって言わない」

「……無闇に人を信じるといつか痛い目を見るぞ」


本心からの言葉だった。

現実にオレは姫咲を利用して本命を叩こうと提案した張本人だ。

彼女に対する同情がわずかにオレの言葉を引き出した。


じっとオレを見つめる姫咲が真剣な顔をする。


「実感がこもってる。おにーさんも傷を抱えてるんだね」

「かもしれないな」

「――じゃあ」


不自然に途切れた言葉にオレは首を傾げる。


「じゃあ、わたしはおにーさんをずっと信じるよ」


月夜のもと、束の間の静寂。

夜風が弱く吹き付けてきた。


言われた言葉の意味をゆっくりと噛み砕く。


「……人を信じるなって忠告したんだけどな」

「無闇にって言ってたでしょ? おにーさんはわたしを助けてくれた。自分の命より優先してよ? 普通の人にはできないし、人を信用するには十分すぎる理由でしょ」

「あれは――」


――任務だったから。

そう言おうとしたのだが、姫咲は口元に人差し指を当てる。


「その先はなし。わたしが感じたことがわたしの全てでそこに余分な言葉は必要ないよ」


そう言われてしまえば何も言うことはない。

オレはもう一度夜空を見上げる。


――明日はきっと綺麗な満月が見られるだろう。

年に一度のスーパームーンを迎える日。

そんな日に開園時間から閉園時間までの丸一日パスを寄越してくれた神宮寺には感謝しなくてはならないだろう。


「明日は姫咲が楽しめるように尽力するつもりだ」

「ううん、おにーさん。もう今日だよ」


吸血鬼の姿ではなく、人間の姿でからかうような響き。


「ならなおさら早く寝ないとな。今日はきっと長くなる」

「分かったよ。……あ」


手を絡ませたままだったことに気付いた姫咲に、オレは解こうと指を動かす。

するときゅっと力が籠められる。


「どうせならおにーさん、わたしと寝てみる?」

「遠慮しておく。オレは一人で寝るタイプだ。抱き枕は使わない」


そこまで言ってちょうど妹くらいの歳の差であろう、彼女の冗談をシスコンのあの男なら容赦なく真に受けそうだなと下らない思考が過る。


くすくすと笑ってから姫咲は手を解き、バルコニーを出て行こうとする。

また迷われても困る。


オレは端末で水瀬に一言連絡を取る。

すると何コールかののち通話に出た。

軽く事情を説明すると彼女は眠りを妨げたことを怒りもせず、逆に謝ってきた。

律儀と思いつつ、やり取りを終えると姫咲に向き直る。


「もう元に戻ったはずだ。あとは一人で戻れるか?」

「うん、わざわざありがと。もう迷わないよ」


それから扉が閉められる音と消える人の気配。


「迷わない……それはどっちの意味なんだろうな。いやどっちもか」


一人、独り。

それは寂しいのだろうか。

それとも心細いのか。

親類縁者がいないという意味ではオレと姫咲に違いはない。

ただ、どこかオレとは違う気がしてならない。


静かな初夏の夜。

誰にも見つからず、誰にも邪魔されない。

開放的でありながら、閉鎖的な自分だけの空間。

自然と瞼はおちるのだった。

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